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【社会批評】東洋水産に革新派はいるのか? -マルちゃん赤いきつねのCM炎上における性差別と経済的合理性について-

はじめに:繰り返される炎上と「保守 vs革新」

近年、企業広告がSNS上で批判を受ける事例が増えている。とりわけ、食品広告において「女性キャラクターの恍惚表現」が「女性蔑視」や「性的搾取」として問題視されるケースが多く、企業の姿勢が問われる場面が続いている。しかし、一部の企業は過去に批判を受けたにもかかわらず、同様の広告表現を繰り返し、再び炎上することがある。

その代表的な例が、今月話題となった
東洋水産の「マルちゃん」ブランドである。

過去にも同社の広告が炎上したが、
今回はアニメCMにおける
女性キャラクターの演出が批判されている。

それにもかかわらず、企業側は同様の手法を維持しており、消費者の間では「なぜ同じことを繰り返すのか?」という疑問が生じている。


なぜ企業は炎上リスクを認識しながらも
類似した表現と対応を続けるのか?

※記事の主張や表現は直ちに肯定しません

上記の内容は「企業の保守的(マッチョ)な姿勢」から、無視しているという分析が為されている。では、そのような問題なのか、本稿はそれとは別の「経済的合理性による判断」が背景だと考える。つまり、経済的合理性によってこのような広告表現を気にせず打ち出すし、一部に騒がれても無視する対応が行われている。

仮にその通りの判断がなされてる場合
「男性キャラクターの恍惚表現」が広告として
ほとんど試されない現状
には疑問が残る。

経済的合理性によって女性広告が恍惚な表情を採用するのだとするなら、男性の広告も同様の表現をすればいいのではないだろうか?今回、問題視してる立場の人々はこの「男女による異なる描き方」にこそ問題があると感じている人々も多い。

では、男性の恍惚な表現を用いた広告に
経済的な合理性が示されるなら、
男女における今回の表現差は解消されないだろうか。

よって、本稿では以下の3点を検討する。

	1.	女性の恍惚表現(性的喚起)が食品広告に与える影響
	2.	男性の恍惚表現が広告で採用されにくい理由
	3.	企業の広告戦略における「保守」と「革新」の可能性

企業が保守的に「女性恍惚表現」を選び続ける背景と、今後“革新”に舵を切る可能性を検討し「マルちゃん炎上」が象徴する広告界の構造を考察する。


なお、本稿ではいわゆる“非実在型ネット炎上”としての要素も一部取り上げますが、批判の正当性を肯定・否定するものではありません。また、記事のなかでは「マルちゃん」ブランドが何度も例示されますが、東洋水産や特定企業への断罪を目的とするものではなく、“保守 vs. 革新”の議論を整理するための事例として挙げています。


1.マルちゃんの繰り返し炎上と企業の対応

1-1. 過去の炎上と現在の状況

東洋水産は「マルちゃん」ブランドを展開する国内有数の食品メーカーであり、袋麺やカップ麺市場で高いシェアを誇る。しかし、同社の広告表現は過去にも物議を醸してきた。例えば、「マルちゃん正麺」のSNS広告では、女性キャラクターの演出が「家事を女性の役割として固定化している」と批判され、炎上した経緯がある。

今回も「赤いきつね」のアニメCMに対し、一部のSNSユーザーから「女性の頬を赤らめる表現は性的で不快」という声が上がっている。しかし、企業側は広告表現を大きく変更することなく、従来の演出を維持している。この対応には、先ほども述べた通り経済的合理性が関係している可能性がある。

以下、確認してみよう。

株価 2020年11月11日が前回の炎上のキッカケ日
マルちゃん正麵の出荷食数の推移

2021年1月29日の決算資料を見ても問題は特に起きていません。

これはつまり、消費者の批判がSNSで話題になるからといって、必ずしも「売上が下がる」わけではないという実情を示唆します。また、企業側の見解や広告の意図が紹介される中で「意図して女性を蔑視したわけではない」との弁明がなされています。

