エッセイ⑲「カエルの大合唱祭」
よく田舎住まいの人が「夏の夜はカエルの合唱がすごいよ」と自慢げに言う。
実のところ、それは田舎であることの「たとえ」みたいなもので、「同じこの日本の同じ夏の夜に実在する世界なのだ」と本当に知っている都会人はどれほどいるのだろう。
わたしは東京タワーのふもとにも住んだことがある。
そして今は福島県の賑やかなところからは少し外れた田舎暮らし。
深い山奥ではないけれど、子供の頃はもっとあちこち田んぼばかりで、入道雲が立ち上がる夏の青空を背景にたくさんのとんぼが飛び交っている、絵に描いたような田舎だった。
だから、どちらの世界の夜も知っている。
並立した同じ時間の流れる夜でも、頭にイメージするものは全然違う。
そう、カエルがなぜ多いって水場があるからだと思う。
田んぼには水が張っている。当たり前だけど、田んぼが多いということはカエルがたくさん住めるということ。
実際に犬の散歩で田んぼの横を通りかかると、おたまじゃくしが慌てて苗を縫って泳いでいく。
なんならカエルになった時よりもずっと素早くて、あれが成熟しない子どもの状態だなんて信じられない。
そして日が暮れると、本当に夏の毎夜がカエルたちの音楽の祭典だ。
彼らは人よりも雄弁に夏を語る。
命の限りを歌に捧げる。
枕元の窓を開けて眠るのは、わたしが彼らの観客になるのを楽しみにしているから。
寝そべりだらけながら大合唱祭に招待いただけるなんて、贅沢だ。
カエルはひと夏の間に、どれほどの命を産み出すのだろう。
田んぼに今日もうじゃうじゃいたおたまじゃくし。
年末になると流れる「第九」を思い出す。
カエルにとったら、夏こそお祝いすべき1年のピークに違いない。
大勢のカエルたちがはち切れんばかりに「喜びの歌」を歌っているのを想像して、カエルの世界は今、すごく景気が良さそうだなあ、なんて思う。
雨が降った日にはますまずお祭りは盛大。
今夜も夜通しお祝いしているカエルたちの声を聞きながら、わたしはひと足早く眠りにつきます。