大人の境界
どこからが大人なのだろう。
そんなしょーもないことに私は悩んでいた。
自分がまだ「子供」だと胸を張って言えるぐらいの年齢の時は、大人は偉大な存在でかっこいい憧れがあったことをはっきりと覚えている。私はそれだけ“大人”に憧れを抱いていたのであろう。でも当時はどうしたら大人になれるかなんて考えたこともなかった。ただ、早く大人になりたいとだけ思っていた。
しかし、自分が“大人”と世間から言われるのが近づくにつれ、大人の偉大さは感じなくなり、かっこいいとも思わなくなってきた。
それだけ、“どうしようもない大人”が多かった。
大人なのか、子供なのかよくわからない階層にいる人がほんとにたくさんいることがわかった。
「おまえは子供だからそれでいいだろうけど、自分は大人だから」
「早く大人になれ」
学生時代にひょんなことでケンカした社会人の方々の言葉だ。
今、私は社会人になって一般的な“大人”と呼ばれるカテゴリに入っているはずだが、この当時のこの人たちの言葉はいまだに理解できない。
大人なら、子供であった自分に正しい道、正解を示してほしかったのだが、この人たちが私に見せてくれたのは、エゴと“大人”などという小さなプライドだけだった。だから私は理解できなかったし、今もそうなのだ。
子供みたいな理由で大人としての矜持を語られても私は困るのだ。
それだけどうしようもない大人が多かった。だから、大人に憧れがなくなったのだ。小さなことで、子供に私は大人だからと怒るような大人はかっこよくないではないか。
じゃあ、この人たちは子供なのだろうか。
それもどこか違うような気がする。大人でも子供でもないのだろうか。
私にはわからないし、私が大人なのか子供なのかもわからない。
もっと歳を重ねれば、家庭が出来て、子供ができたときに自分は大人になったなと思うかもしれない。
はたまたその時、周りにいる若いやつに早く大人になれよなんて言ってるのかもしれない。
大人になることは簡単で難しいのだろう。
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