コロナ渦で「銭湯はメディア」と言ってくれたこと。
数日前の休日、衝撃的だった。
"クラスターフェス?"
テロかと思った。
もう意味が分からなかった。
分かったのは、私は分断された世界で生きていて、自分の当たり前は誰かの当たり前でないということだった。
私は医療従事者という属性に分類されて、
いまを生きている。
プライベートでも医療従事者は多いので、
行政(保健所)・病院・クリニック・訪問看護ステーション・産業保健などそれぞれの現場の声を把握するためにオンラインで情報共有している。
そこでは、
自分の職場に生かせる有意義な情報を得るとともに、なんとも言えない感情も抱く。
それは、どこの現場でも、
誤った情報を信じている人がいること、
それにより、支援に影響が出ていること。
たしかに、
未知のウイルスに対していろんな情報が飛び交っているから、正しい情報を選択することができないのもしょうがないのかもしれない。
(そもそも誤った情報が発信されていることが良くないのだが)
私はいまCOVID-19の最前線にいるわけではない。
その前にある、生活を守ることが私のやるべきことで、できること。
だから、とにかく正しい情報を届けるべく住民の生活へアプローチし続けている。
なので、誤った情報を信じて行動している人たちを見るのは、かなりつらい。
無力さを痛感してしまう。
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だから、
私たちの声に耳を傾けてくれる人たちには、
すごく救われる。ありがたい。
昨年から関わり始めた小杉湯は、
「銭湯はメディアだから」と言って、
公衆浴場として、ライフラインとして営業を続ける中で、COVID-19における正しい情報発信をし続けてくれている。
浴室や脱衣所に張り出すポップの内容も、
間違っていないか丁寧に丁寧に情報を確認して、届けてくれている。(COVID-19に関する情報は日々変化していくので、お客さんの安心のために今は新たなポップを制作中)
地域の信頼の強さが、災害など有事の際に生きると、聞いていたけれど。
実際に多くの情報が飛び交う中で、
自分たちの情報を信じてくれること。
本当にありがたいと思う。
私の届けられる声には限界がある。
だから、こうやって、
街の人から信頼される場を通じて、
私たちが伝えたい情報を届けてくれていることの意義は、すごく大きい。
個々の信頼関係が、
街の信頼関係へと、つながっていく。
地域の持つ力のことをソーシャルキャピタルと言うけれど、こういうことなのかなと思う。
職業柄、
オフラインで足を運ぶことはぐっと減ってしまったけれど。
あの場所は、
この高円寺の街にとって、私にとって、
やっぱり支えだなと思うのです。
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p.s.
COVID-19はどれだけ気を付けていても、
罹患してしまうことがあります。
「あれだけ気を付けていたのに感染してしまった」
真面目な性格の人は、そうやって自分を責めてしまうことがあります。
でも、あなたが悪いわけではないのです。
どうか、自分を責めすぎずに、いられますように。
創作意欲になります。!