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記憶を辿って今を生きる
1月17日。
阪神・淡路大震災から27年。
この日のことは、鮮明に覚えています。
早朝 5時46分。
まだ夜が明けていない時間帯。
ゴォーーッという地鳴りが聞こえて
「ん??」と目が覚め
うっすらと目を開けた瞬間に
下からドン!!っと突き上げる縦揺れ。
ドッドッドンッドンッと立て続けに起こったかと思えば次は横揺れに。
動くことは何ひとつできず、、
ふとんを頭からかぶり、ただただ揺れが収まるのを待つしかありませんでした。
もうダメか、、もう終わってしまうのかな...と思いました。
住んでいたのは兵庫県ではありませんが、尼崎から程近い場所。
周りは古い木造家屋が多く、全壊、半壊になったお家もありました。
当時、今住んでいる家ではありませんが、目の前の文化住宅に。
父も生前。
母も病気を患う前、まだ目も見えていた頃。
ひとつの部屋の真ん中に三人集まり蹲っていました。
とにかく揺れが凄くて立つことさえも出来なかった。
◇
まだ夜が明ける前なので外は真っ暗。
もちろん停電。
ガスは止まる。
幸いなことは断水しなかったこと。
でも、ある程度落ち着くまでは使えませんでした。
揺れている間、タンスやテレビ
ステレオは倒れたり、移動してしまってたり。
本棚は斜めに傾き、本はバラバラと落ちる。
ちょうどその近くに父が寝ていて、揺れた瞬間、とっさに起き上がってその場所を離れていたのでよかったです。
そのまま横になったままだったら、本の下敷きに...。
あと、一番残っているのは『音』。
物がぶつかる音。
物が上から落ちる音。
そして、一番怖かったのは食器棚のガラス扉が割れ、食器がほとんど落ちてガシャンガッシャンと次々と割れる音。
小さな窓ガラスは枠ごと地面に落下していました。
外は真っ暗。
慌てて懐中電灯を取って照らす。
ラジオをつけて聴いても情報、状況はわからずで。
一度揺れが収まったと思っても、また余震が何度か続きました。
でも、じっとはしていられない。
外が薄明るくなってきてから動き出しました。
何から手をつけていいのかもわからないほど。
ガラスの破片もあるので足元にも気をつけながら、少しずつ片付けを。
ご近所さんにも声をかけました。
◇
姉は結婚して遠く離れた場所に住んでいて、心配で何度もお互い電話をしましたが、なかなか繋がらず、声を聞けた瞬間は涙が出るほどの安堵感。
電気が通り、テレビをつけて見たその光景、衝撃は今も忘れられません。
またいつ大きな災害が襲ってくるのか。
今はひとりで住んでいるので、怖さは計り知れないけど...。
今は携帯、スマホがあればすぐ「リアルタイム」の情報がすぐ入ってくる。
とても大切なことですね。
常に意識して今できること、
防災の知識を得て備えなければいけません。
自分だけじゃなく、たいせつな人を守るためにも。
◇
1月17日。
5時46分 黙祷。
阪神・淡路大震災。あの日から27年。
忘れない。
忘れられない日。
今日、命があること。
生きていることに感謝です。
明日からもまた精一杯生きる。
あまりチカラを入れ過ぎず
自分のペースで。
◇
今日、お誕生日の方もいらっしゃいますね。
わたしの友人の娘さんも。
悲しみだけじゃない。
毎日が特別な日。
お誕生日おめでとうございます。
そして、
昨日はたったひとりの姪っ子の誕生日。
おめでとう。
早く会いたいな。
わたしも元気でいないと。