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マネージャーを選択する覚悟と決意

12月1日の静岡県ユースCリーグ最終節。
富士市立2 vs 島田工業 にて、自分の高校サッカーは幕を閉じました。
振り返ってみると長いようで本当に短い3年間でした。

自分が富士市立への入学を決めたのは中学3年生の4月。「スポーツ探究科」という学科だけを求めて受験をしました。静岡市内にはスポーツの学科のある高校はなくて、でも自分はスポーツを学びたいと思い受験することを決めました。ものすごく反対されて、中学3年の頃の担任の先生は本当に相手をしてくれませんでした。でも自分からいろんな先生に相談したり先輩を紹介してもらったりと行動して受験することを決めました。
サッカーは幼稚園の頃に初めて小学校ではVivaceFCに所属し県大会の舞台も経験し中学校では伝統ある静岡城内FCでプレーしました。中学までのサッカー経験で多くの出会いと経験をしました。怪我やプレーの不調で思い通りにサッカーを楽しめなかったことや練習がきつくて行くのが嫌になったこともありました。でもその経験があったからスポーツの裏方のことを知ったし今のマネージャーの活動にたくさん生かされています。
あんまり試合観戦やサッカーゲームをしたこともなかったけれどサッカーをするのは本当に好きだったし、みんなと楽しくできたのも良かったなと思っています。

小学生時代 VivaceFC6期生
一応サッカーしてました。
中学生時代 城内FC47期生

でも、高校でサッカーを続けることは選択肢として全く考えていなかったです。とりあえずスポ探で勉強できればいいなーって考えていました。理由は別に深いものはなくて、サッカーうまくもないし、プロになりたいわけでもない。とにかくトレーナー的なことを勉強して裏方の道へ進みたいとしか思っていませんでした。だから部活は写真撮るのとか好きだから報道部にでも入ろうかなって思っていました。
授業でスポーツを勉強して部活はゆるくやろうって考えていました。
でも、あのグラウンドを見たらやっぱりサッカー好きなんだなって思ってしまったんです。そこで考えたのが「マネージャーになろう」ということでした。
マネージャーだったら、きつい練習しなくていいし、自分がめざす裏方に一番近い。しかもあのグラウンドに入れる!仮入部の時点で即決しました。
そしてすぐ、杉山監督に志願しに行ったんです。

マネージャーになりたいと志願した時、あの薄暗い地域交流室で監督に言われたのが「サッカーに未練はないのか?」という言葉です。その時思ったのは生半可な気持ちでなれないなということです。未練は全くなかったけれど、全力でサッカーしに来てる選手に対して緩くやろうとしてる自分はただの邪魔になるなと思いました。監督から未練はないのかと聞かれた時、本気でマネージャーやりたいと自分の中に火がついた気がしました。そこからマネージャーとして色々な経験をさせていただきました。

マネージャー1年時

マネージャーとして一年活動して、なんだか満足いかなかったんです。選手権は悔しい結果で、マネージャーが全然勝利に絡めなかった気がしてすごく後悔しました。もっとみんなのためにできることがある。自分たちはもっと成長できる。
そう思って立ち上げたのが「チームアシスタント部」。監督達とたくさん相談して2年時から形にしてきました。
課題はたくさん残るけどこの新しいマネージャーの形はこれから部活の形として残り続けると思っています。
人数を増やしたこと、部署の活動を取り入れたこと、外部にも関わる活動を行ったこと、一人一人の主体者意識を高めたこと。全てが新鮮でした。
この2年で積み重ねたことがこれからも続くことを願っています。

この3年間どんなことしたのかなって気になったので振り返ると

  • スポンサー関係の仕事

  • 動画制作

  • カメラマン

  • ボランティア

  • アシスタントコーチ

  • トレーナー活動

  • 審判

  • 掃除・洗濯

  • 分析

  • 遠征の帯同

  • 広報活動

  • 執筆活動

すごいたくさん。。。
本当に恵まれていました。
3年生になってからはテレビや新聞、書籍にも取り上げていただいて本当に最高でした。3年間の覚悟がこれで報われました。
人間関係なんかもたくさん学んだ3年間でした。
いろんなことがあったけど本当に充実した3年間でした。

そして、11月に立命館大学に合格をいただきました。
大学でもマネージャーを頑張ろうと思います。
関西の地でプリンスリーグでの経験を存分に活かして2部に落ちてしまったチームを再起させられるようにまた一から頑張ります。

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