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読むばかりでアウトプットせずに生きてきた。

両親はよく本を読んでいる。
兄も読む。
私も読む。
常に読みかけの本もしくは読みたい本があるのが当たり前だ。

父はどちらかと言えば娯楽読み。
小説もしくは行こうとしている場所について書かれた本。
母は文学論とか、小説そのものではなくその周囲の本。
私は小説、エッセイなど。
兄が一番マニアックな本を読んでいる気がするが、
めったに会わないので把握はしてない。

漫画は両親あまり読まず。
白土三平のカムイ伝や水木しげるなどは実家にもとからあったけど、
多分親たちは大人が漫画を読めない世代。
兄が漫画を引き継ぎ、つげ義春などが増えていった。
私も大量に読ませてもらった。

とにかく読むわけだ。我が家は。
だから家を出て、こんなに本が読まれていないことに驚いた。
読みかけの本がないなんてことがあるんだ!

そういえば小学校時代。
私の読書はただ自分が楽しむ時間であって、
本の感想を友達と共有したことはなかったような・・・?
遊ぶときは遊んで、本の話なんかしなかったような・・・?
そんな気がする。
あくまで個人的な時間だったんだ。

その時すでにアウトプットから遠のいていたんだなぁ。
学校の作文も読書感想文も大っ嫌いだった。

夫はそんなに本を読まないけれど、
子どもの時に友達と小説を書いたり、
ラジオを録ったりしていたそうなのだ。
当時そんな発想なかったわ。
いいなぁ。

我が家(実家)の面々はアウトプットに弱い。
というかその発想がない。
その分『書くこと』へのハードルが高い。

母はどうやら書いてみたいらしい。
「今年は短い小説を書いてみる!」
と宣言した年もあった(数回)。
でも成し遂げられていない。


私が子どもの頃から愛する『勾玉シリーズ』の荻原規子さんが確かあとがきで
『自分が読みたい物語を書いた』
みたいなことを言っていた。

うわぁ!
私も書いてみたい!!自分が読みたい物語!
自分で書けるということはいつでも物語と一緒にいられるということではないか。


でも・・・実際問題、全然書けない。

夫は書ける人なので、
「書いてみたら誰でも書けるよ」
と言う。
(それが面白いかどうかは別だけど、とも言う)

書けるかーい!!


しかし8歳息子は、嬉しいことにハードルがない状態でスタートがきれたと思う。
A4サイズの紙を綴じて冊子を作ってあげたら、
せっせと絵本を描いている。
どうかその調子でインプット・アウトプットに励んで欲しい。


『note』はもともと小説を書く友人に紹介して貰った。
だから現在、自分が物語でもないグチばかりの駄文をあげているを申し訳なく思ってはいる。
書くことが生きることのような人がたくさんいる中で
レベル下げちゃってるんじゃないかなぁと。
でも子どものことを誰かと共有できたりして色んなことを知れたりして、
私としてはとてもとても助かっているのだ。
アウトプットの場をありがとうございます!!
読んで下さりありがとうございます!!


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