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「翔瑛は翔瑛らしく」



富士大学体育会サッカー部3年の菊池翔瑛です。

はじめに、日頃より富士大学体育会サッカー部への多大なるご支援・ご声援誠にありがとうございます。

今回noteを書く機会があり、言葉を文字にして表すというのは自分はあまり得意ではありませんし、いつもふざけてばかりの自分ですが、今まで自分が内に秘めてきた熱い思いを書かせていただきました。

温かい気持ちで最後まで読んでもらえると嬉しいです。

サッカーを始めたきっかけは父親が指導者、兄がサッカーをしていたからという理由で始めたサッカー。


今年でサッカー17年目に突入しようとしています。

今までのサッカー人生を振り返ると、このnoteには書き表せないくらいの辛いことや苦しいことの方が正直多いし、挫折の連続でした。


自分はいわゆる雑草選手

エリート街道を通ってきたわけでもなければ、チヤホヤされて生きてきたことなんて一度もない。


ほんとにサッカー辞めないで今までサッカーやれてこれたなと思うくらい自分は挫折をしてきました。


小学生時代、地元の少年団に入り6年間お世話になり、サッカーの1ページが始まりました。

父親が監督。

家ではパパ。グラウンドではコーチ。この違和感の中サッカーをするのが自分は正直あまり気持ちが良くなかった。

サッカーの練習の時、自分の友達を本気で怒る父親。

見ていられなかった。

当時の自分は、本当にやめてほしい。大切な友達を怒らないでほしいと思うばかりだった。


試合の時はあいつは監督の子供、だから試合に出れている、そう後ろ指をさされた。それが嫌で、必死に練習をした。


小学生の時はトレセンというものがあり、県の選抜選手に選ばれる。自分にとってトレセンは後ろ指をさされないようにするための証明をする場所だった。自分に実力があれば、そんなことは言われないなと、だから絶対に選ばれたかった。

自分の兄は東北の一番キーパーとしてトレセンにはずっと選ばれていた。トレセンに行くと、コーチの人たちから〇〇(兄)の弟か!と自分の名前は認知されておらず、出てくるのは兄の名前ばかり。

そんなこともあり、絶対選ばれたかったトレセン。



結果は落選。

当時の僕にはとても辛かったし、悔しかった。
4次選考まであって、3次選考に来ていない選手が選ばれたりなど、最初から選ぶ気なかったやん。なんだそれ。って思ったけど、サッカーは実力世界。上手い選手が全て。認めるしかなかった。

父親には申し訳ない気持ちでいっぱいだった。

今思うと、僕の父親は自分の息子だからと言って試合に出したりするのが嫌な人で頑張ってる選手を出すのが基本ベースだった。だから、父親とコーチの両立をするっていうのは難しいことだったんだなってこの歳になって思います。


そんな気持ちを抱えながら、中学ではキャプテンを務めた。

話をもらった時は正直なんで僕なんだろうか。もっと僕より上手い選手がキャプテンをやるべきだと思っていた。

思春期ということあり、周りからの批判にも敏感になっていた。

でもキャプテンになったからには頑張ろうと自分の欲を押し殺して窮屈な生活を暮らした。

キャプテンは、周りより2倍、3倍頑張らないといけない。
キャプテンは、口じゃなくて行動で表さないといけない。
キャプテンは、悪いことはしてはいけない

そう思い、2倍、3倍自主練を重ねたし、みんなが悪ふざけでやっていることには、注意をしなければいけない立場になっていたし。自分も一緒に混ざって悪ふざけやりたいこともあったし、友達と、はめを外したい場面も何回もあった。

でも自分はキャプテン。そんなことしてはいけない。

結果もこれと言っていい結果を残すことができなかった。

とても責任を感じたし、チームには申し訳ない気持ちでいっぱいだった。

自分を責める毎日で涙を流してしまうほど悩んだ時期をあった。





高校は兄を追いかけ、遠野高校に入学した。

高1はトップチームに入り、兄弟で試合に出ることもできたが、全国に出場することはできなかった。

高2は初めて選手権で全国の景色を見た。

高3は主将を任命されるも、インターハイ準優勝、選手権ベスト4と不甲斐ない結果を残し、プリンスリーグ降格キャプテンの肩書きもついた。



プリンスリーグでは主将なのに、4試合累積で出場停止などと、チームに迷惑をかけた。



大学は富士大学に入学した。

サッカーをまだ諦めることができず、高鷹監督から話をもらい、入学を決めた。

一年目から試合に出て活躍したい。その期待を胸に練習に励みましたが、期待とは大きく外れる現実が待っていました。

一年目からトップチームに在籍することはできたものの、

公式試合出場時間は1年間で約78分

とても厳しい現実を突きつけられた。

でも自分の弱点は明確に分かっていた。

それは自分には武器がないこと。

トップチームにいる意味がなかったし、試合に出てもこれといったプレーをするわけではない。

ただボールを追いかける。

監督からの指示は、相手がばててるところ暴れてかき乱してこい。

内心、俺は犬じゃねーぞ。って思ったり、

正直何もできない自分に腹が立ったし、悔しかった。

はっきり言って、自分は上手い選手ではないし、ずば抜けたサッカーセンスがあるわけでもない。

大学に入って、ずっとこの武器がないことに苦しめられてきた

今でも悩んでいるし、サッカーにおいて一生の課題だと思う。

チームに迷惑をかけたくない、

小、中、高、大学とそんな気持ちを抱えてサッカーをしてきました。

とても苦しい時もあったし、泣きたくなる日もあったけど




「翔瑛は翔瑛らしく」


これはよく母親が自分に言ってくれる言葉です。

自分はこの言葉に何度も救われてきました。

武器がなくても、自分らしいとこを見せればいい

他の人の真似をするんじゃなくて、自分にしかできないことを全力でやろう

これを見てくれている人に少しでも自分らしく生きていこうと思ってくれたら嬉しいです。

周りに左右されずに自分らしく生きていくこと

それがチームのためになると信じて





最後に
ついに本気のサッカー人生にもピリオドを打つ時がきました。

大好きな仲間とラストサッカー

ラスト1年、みんな頑張るよ







次回のnoteは富士大1の暴れん坊将軍!原田じょうい君です!



お楽しみに!!


































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