最終的には広告コンテンツを取り下げずにシリーズを完走させるケースは東洋水産に限らず、少なくありません。そのため、はじめにで紹介した記事の通り「炎上に対して企業が屈しないマッチョな姿勢だ」と評価(あるいは批判)されることもありますが、これらの背景にはそれ以上に“炎上しても大幅なダメージにならない”という企業の経済的合理性による判断があると考えられます。言い換えるなら、倫理的な保守的態度を貫徹してるのではなく、経済的に合理性があるから無視していると考えている。

だから、東洋水産は一部の人々の声を鳴き声として評価していないだろうし、女性の信用を軽視してるわけではない。しかし、売り上げに影響が出ないという経済的判断によって「対応しない」点についてはその通りだと考える。

ちなみに、本稿は構造として東洋水産が「倫理より経済を優先してる」という二項対立の話をしてるわけではなく、あくまでも基準が一部の人々と乖離しており、企業という立場の合理的な判断から自社の基準をそこまで合わせないという判断がなされてるという話で理解してもらえれば幸いです。


1-2. 二度目以降の炎上をなぜ気にしないのか

合わせて学術的な調査の話も載せておこう。

通常、企業にとって炎上はブランドイメージを損なうリスク要因とされる。しかし、即席麺のような「日常消費型の定番商品」では、炎上が売上に与える影響が限定的であることが研究で示唆されている。

『食品産業における広告宣伝に関する研究』

また、企業の広報戦略においても「短期的な炎上は話題性を生み、結果的にブランドの認知度を高める」という考え方がある。そのため、東洋水産をはじめとする企業が「炎上リスクより話題性のメリットが上回る」と判断した場合、広告表現を変えない可能性は高い。

つまり、東洋水産をはじめとする大手食品企業が同種の表現を繰り返す背景には、炎上リスク以上のメリット(宣伝効果・注目度増・売上安定)が期待できるという「経済的合理性」があると推測されるわけです。


2.女性の恍惚表現(性的喚起)と食料品広告の親和性

2-1. 先行研究が示唆する“官能的演出”の効果

広告研究の分野では「性的な表現が消費者の注意を引きやすい」ことが定説として広く認められている。たとえば、Reichert & Lambiase (2012) の『Sex in Advertising: Perspectives on the Erotic Appeal』では、官能的な演出が短期的な広告想起率を向上させることが示されている。

食品広告においても、チョコレートやリキュールなどのジャンルでは、「恍惚表現」が“おいしさ”を視覚的に強調する手法として活用されてきた。しかし、即席麺のような日常消費型食品では、官能的表現が購買意欲に与える影響についての研究は比較的少なく、議論の余地がある。


2-2. “ヴァンパイア効果”と炎上リスク

一方で、「性的演出=必ず売上向上」とは限らない。

The effect of exposure to sexual appeals in advertisements on memory, attitude, and purchase intention: a meta-analytic review

上記のメタ分析では、性的アピールは広告そのものの記憶を高めるが、ブランド名や商品情報の想起にはあまり貢献せず、場合によってはブランドイメージを損ねる可能性があると指摘されています。これを「ヴァンパイア効果(Vampire Creativity)」と呼び、セクシーなビジュアルばかりが印象に残り、肝心のブランド名が記憶されない弊害が生じます。

ただし、『赤いきつねと緑のたぬき』は既に高いブランド認知度を持つため、新規顧客獲得よりも既存顧客の維持が重要であり、ヴァンパイア効果の影響を受けにくい可能性がある。


2-3.マルちゃん(東洋水産)の経済的合理性とは?

今回のマルちゃんの広告は、これまでの研究で分析されてきた「典型的な性的アピール広告」とは文脈が異なる。そのため、既存の研究をそのまま適用し、「効果がある/ない」と結論づけることには限界がある

また、「効果があるから採用する」(積極的採用)と、「ダメージがないから従来通りの広告表現を採用する」(消極的採用)は本質的に異なる戦略だと考える。前者は炎上商法など、広告による売上向上を狙った明確な意図があるのに対し、後者は「現状を維持することによるリスク回避」を重視する姿勢になります。

しかし、マルちゃんのような既に市場で確固たるシェアを持つブランドであり、食品のジャンルや過去の経験を踏まえると、炎上が大規模な不買運動につながる可能性は低いと考えられる。そのため、企業が広告表現を変更するよりも、『多少の批判があっても、それ以上に話題化のメリットがある』と判断し、結果として従来の表現を維持する選択を取っている可能性は高い。

