極意は半分だけ受け入れる
今日は4月1日入社式を行う会社がほとんどでしょう。おめでとうございます。いよいよ今日から社会人ですね。どんな気持ちですか?晴れやかな気持ちでこれから社会にでて働き始めることに胸が高鳴っているのではないでしょうか?
入社式では会社が求める人材はこんな人だよ、社会に出るとこんなことがあるけど、頑張りましょうなどと恒例の訓示があるものです。これから新しい人生を歩き出す人にとっては未知なものばかり。未知なものには不安がつきまとう。だから、人から言われる言葉をそのまま吸収してしまうことがあるように思います。
幼少期の教育にモンテッソーリ教育というものがあります。モンテッソーリ教育とは、子供が自分でやってみたいと思う心を大切にして教育していくメソッドです。そのための環境を整え、やりたいことを自由にやらせる。自分の成長を自分で選択することを是としている。このメソッドの中に「集中する時期」があるといいます。その集中する時期はいつかというと、新しいことに出会ったとき。その時期は、自分でも意識せずに行動してしまう時期だそうです。例えば、こんな話があります。蝶は、卵から生まれると誰にも教わらずに葉っぱを食べ成長する。けれど、生まれた場所にある葉は固くて食べることができない。どうやって自分が食べられる柔らかい葉っぱを選択するようになるのか。生まれたばかりの幼虫は光に反応し、光の差す方向に向かって移動を開始する。そうしてたどり着いた先には、自分が食べられる若くて柔らかい葉っぱがある。それを食べ成長する。生まれたばかりのときに必要なものは本能が教えてくれるということです。
新しい門出は嬉しいという感情が、自分を高揚させています。初めて社会人になったときの感情は忘れないでほしいと思います。このフレッシュな気持ちのとき、自分で学びたい、吸収したいという意欲が湧いているのではないでしょうか?モンテッソーリ教育でいうところの集中の時期です。この時期は、意識せずに自分が必要な知識を吸収してしまう時期です。自分の経験から考えると細かいことは忘れてしまうけれど、この時期に学んだこと、学びから吸収した思想的なことは、かなりの年月を経ても覚えているものです。人の記憶は感情が伴うと記憶に定着しやすいというデータもあるといいます。モンテソーリ教育でいう集中の時期は、新しいことに出会った喜びの感情があるからこそ、覚えたことは記憶定着しやすいのかもしれません。
これから、社会生活を営む上で基礎となることを学んでいきます。集中の時期は、いろいろなことを吸収でき、記憶が定着しやすい時期ではありますが、理不尽なことを理不尽と思わず鵜呑みにしてしまう可能性もある時期とも言えます。わたしが社会人になったときは昭和時代でした。理不尽なこともそのまま当たり前のことのように教えられた時代でした。
これからの時代は、仕事とプライベートのバランスをとって、自分自身の価値観を軸に人生を歩むことができる時代だと思います。
このフレッシュな感情が高まっている時期だからこそ、すべてを鵜呑みして吸収するのではなく、半分だけ吸収して、残りの半分は客観的に俯瞰の目で見るように心がける方が良いとわたしは思います。
新しい門出、おめでとうございます。
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