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年の内に春を向へて初ツ梅の [くずし字を学ぶ 2]

去年、もっとも自分の努力を実感できたことは、くずし字が読めるようになったこと。

『妖怪草子 くずし字入門』によってひらがな書きの黄表紙はだいたい読めるようになったので、漢字を覚えるべく、義太夫正本を読むことにした。オンラインで正本が閲覧できて、翻刻が出ているもの(=答え合わせができる)の中から、好きな曲でなんとなく詞章を覚えているものにしようと思い、『絵本太功記』六月十日の段、『新版歌祭文』野崎村の段、『ひらかな盛衰記』松右衛門内・逆櫓の段を読んだ。

『絵本太功記』六月十日の段(左ページ後ろから5行目頭より)

絵本

『新版歌祭文』野崎村の段

野崎村

『ひらかな盛衰記』松右衛門内・逆櫓の段(右ページ後ろから2行目末より)

ひらかな

これらの義太夫正本は、早大演劇博物館、東大黒木文庫などのサイトに超高解像度画像でUPされているので、それをダウンロード→pdf化してDropBoxなどのクラウドにUP→pdfをプリントアウトして、書き込みながら読んでいく。
大学が国文学専攻だったら、くずし字を精度高く効率よく学ぶ方法を授業で教えてもらえるのだろうが……、残念ながらそうではなかったので、我流。効率悪いやりかたをしてるんだろうなーと思う。ターゲットにしているのがまだ読みやすい近世の版本でよかった。

昨年末iPadを買ったので、調子こいて「iPad上で手書きで書き込みしたらカッコいい!」と思っていたのだが、翻刻に必須の作業「複数ページを高速で見渡す(読めない文字が出てきたとき、前後のページに同じ文字がないかを探す)」がものすごくやりにくくて、即座に紙に退化した。紙に直接記入しておくと、いろんな曲のいろんな部分を簡単に見返せて、便利。
ツールの運用でいうと、iPad、iPhoneなどで別の本のpdfを参照することが頻繁にある。ベースにしている本に印刷かすれや破れ等がある場合、他の図書館が所蔵している本を参照すると、鮮明に写っていることがあるのだ。そいうとき、DropBoxは拡大表示がしやすいので、便利。クラウドに参考資料をUPしておくと、いつでもどこでも勉強できるのは、良い。
iPadのあまりの便利さに魅了され、そのうちiPadProも欲しいと思っているので、大画面タブレット2台体制になれたら、やり方は変わっていくかもと思う。

↓ こんな感じで書き込んでいってます。

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義太夫正本を読む上で難しいのが、俗語や上方特有の言葉。くずし字の文章は文字を1文字1文字読んでいるわけではなく、読めない文字は前後の文章から類推しながら、虫食いパズルのように読んでいく。しかし、現代では使われない俗語や上方特有の言葉、当時の流行語、くずれた言い回しの場合、その類推がしづらい。
野崎村だと、冒頭に登場する手代小助の台詞が難しい。実際の上演では「粗暴な口調でまくし立ててくる」くらいにしか思っていなかったが、くずれた言い回しが多用されているため、文章で読むと何言ってるかまじでわからん。「わやひん」「銅脈」「泥亀」「品玉」「めつきしやつき」「ひんこ」、このあたり、舞台だと人形が演技しているのでなんとなく理解できるけど、文字を一文字ずつ読んでいると反射的に理解できないので、くずし字を正しく読めているのか、それとも読み違えているのかがわからない。『近世上方語辞典』はそういった言葉がたくさん掲載されており、くずし字読解の助けになる。一家に一冊、『近世上方語辞典』。

一方、『絵本太功記』だと、さつきは武家の奥方らしい折り目正しい、漢語を多用した喋り方をするので、それはそれで難しい。それと同じようなことで、大序などによくある、古典引用の文章。その引用元の古典の知識がないと結構大変。