このように、東洋水産の広告戦略は『積極的に特定の表現を推進している』のではなく、炎上の影響を分析したうえで『大きな損失にはならない』と判断し、従来の表現を維持している点に特徴がある。


3.男性の恍惚表現(性的喚起)がされにくい理由

前章では、女性の恍惚表現が食品広告において広く活用される理由と経済的合理性について整理した。しかし、その一方で冒頭にも伝えた通り、男性キャラクターが同様の「恍惚の表情」を見せる広告はほとんど存在しない。

なぜ、女性キャラクターの性的演出は受け入れられやすく、男性には適用されないのか。これは単なる広告制作者の選択の問題ではなく、広告業界の慣習やジェンダーに関する社会的な価値観、さらには経済的な見通しによる判断が影響している可能性がある。

今回のマルちゃんCMに関して言えば、制作者の違いやクリエイティブの方向性といった要素も考えられる。しかし、より本質的な視点として「男性の恍惚表現が食品広告においてなぜ試されないのか」 について整理してみたい。

3-1. 広告業界の慣習とジェンダーステレオタイプ

①広告業界の長年の慣習
広告業界では、長らく「男性の視線(Male Gaze)」を主要ターゲットとした広告が中心となってきた。特に、食品や美容・ファッション業界では、女性キャラクターを「眺められる存在」として描く手法が定着し、官能的な演出が採用されることが多かった。一方、男性モデルを「官能的に演出する」発想は、これまであまり積極的に採用されてこなかった。これは、広告制作者の無意識のバイアスだけでなく、消費者の受容度や市場の期待値による影響も大きいと考えられる。

この点についてより詳しく知りたい場合、Bordo (1999) の『The Male Body』 などの研究が参考になる。本書では、1990年代以降、男性の身体が商品化され始めた背景について詳しく述べられている。ただし、この傾向は主にファッションやコスメ業界に限られ、食品広告において「男性の陶酔」を描く事例は依然として少数派なのは注意したい。


②ジェンダーステレオタイプの影響
広告の演出には、「男性は強く、クールな存在」「女性は可愛く、官能的で受動的」 という社会に根付いたジェンダーステレオタイプが反映されていることが多い。

たとえば、映画やドラマでもこのようなものは多く見受けられる。

男性が食事を楽しむ描写 → ひとり静かに食べてクールな雰囲気
女性が食事を楽しむ描写 → 恍惚の表情で食べて感情を強く表現する

映画?でひとり感動する
ひとりで無表情に食べる

このような演出の違いは、広告にも無意識に取り入れられ、
結果として「男性の恍惚表現」が避けられる一因となっている。

加えて、SNSなどでは「男性 vs. 女性」という対立軸で議論が展開されることが多い。しかし、ジェンダー広告の受容には、男女の違いだけでなく、個々のライフステージやパートナーシップの有無 も影響を与える。

『Sex in advertising: Gender differences and the role of relationship commitment.』2009

上記の研究によると

・独身男性は、性的な広告表現に好意的な傾向 
パートナーとの関係が親密な男性は性的な広告表現に否定的な傾向 
女性の場合、独身・既婚の違いによる影響は男性ほど顕著ではないが、パートナーがいる場合は性的表現に対する否定的反応がやや増す傾向

『Sex in advertising: Gender differences and the role of relationship commitment.』2009

このようなデータからも、広告業界が「男性の恍惚表現」を採用することに慎重になる要因が見えてくる。ジェンダーのステレオタイプだけでなく、広告のターゲット層や社会的な受容の違い も、選択に影響を与えている。


③不確実なリターンへの敬遠
上述のような広告の慣習やジェンダーステレオタイプを変えるには、倫理的な議論や対立ではなく、経済的合理性の裏付けが必要 になる。しかし、「男性の恍惚表現」を食品広告に取り入れることで、実際に売上が向上するのか? という点については、先行事例や研究がほとんど存在しない。

つまり、企業にとって「男性の恍惚表現を採用すること」は、広告の変更ではなく、市場に対する新たな挑戦となる。SNSなどで「なぜ男性も同じ表現にしないのか」といった議論が起こる一方で、企業があえてリスクを取らないのは「経済的合理性を優先した結果」ではないだろうか。

企業は、あくまで売上を最大化するために広告戦略を決定するため、社会的な議論が進んでも「男性の恍惚表現」が売上に直結する確証が得られない限り、大手企業ほど慎重にならざるを得ない。

この点において、広告業界が「男性の恍惚表現」に消極的な理由は、固定観念や倫理的な思想というだけでなく、リスク回避の戦略と市場の反応の不確実性が絡んでいると考えられる。


3-2.経済的リスクと革新的戦略

では、先行事例がない状況でも、
「男性の恍惚表現」を食品広告に導入することで、
新しいマーケットを開拓できる可能性はあるのか?

