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箱庭的都市、尾道に学ぶ「街と生活」の関係

藤井です。

いつも、登録者にのみ毎週配信しているニュースレター"After Digital Inspiration Letter"、もう83回にもなっていまして、このnoteもまた少しずつ動かしておこうかなと思います。

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尾道のWell-being政策アドバイザーなるものを拝命していることもあって、最近はまちづくりや地方に関心があります。実は23年8月、初めて尾道に訪れたのですが、魅力にやられてしまいまして。
以下の文章は、その8月に書いたニュースレターvol.68の抜粋です。



尾道と箱庭的都市

お盆休みは縁あって、広島は尾道に。

慶應大学大学院システムデザインマネジメント研究科の白坂成功教授という方がいる。彼は私が事務局長を務めるUXインテリジェンス協会の理事でもあるのだが、実は尾道出身。

そのご縁で、尾道市役所でトークイベント的なものをやることになった。それが8月11日。

尾道という場所はとても素敵で、島・海・山に囲まれている。昔ながらの古い店も、新しく開かれたおしゃれな店もあり、お寺や史跡もたくさんある。自然と都市、伝統と革新が、無理のないやさしいテンションでバランスよく組み込まれている魅力がある。

尾道市役所は誰でも入れる「新名所」として作られたそうで、誰でもいつでも入れるという役所の屋上から街をぐるっと一望すると、その混ざり合ったバランス感覚がつかめると思う。

尾道市長にご案内いただいたのだが、曰く、尾道は箱庭的都市。いわゆる巨大な地方商業都市を目指して「次の広島になろう」としているわけではなく、元々持っている特徴を活かし、取り込みながら、優しく表現するようにしていると。その優しさの一部は、例えばいわゆるチェーン店がほぼ存在しないことだったり、尾道水道という海を見たときの景色が美しくなるよう、広告や大きな看板を出さないように協力を求めていることだったりしていて、なんとなく感じる気持ちよさにも、そうした計画的な配慮があることを教えてくださった。

尾道でどこを回ろうかと考えながら詳しそうな人に聞いたり、インスタグラムに写真を上げたりすると、いろいろな方が「ここいいよ」と自らおすすめしてくれたのが印象的だった。

Well-being指標で見てみる街の健康診断

尾道市役所での講演でご一緒した方の中にスマートシティ・インスティテュートで専務理事を務めている南雲岳彦さんがいる。デジタル庁率いる「デジタル田園都市国家構想」の中で活用されているWell-being指標なども、南雲さんがひっぱって展開されているものだ。

このWell-being指標というのは面白くて、誰でも見られるダッシュボードとしてこんなふうにまとまっている。

https://www.sci-japan.or.jp/LWCI/dashboard/r5_zenkoku_shikuchoson.html

上記リンクからすぐに触れるので、是非いろいろ見てみてもらいたい。

アンケートをベースにした「主観情報」と、事実データを基にした「客観情報」を基に、例えばその主観と客観の差異を見れたりする。以下の2枚の画像のように、東京(上の画像)と尾道(下の画像)を比較することもできるし、さらに年代別に分けて見ていくこともできる。客観情報のKPIなどもどこを指標として見ているか、詳細を見ていただければ載っている。

東京のWell-Being指標


尾道のWell-Being指標

東京と尾道では、都と市の比較になってしまうし、そもそも回答者数も60倍近く異なるので、比較にならないかもしれないのは前提として、その上でパッと見たときの一番の違いは、緑と赤の線の位置が異なることかなと思う。

つまり、東京はほぼ全てのパラメータで客観データよりも主観の方が大きく、尾道は客観データに対して主観の方が小さいというところ。言い換えると、東京は実際よりも人々が生活クオリティを過大評価していて、尾道は過小評価している、ということだ。

白坂先生もしきりに、「その場所の良さは地元の人にとってあたりまえすぎて気付けない。外の人が『これは普通じゃないよ、すごいことだよ、面白いよ』と教えてくれて、初めて『自分たちが持っていたものはどうやら特殊らしいぞ』ということに気が付けて、活用方法を考え始められる」と話されていた。

尾道の地元の方々の中には「東京や広島と比べたらうちなんて何もないし...」と思っている方もいるのかもしれないが、市長の言葉にもあったように、そもそも目指している絵姿が異なる。実際、色んな人が魅了されて来訪したり、移住したりしているし、新しい素敵な店が立ち並ぶようになり、相乗効果で地元に昔からある店も潤っている。

ここに来て、2つほど問題提起したい。


PRとネゴシエーション

1つはPR問題。面白い環境や企画、コンテンツはすでにかなり世の中に存在しており、とにかく知られる努力がされていないことに課題があるということだ。

妻に連れられて、日本中にあるお祭りにここ2年足を運ぶようになったが、圧倒的に情報が足りない。何時から何時まで、どこで何をやっているのか、調べても出て来ないものもある。なんなら情報が少な過ぎて、今年やっているかどうかさえ分からない祭りも多い。