あとは人名・地名などの固有名詞は、文脈から類推ができないので、難しい。実はこれが一番引っかかるかもしれない。

と、難しいと思うことを並べ立ててみたが、これらのことは、文字読める読めない以前の、古典や近世文化の教養有無の問題だなと思った。


いろいろ読んでみて思ったのが、「活字はありがたい」ということ。現在の楷書体の活字はとても単純、シンプルで、相当に読みやすいと思った。毛筆手書きで、かつ崩れた文字は、書いた人個人のクセがあるため、その人の書き方に馴染んですらすら読めるようになるまで、結構時間がかかる。
現代の日本語の読みというのは、1文字ずつの形状をパターンで覚えて読んでるんだな。「文字が読める」というのは、1文字1文字が独立した活字によることが大きいと感じた。古い本にはくずし字を活字化しているものもあるが、文字が繋がっていたとしても(連綿体になっていても)、文字の形状パターンが単純なので、少し追っていくだけでパターンを読み取れるようになり、読めるようになる。毛筆の文章というのは、活字のように1字ずつで認識する読みとはセオリーが全く異なっているので、「文字が読める」ようになるには新たな技術が必要だと感じた。

また、様々な文章を読むにつれ、くずし字を読むには旧字の教養が必須だなと思った。旧字になじんでいないと、そもそもくずれる前の文字が類推できない。高校生のときに旧字旧かなの本を大量に読んでいてよかったと思った。当時は若者らしく夢野久作や江戸川乱歩、小栗虫太郎などをたしなんでいたが、それらの作家の作品の中には旧字旧かなでしか出版されていないものがあった。とにかく全作品を読もうと思っていたので、わからない文字は一つずつ漢和辞典で調べながら読んでいた。いまとなってはそれらの作家に興味はなくなってしまったが、旧字旧かなの読み書きや、古い言葉遣いなど、あの頃読んだ本はいまの自分の助けになっている。


こういった読みなれるための勉強と並行して、もともと読みたいと思っていた『女舞剣紅楓』(早大演劇博物館蔵)を少しずつ翻字している。半年前にはまったく読めず、読めるようになるとも思えなかったものがある程度読めるというのは、驚きである。
もちろん、翻字したものをどなたかに添削してもらっているわけではないので、自分の翻字が合っているかはわからない。時間をおいて見直すと読み間違いが多数見つかったり、逆に、読めなかった部分が読めるようになっていたりする。まだまだスキルが不安定なためだと思う。
とはいえ最近はだいぶ慣れてきたので、それなりの速度で読めるようになってきたし、読めない漢字を類推するテクニックも習得してきた。これをやっているからって何がどうなるわけでもないが、勉強っていいなーと思った。


以前の記事にも書いたけど、くずし字を勉強したことによって、美術館・博物館の展示物が読めたり、特に近世の本をそこそこ読めるようになってきたのは、かなりの進歩。twitterで古文書の画像+内容要約のツイートが流れてきても、「お、この人、自分ではこれに何て書いてあるか読めず、なんかの資料をいい加減に孫引きしてるな」と、精度の低いツイートを判別できるようになった。そういう粗悪な情報を判別できるリテラシーが上がったのは、良かった。
菅秀才の言葉「一日に一字学べば三百六十字との教へ」は本当に本当だと実感している。

↓ NHK for Schoolの『菅原伝授手習鑑』寺入りの段、「一日に一字学べば三百六十字との教へ」の箇所の素浄瑠璃演奏動画。

でもこれ、うしろの衝立に書いてある文字、道行初音の旅の「雁と燕はどちらが可愛ひ」のところじゃない? 子ども向け映像なんだから、使い回しはよくないなァ。演奏している曲と後ろの文字をちゃんと揃えて欲しいなァァァ〜。(義太夫文字も読めるようになって調子に乗り、無理難題を押し付けはじめる人)


※文中の引用画像はすべて東京大学教養学部国文・漢文学部会所蔵物。

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