たとえば、ファッション・コスメなどでは、男性モデルをセクシーに演出して成功を収める事例が増えています。具体的にはCalvin Klein やAbercrombie & Fitchの下着広告などは、男性の筋肉美や色気を前面に押し出し、女性や一部の男性から好評を得ている調査報告や事例がある。

Calvin Klein

これらの広告は、従来の「男性=クールで無表情」という固定観念を打破し、新たな市場を創出することに成功している。しかし、これらのブランドは元々「身体の魅力」を前面に押し出す業界であり、食品広告(即席麺)のような分野とターゲットや目的が異なる点に注意が必要である。

話を整理しよう。

2章では、女性の恍惚表現が食品広告において広く活用される理由として、広告業界の慣習や消極的な経済的合理性を整理した。本章では「なぜ男性の恍惚表現は採用されにくいのか」に焦点を当てた。

広告業界に根付いた「男性はクールで強く、女性は官能的で受動的」というステレオタイプ、さらに消費者の受容の違いが影響し、男性の性的演出は試されにくい構造になっている。また、食品広告では「男性の恍惚表現」が売上向上に繋がるかどうかのデータが乏しく、大手企業ほど慎重な姿勢を取らざるを得ない。これも女性の広告表現と一致する立場となることが、根拠不十分だろうが、概ね推論立てられたと考える。

では、今後この状況が変わる可能性はあるのか?
また、この議論の確信に迫ろう。



4.保守と革新:マルちゃんはなぜ挑戦しないのか

4-1. 保守的戦略にとどまる企業の実態

ここまでの議論を整理すると、東洋水産や大手食品メーカーが「女性の恍惚表現を用いる」広告を採用し続けるのは、単なる慣習ではなく、経済的合理性に基づいた「保守(消極)的戦略」であると考えられる。

この手法はすでに多くの前例があり、「成功パターン」として確立されている。炎上リスクはあるものの、これまでの事例を見る限り、大幅な売上減にはつながっておらず、むしろ話題化による認知度維持のメリットがある。

また、広告制作には広告代理店やクリエイティブチームが関与しており、新しい表現を採用するには追加のコストと労力が発生する。しかし、企業側が「現状の手法で十分な成果が出ている」と判断すれば、わざわざ変える必要性は薄い。結果として「従来の方法を踏襲する」という戦略が継続されることになる。

このように整理すると
赤いきつねのCMに見えてくる
対立構造は以下のようになる。

①経済的目線:経済的保守VS経済的革新
現状維持(経済的保守)のほうが合理的と判断される。
→既存の成功パターンを変えるリスクが高く、確実な売上につながる保証がないため、企業は慎重になる。

②倫理的目線:倫理的保守VS倫理的革新
♦倫理的には革新の筋は通っている。
→男女の広告表現のバランスを取るべきという主張は論理的正当性ある。

③経済的目線と倫理的目線:経済的保守VS倫理的革新
ここで「話が噛み合わない」問題が発生する。
→両者が交わるポイントが見つからない限り、この対立は解消しない。

では、こうした状況の行方を決めるのは何か?

結論として、市場の変化を促すのは消費者の選択であり、企業はその流れに沿って調整していく。現在は「経済的保守」が優勢な状態だが、もし消費者の価値観や購買行動が変化すれば、企業の戦略も変わらざるを得ない。

したがって、この問題は「企業が革新を選択するかどうか」ではなく、「市場が変化することで、企業がそれに適応せざるを得なくなるのか」という視点の話で決定されることになる。


4-2. 経済モデルの革新派:現在の市場と可能性


現在の市場はどのように変化しているのだろうか?
どのような市場変化が起これば、企業の選択が変わるのだろうか?

