会話を壊す。

もすらです。自分の書くスタイルが定まっていないためいろんな書き方になってしまって申し訳ないです。
それでは今回もコミュニケーションのお話です。


昨日、会話の壊し方を見つけた。

「はいはい」「そうなんだー」「へぇー」

これだけだ。適当な相槌は会話を壊す。私はこれをされたらこの人とはまともな話はしない。自分ばかりがしんどいだけで、仲が深まることもなければ、良い印象を持つこともない。

「会話は言葉のキャッチボール」
こんな言葉を良く聞くのではないだろうか。まさにその通りでお互いが交互にボールを投げ、取ることで会話になるのだ。こちらが投げたボールを適当によけるような人とキャッチボールができるだろうか、ましてやよけられて転がったボールをわざわざ拾いに行って、また投げてあげることなんてしようと思うだろうか。

しかも、この手の相槌を繰り返すほとんどの人は自分のことを面白いと思っているからなおのことたちが悪い。この一連のことをコミュニケーションや会話だと勘違いしているのである。ボールを拾いに行かせているのが面白いと思うのだろう。それはいじめっ子と同じではないだろうか。つまりは

“人の話をつぶす自分が面白い”

ということなのだろう。それをするのは本当に楽だ。こちらが苦労して積み上げたものを潰すだけでいいのだから。しかし、この人たちはこれから先の会話の展開を用意してくれてはいない。こちらが再び潰された会話を適切に処理し、また新しい会話を積み上げていくしかないのだ。

最近この手のコミュニケーションの取り方をしてくる人とほんとうによく出会う。
失礼かもしれないが、みんな友達とかいるの。と思ってしまうのだ。対話や会話などではなく、工程を使ったスルーとすべての否定。こんなコミュニケーションの取り方でよく人間関係が構築できたものだ。

テレビで芸人さんたちがこれと似たようなことをしているが、あの人たちにはその後のフォローや明確な落としどころのビジョンがある。
関西の某タレントさんは、番組内でとにかく出演者の方を面白おかしく落とす。不細工だとかなんだととことん落とす。それに周りが笑う。
これだけだと嫌な人で終わってしまうのだが、この人はやはりプロなのだ。最後のオチは自分の見てくれで落とすのだ。自分のほうが不細工だ太っていると相手のフォローに回るのだ。ここまでが一連の流れなのだ。

自分はコミュニケーション能力があると思っている人、今あなたが喋っている人の表情をしっかり見ていますか?
少しでも違和感を感じることはありませんか。

少しでも違和感を感じるのなら今すぐ家に帰りましょう。

破壊するだけでは何も生まれません。


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