身体にめっちゃありがとうをしている。
今日の昼間は、私の師匠(通称:お地蔵さん)との、定期的な語りの時間でした。2年以上前から、月に1度はこの時間を持っていて、今はオンラインなんだけど、これがとてもわたしにとっては大事な時間なのですよ。わたしをサウナに送り込んだ、年下のお師匠さん。
わたし今、インテグラル理論や、ソマティック心理学(様々な心理学の領域や、それ以外の脳科学・哲学・文化人類学・身体学などの中から、身体性という切り口で再構成された心理学の理論体系)の勉強をしています。いくつになっても学ぶことが尽きなくて本当に楽しいが時間が足りないわあああ
じゃなくて。もうなんだか、学び進めるごとに、これまでの人生の、自分の身体性や身体の扱いに対して、詫びたい気持ちでいっぱいになっておるのです。
わたしの身体ってば、すごかったのに、ずっと「めっちゃ過敏でいつも具合悪くて取り扱い面倒なやつ」と思ってて本当にごめん。いつも思考や感情よりも低く扱ってきてごめん。ちゃんとめっちゃわかってたんやね。ひどい扱いしてきたわほんまにごめん。そしてありがとう。
ここでも書いたんだけど、最近は、カウンセリング中も、わたしの身体性を思い切って(以前よりも)信じるようにしています。
身体は精神の器、だけどすべてを知っている。思考や感情ではわかっていないことも、実は身体は掴んでいる。そこに耳を澄ませば、色んなことが見えてくる。あたりまえのことなのに、これがなんだかちゃんとはわかってなかった。
そんで今日、師匠と話してたのが、
「我々は、身体の声を無視する訓練を受けてきている」
ということ。
疲れる →鍛え方が足りない
しんどい →根性が足りない
あっちが痛いこっちが痛い →痛み止め飲んで貼って頑張れ
なんか不調 →気のせい、気にしすぎ
これ全部言われて育ってきてるし、もはや自分の中に取り込まれすぎて、しんどくても自分で自分に言い聞かせちゃってるし、何なら、疲れてるとか眠いとか、それこそビジネスパーソンとしての名誉!みたいなところありますからね。地獄のミサワかよっていうね。
思えば、若い時は無理できたなという観点もありますが、我慢したりすることがめっちゃ普通で、とにかく自分が我慢すりゃいいんだという感じで生きていたなと思っています。
それはけっこう、自分に対する感度を最大限下げている状態で生きるので、体調が少々悪かろうとニッコリ笑顔で笑えたりもするわけですが、いま思うととてもしんどい生活をしていたなあと思います。
師匠、ほんまそれな・・・
自分が我慢すりゃいい。感度を最大限下げていれば耐えられる。ニッコリ笑顔で生きられる。
つれーわー
自分の身体の声を無視してロボット化することが
正だと思ってるなんて
つれーわー
ロボットになりたいんですかね?わたしたちって。身体の反応を封じ込めて生きてて、ロボットに近づこうとしていて、それでいいのかな。
最初の会社で、あまりに色々なことが辛かった時に、同期の仲の良かった女の子と「鈍感になろう」「鈍感力を鍛えよう」って言ってた。敏感だから悪い、感じ取るからしんどい、だから感じ取らなくしよう、って。
生き延びるためには賢い戦略かもしれない。でも、彼女もわたしも、そこで生き延びることは辞めました。彼女、大好きだったんだけど、元気にしてるのかなぁ。
そんなわけで、身体にアンテナを立てて身体性を高めることに今めっちゃフォーカスしています。サウナに出会ってから、強制的に身体に意識を持っていけるようになり、苦手意識のあった瞑想もとても好きになってきた。過集中を起こすと身体感覚が全然なくなってしまう発達グレーゾーン丸出しなわたしだけども、今わたしの右首~右手首はちょっと痛いし(PC仕事しすぎ)、肩も血流が悪くこっているし、睡眠不足でちょっとふわふわするし、ということに意識を持っていけている。
そんなわけで明日から、オフラインで修行してきます。思考を切って、身体と感性を大いに羽ばたかせてくる。楽しみ楽しみ。
読んでくださってありがとうございます。力が抜けたり元気が出たり、人間ってそんなもんかーと思ってくれたら嬉しいです。