具体的には、以下のような市場変化が発生すれば、
広告戦略の転換が加速する可能性がある。

1.炎上が直接的な売上減少につながるケースが発生する
例:不買運動が拡大し、売上や株価に悪影響を及ぼす。
※米国では「#MeToo」の影響を受けた企業が広告を変更した。

2.消費者の価値観の変化が購買行動に影響を与える
例:ジェンダーニュートラルな広告を打ち出した競合ブランドが成功する。
※P&Gの#LikeAGirlキャンペーンは、特定の消費者層に強く支持され、ブランド好感度を向上させた。

3.規制や業界の自主規制が強化される
例:「女性の恍惚表現」に関する広告ガイドラインが制定される

こうした市場変化は一部進行しているものの、
食品業界においてはまだ決定的な影響を与えていないのが現状である。

では、こうした状況の中で、
革新的な経済戦略はどのように可能なのか?


1.“Female Gaze”やLGBTQ+向け広告の拡大
これまでの広告は「男性の視線(Male Gaze)」を前提に作られてきた。しかし、近年では女性や多様なセクシュアリティを持つ消費者が、「男性を魅力的に見つめる」視点 を求める傾向が強まっている。

たとえば、Bordo(1999)の研究 では、ファッションやコスメ業界において、フェミニンな男性モデルが注目を集めるケースが増えていることが示唆されている。これまで「女性が恍惚の表情を浮かべる」ことが食品広告の定番だったが「食事に没頭する男性の恍惚表現」を取り入れれば、新たな顧客層に訴求できる可能性がある。


2.ブランドイメージの長期的向上
短期的には「恍惚表現」は注目を集めやすいが、長期的にはブランドイメージの毀損ヴァンパイア効果の影響が考えられる。

たとえば、Doveの「リアルビューティー」キャンペーンや、P&Gの「#LikeAGirl」 などの事例では、従来のステレオタイプに挑戦することで消費者の共感を得てブランド価値を高めた。食品業界でも「男性の恍惚表現」を取り入れることで、「時代に適応するブランド」としてのイメージ向上が期待できる


3.炎上対策と差別認知の変化
SNSの普及により、ジェンダー差別や性的搾取をめぐる議論が拡大している。現在は「炎上しても売上に影響が少ない」状態 だが、将来的には「女性の恍惚表現」に頼る手法が、大きなブランドリスクに転じる可能性がある。

企業にとって、炎上のリスクを避けつつ、新たな市場に適応することは不可避な課題となっている。早い段階で「ポスト・ジェンダー的な広告表現」を導入することは、先進的なブランドとしての評価 にもつながる。


こうした新しいアプローチは「未知のリスク」を伴う一方で、SNS世代やLGBTQ+層への訴求、さらには“先進的・多様性尊重”というブランドイメージの構築につながる可能性もある。しかし、この戦略は大手企業にとってすぐに採用できるものではない。なぜなら、大手企業の「定番商品」では、新たな広告表現を採用するリスクが高いからだ。

東洋水産の「赤いきつね」はすでに確立されたブランドであり、既存の顧客層を失わずに新たな広告戦略を導入することは難しい。これは、「大手企業が消極的である」という問題ではなく、定番商品のポジショニングの問題でもある。

では、どうすればよいのか?


4-3.新たな経済的合理性

これまで述べてきた通り、即席麺などの定番商品では、炎上が直接的な売上減につながることはほとんどないという研究結果が報告されている。つまり、企業が「女性の恍惚表現」を用いるのは、「炎上リスクを負ってでも売上を伸ばしたいから」ではなく、「炎上しても売上に影響がないから従来の手法を継続する」という保守(消極的)な経済的合理性に基づく判断と考えられる。

しかし、もし企業が「男性の恍惚表現」を積極的に採用するのであれば、それは単なるリスク回避ではなく、新たな市場を開拓するための革新(積極的)な経済的合理性に基づく選択となる。そのためには、売上向上につながる具体的な成功事例や、ジェンダーバランスを考慮した広告戦略が有効であることを示す先行研究の蓄積が必要となる。

だが、現状では「マルちゃん」のような大手食品ブランドがこうしたリスクを負ってまで、新しい表現に挑戦するインセンティブは少ない。なぜなら、既存のブランドポジションを維持しつつ、新たな広告手法を導入するには、失敗した場合のブランド価値の低下というコストが伴うためだ。

では、大手企業ではなく、
新規ブランドやベンチャー企業の即席麺市場であればどうだろうか?

