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いしるをめぐる夜の妄想
一晩中、2時間に一度起きて、夢にうつつにイシルのことばかり考えていた。熱のせいかな。
▽真脇の縄文遺跡にはイルカもイノシシも熊も、さまざまな魚も、縄文人が食べた痕跡がある。当然、イカやイワシも食べたろう。塩はつくっていたから塩漬けにしたら塩辛やイシルができたはずだ。
▽でも魚醤は、稲作と密接な関係があるという。東南アジアで、一時期に大量にとれる淡水魚を活用するために塩漬けにしたのが魚醤で、米と一緒に漬けたのがなれずし。ということは、稲作伝来以前にはさかのぼらないのか。
▽縄文時代も川にはサケやウグイが大量にさかのぼったはず。それを塩漬けにしなかったのだろうか。どうやって保存したのだろう。稲作をしないアイヌのサケの活用法をみたらヒントになるかな。
▽さらに石毛直道さんらによると、魚醤の歴史は醤油以前にはさかのぼらない可能性が高いらしい。日本人の基本調味料は長年みそだった。醤油はしぼったあとに大量のムダがでるから家庭ではつくらない。工業生産品だった。醤油は江戸時代の都市生活から普及したが、多くの農村では明治時代まで日常の味付けには自家製味噌をつかい、買ってきた醤油はごちそうの料理づくりにつかった。300年の時間をかけて、日本料理は味噌味から醤油味へ移行した。
▽魚醤は、商品としての醤油を購入できなかった海岸地帯の民衆が、代替品として製造するようになった。醤油の普及とともに全国の魚醤は消えていくが、魚醤をもちいた独特の食文化が形成されていた能登や秋田(しょっつる)では魚醤がのこった。