不安と羞恥こそ、人生の大敵
2025年1月1日
あけましておめでとうございます。
お正月から自分で設定した〆切に追われながら年末年始を過ごしています。
1月19日(日)文学フリーマーケット京都9に自作ZINEを出品するとあちこちで宣言しているにも関わらずまだ執筆中で間に合うのかどうか不安?に過ごしています。たぶん、心のどこかではなんとかなると思っているのですが…
2025年はどんな年にしていこうかと年末年始のジルベスターコンサートをテレビで見ながら考えていました。昨年までやるやると宣言してなんとかこなしてきてはいても、クオリティが満足のいくものではありませんでした。周りから、良かったよと認めてもらえるところまでクオリティを向上させようと思います。
そんなことを考えながらネットを見ていたら、わたしのライティングの先生が「自信」ということについて考えていると書いているではないですか。そうだ、自分も「自信」それについて考察してみます。
「自信」をWeb辞書でひいてみると、自分の価値・能力を信ずること。自己を信頼する心(by Oxford language)とあります。自信がないとよく聞くけれど、たぶん、自分の能力を信じていないという人はいないのではないか?とわたしは思う。
「自信がない」という言葉の中には、未来に対して不安があるというニュアンスを含んでいるように思うのです。
わたしはお客様相談室という部署で働いていますが、クレーム対応をしているときによく思うことがあります。「このお客様は不安でしょうがないからしつこく聞いてくるのかもしれないなあ、不安を打ち消すために怒りの感情を爆発させているのかもしれないなあ」などと気が付くことがあるのです。そして、不安を取り除いてあげるような言葉を発すると、質問を繰り返す人はしつこく聞いてくることがなくなり、怒っていた人はすこしずつ冷静さを取り戻していくことを何度も経験しています。
自分の能力を信じる心が自信なのですが、自信がないというとき、能力を信じていないのではなく、漠然とした未来に対する不安が、自信がないという言葉に置き換わっているのではないかと思います。
人が悩むときの原因は、不安と羞恥の二つの感情によるところが大きいのではないかと思います。恥ずかしさを悟られたくないから怒りの感情を爆発させて胡麻化しているということもあります。不安を解消したいから、しつこく質問をして相手を辟易させてしまうといったこともあります。
自信がないなあと思ったときに考えることは、不安と羞恥をどう払拭するかを考えていけば、自ずとその答えにいきつくのはないかなあと思います。
そんなわけで、
1月19日(日)文学フリーマーケット京都9で
自作ZINE「お客様相談室は今日も晴れ」 出品します。
内容は、わたしが経験してきたお客様相談室に電話してくるいろんな人のお話です。