これらの企業は、従来の成功パターンにとらわれる必要がなく、新たなマーケットを開拓する柔軟性を持つ。食品広告において、「男性の恍惚表現」を大胆に打ち出した新商品が成功すれば、マーケティングの潮流そのものを変える可能性がある。「経済的合理性」とは単に売上を最大化するための合理性ではなく、市場の変化に適応し、長期的にブランドを成長させるための合理性でもあるという点だ。

保守的な経済的合理性 → 炎上の影響が少ないため、従来の表現を維持する。
革新的な経済的合理性 → 新たなターゲット層を開拓し、ブランドの持続的成長を目指す。

このどちらを選択するかは、
それぞれの企業の市場ポジションや戦略次第である。


4-4.「炎上させればいい」ではなく、新たな価値を創造すること

4-1で以下のような説明をした。

①経済的目線:経済的保守VS経済的革新
現状維持(経済的保守)のほうが合理的と判断される。
→既存の成功パターンを変えるリスクが高く、確実な売上につながる保証がないため、企業は慎重になる。

②倫理的目線:倫理的保守VS倫理的革新
♦倫理的には革新の筋は通っている。
→男女の広告表現のバランスを取るべきという主張は論理的正当性ある。

③経済的目線と倫理的目線:経済的保守VS倫理的革新
ここで「話が噛み合わない」問題が発生する。
→両者が交わるポイントが見つからない限り、この対立は解消しない。

一貫していたのは【保守VS革新】だけではなく
【企業VS一部の消費者】という目線もある。

ここまでの議論から明らかになったのは、企業は「市場の変化に適応する合理性」vs「既存の成功モデルを維持する合理性」という対立のなかで戦略を決定している という点だ。企業は単なる倫理的判断で広告を変更するのではなく、「変えることで確実に売上が伸びる」という明確な根拠が必要になる。そのため、即席麺のような定番商品では、従来の表現を維持する方が合理的と考えられる。

しかし、ここで考えるべきは、市場の変化を促すのは企業だけではなく、消費者の選択でもある という点だ。従来の「炎上による圧力」が効果を持たないのであれば、消費者側のアプローチも「不買運動」から「購買運動」へとシフトする必要がある。

実際、企業は炎上(非実在型炎上含む)に対して、「対応しない」という選択がとられた。そして、これが企業利益にマイナスに繋がらないのだとするなら、今後ますます対応しない企業は増えていくだろう。企業はこれからの市場に向けて適応する葛藤が生じるように、一部の消費者にもこれからの市場に向けて新しい適応のための葛藤が生じていくと予測する。


4-5.炎上より購買運動が市場を変える

企業の広告戦略を変える最大の要因は、批判の声ではなく市場の変化が売上に影響を及ぼすこと である。したがって、消費者が「望ましい広告戦略を採用したブランドの商品」を積極的に購入し、市場の動向を変えることが重要 となる。

1.購買運動が有効な理由「革新派ブランド」の成功事例を作る
新規ブランドがジェンダーバランスを考慮した広告表現を採用し、それが市場で成功すれば、大手企業も追随せざるを得なくなる。

2.「既存ブランドの変化を促す消費行動」
消費者が意識的にジェンダーニュートラルな広告を支持すれば、企業は「売れるなら変える」という合理的判断を下す。

3.「データとしての消費行動」
SNSでの批判よりも、実際の購買データや市場シェアの変化を示すことが、企業にとって最も説得力のある圧力となる。

まとめると、、、

企業が「保守的戦略」を取るのか「革新的戦略」に舵を切るのかは、消費者の選択によっても決まる。「企業は変わるべき」と主張するだけではなく、消費者自身が購買行動を通じて市場の変化を作り出せることを再認識すべきではないだろうか。

✔ 炎上で市場を動かすだけではなく、新たな広告戦略を採用するブランドを支持する
✔ 「売れるなら変える」という企業の論理を理解し、購買を通じて変化を促す
✔ 消費行動のデータや先行研究を通じて、市場の変化を企業に示す