ビービットのオフィスは大手町にあるが、最近、色んな機会で三菱地所さんとお話していると、実は丸の内・大手町のいろいろな場所で、とても面白い活動が日夜繰り広げられていることを知り始めた。が、それは本人たちの活動を聞いて、目を向け始めてようやく知ることができた、という形だ。確かに街の中にあるあらゆる電光掲示板やポスターで、いろいろな宣伝をしているのだが、これまでは全く目を向けておらず、自分にとって関わりが生まれて初めて、主体的に気にするようになった。

実際、作り上げるところに専念していて、世に出したはいいが宣伝・PRすることが全く頭から抜け落ちてしまっている企画は多い。私も「で、これってどうやって知ってもらうの?」と聞くことは多いし、伝える・広めるところまで考えずにやってしまっているものばかりだ。

そうやって「広めること、知ってもらうこと」が抜け押してしまったり、専門性がなくて何もできなかったりするケースが多い中、従来型のマス広告がこれまでのように効かなくなってきているのだとしたら、もっとそうした広告宣伝のプロフェッショナルや経験者がもっと分配されてもよさそうなものである。

あらゆる企画に宣伝やPRが配置され、真剣に「広めること」に取り組まれるようになると、ゆくゆく最適に配分されて、届くべき人のところに届くようになるかもしれない。

もう1つは、「地元の大半の人は、街が大きくなったり有名になったりすることを望んでいない可能性もある」という話だ。

確かにたくさん人が来るようになったらお金は儲かる。しかし同時に、うるさくなった、素行の悪い人が増えて心配事が増えた、景観が乱れたという声が地元から上がることもある。別に変わる必要なんかなかったのに、よそ者や新参者が何か派手なことを始めた。元々は自分たちが中心になって街を支えてきたのに、いつのまにか別のやつらが何かを始めて、それがちやほやされていて面白くない、なんてケースもあるだろう。

しかしこれもPRと同じで、「やりたいことやってたらそうなった」という側面が少なからず大きいように感じる。「この街を音楽の街にしたいんだ!」とかいって、公園でいきなり毎週末ロックフェスをやり始めたら、どう考えても近隣に怒られる。意外とやっていることはこれと変わらないのではないだろうか。

当たり前だが、街と生活は密接である。人々の生活に関わることなのだから、やはり総意が大事だし、大儀があるべき。

何故そうしたいのか、それがみんなの生活をどのようによくするのかをきちんと説明すれば、意外と周りの人は納得してくれたり、少なくとも敵対したりはしないことが多い。にもかかわらず、やりたいことを、話が簡単に通じる人とだけ進めてしまう。PR同様、普通に考えれば分かることなのに、なんとなくやらずに済ませてしまって、後で火種になるケースかもしれない。

生活と芸能が結びついて観光になる街

インドネシアのバリ島に行くと、観光と芸能が生活に結びついてそれが当たり前になっている。毎日寺院では演奏や舞踊があるし、それをやっているのは日中普通に一般企業に務めている人だったりする。それでも毎日、仕事の後にそうした演奏や舞踊を観客に見せているので、めちゃくちゃ上手い。そこまで島や街が一丸となっていれば理想だなあ、と先日バリにいて思った。

坂本龍一は自伝『音楽は自由にする』で、バリについてこんなことを書いている。

バリではいろいろ印象深い体験をしましたが中でも心に残っているのは、芸能のリーダーみたいな長老が言っていた「バリにはプロのミュージシャンは一人もいない」という話。お金をもらって音楽をやるようになると、芸能が廃れるんだそうです。バリのミュージシャンはみんなすごい能力を持っているんですが、お百姓とか大工とか、それぞれに職業を持っていて、音楽で食べているわけではない。すごく自覚的に、音楽を商品化しないようにしているわけです。個人が消費するようなこともない。そうやって注意深く文化を存続させてきた。

民族音楽に興味を持ち始めた10代のころから感じていることですが、共同体が長い時間をかけて培ってきた音楽には、どんな大天才も適わないと思うんです。モーツァルトだろうが、ドビュッシーだろうが。共同体の音楽には絶対勝てない。

坂本龍一 『音楽は自由にする』

なんとなくここには、私がバリで感じた、意志を伴って、時間をかけて作られた街の文化や独自性が表現されているように思う。なんとなく虚栄心や自己顕示欲で、急いで大きいことをやろうとしてしまいがちなこともあるかもしれないが、改めて、街と生活は密接である。人々の生活に関わることなのだから、やはり総意が大事だし、大儀があるべきで、そこにはじっくり時間をかけていく必要があるのだろう。

尾道の箱庭としてのバランスは、その「じっくり時間をかけて練られてきたもの」を、どことなく感じさせる、とても心地の良いものだった。


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