これにより、「市場の変化に適応する合理性」と「既存の成功モデルを維持する合理性」の対立に、新たな選択肢が生まれると考える。


5.さいごに:批判の中から生まれる議題

本稿では、一貫して経済的合理性の視点から広告表現の問題を考察してきた。その観点からすれば、「男女差をなくす=両者とも恍惚な表現を採用する」という選択肢は、一つの論理的な帰結である。しかしながら、そのアプローチが倫理的に望ましいかどうかは別の問題である。なぜなら、性的表現を男女双方に拡大することが、結果として性差別や偏見の助長につながる可能性もあるからだ。ミルの功利主義に基づくなら全体の幸福数は下がる可能性がある。それでも、わたしは一度この方向を目指すべきだと考える。

なぜなら、資本主義社会における表現の自由は「市場原理」に委ねられやすい。 企業は、倫理的正しさよりも「売れるかどうか」に基づいて広告戦略を決定する。しかし、経済的に正しい選択が、常に倫理的に正しいとは限らない。もし、この問題を本質的に解決しようとするならば、「公平な経済的合理性」とは何かを再考する必要がある。それを無視したままでは、現在の市場構造の中で倫理的な議論が企業戦略に影響を与えることは難しいだろう。

仮に今後、企業が男性の恍惚表現を積極的に取り入れた場合、それに対して「気持ち悪い」「違和感がある」という反応が一定数生まれることは想定できる。そして、そうした表現が慣習化すれば、例えば、どん兵衛を食べる人の男性が意図せず“性的な目線”で見られる状況が生じるかもしれない。少なくともわたしは赤の他人にそのような目線を不快に思う気もする。

要するに一部の消費者の問題意識はそこにある。

この体感は相対的に私は女性より少ない可能性が高いし、性別関係なくそこを不快に感じるかは傾向差がある。(これは上記の研究でも示されていた)

当然の反論として、現実と虚構は別物であり、そのような視線を送る個人の問題だと扱うことが出来るだろう。しかし、メディアを通じて再生産されるアイコン的な表現は、私たちの無意識の視線や価値観に影響を及ぼす可能性は低く見積もるべきではない。自分の人生に創作物がまるで影響をうけないものだとするなら、それは創作そのものの意義に根幹から関わってくる。

こうした視点を踏まえたとき、「公平な扱い」とは何を意味するのだろうか? もし、男性の恍惚表現が違和感なく社会に浸透したとすれば、私たちは次のような選択を迫られることになる。

  1. 「自由な表現」を受け入れ、どちらの性別も広告表現を許容する方向へ進む社会

  2. 「性的な広告表現の根本的な問題」を男女ともに排除する方向へ進む社会


どちらの道を選ぶにせよ、これは単なる広告表現の話ではなく、社会全体の価値観が変化することで初めて真剣に議論されるべき問題である。そして、その変化がどの方向へ進むか検討するためには一度、個人の自由とは別の全体の土台を整えることからしか始められないかもしれない。その土台をつくるのは、企業の選択だけでなく、私たち消費者(今回の対立構造の関わらない人々)の行動によっても決まるのではないだろうか。



参考文献

  • Bordo, S. (1999).
    The Male Body: A New Look at Men in Public and in Private. New York: Farrar, Straus and Giroux.

  • Dahl, D. W., Sengupta, J., & Vohs, K. D. (2009).
    “Sex in Advertising: Gender Differences and the Role of Relationship Commitment.”
    Journal of Consumer Research, 36(2), 215–231.

  • Reichert, T., & Lambiase, J. (Eds.). (2012).
    Sex in Advertising: Perspectives on the Erotic Appeal. Routledge.

  • Wirtz, J. G., Sparks, J. V., & Zimbres, T. M. (2018).
    “The Effect of Exposure to Sexual Appeals in Advertisements on Memory, Attitude, and Purchase Intention: A Meta-Analytic Review.”
    International Journal of Advertising, 37(2), 168–198.
    https://doi.org/10.1080/02650487.2017.1334996

  • 『食品産業における広告宣伝に関する研究』
    http://hp.brs.nihon-u.ac.jp/~imozuru/img/file2424.pdf

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