根本的な音楽に対する考え方。そしてやりたい音楽
頭がパンクしそうになっている
人間はPCではないので何個も同時に考えたり覚えたりすることはできない
よって、こんなところに書き出して後から見返そうと思う
もうちょっと場所を選んでアウトプットするべきなんだろうけど
いかんせんもうパンク寸前なわけで
選ぶ作業すら億劫なので手軽にnoteでって頃合いだ
今回、この記事で吐き出したいのはフジ(藤井陽平の愛称)の音楽に対する根本的な価値観と今後やりたいことだ
いや
もはや固定観念というか独断と偏見というか…
まぁそんな感じだ
今音楽を制作している理由になっているものをここにゲロっていきたいと思う
音楽の価値観
ここからはかなり個人的な考え方だ
あくまでフジの考え方であってみんな違っていいと思っている
ただ、
フジって生き物と音楽がある場所で戯れる場合
ちょっとだけ扱いやすくなるかもしれない
そんくらいの話と受け取ってほしい
考えを簡潔にいうと
音楽の価値は「その人の思い出に依存する」である
「音楽は記憶のスイッチ」なんて言い方もされるが
かなり同意している部分がある
人間は10代で音楽の嗜好性が固まるというデータもある
多感な時期に接した音楽がその人の嗜好性となるということだ
音楽の価値が思い出に依存している典型的な例だと思う
10代に聴いた音楽以外の例を出すと
感動した映画やアニメのテーマソング、好きなアーティストの楽曲、恋人と聴いた音楽などなど…
かなり思い出に影響されている部分が多くはないだろうか?
もしかしたら無意識下での記憶の影響もあるかもしれない(お国柄、生活環境etc…)
音楽そのものの質に関しては言うまでもなく大事だが
継続的に聴いてもらう要因として思い出が深く関わっているように思う
また、常にフレッシュな音楽的刺激を求めているような人もいる
新しいことを覚えるという行動はめちゃくちゃ脳みそが喜ぶ
家系ラーメンを食べたときくらい喜ぶ
もし、この手の音楽の楽しみ方をしている人(フジってやつ)も
新しい音楽に出会うと脳みそが喜ぶという思い出を基に楽しんでいるように感じる
やはり思い出と音楽は切っても切れないのかなと思う
これがフジの音楽の価値観だ
大事なのでもう一度言わせてもらうと
あくまでこれは個人の主観的な考え方で万人共通ではない
むしろ違ったほうがおもしろい
余談ではあるが
僕はお金の為にただただ機械のように音楽を作り続けた経験がある
量産に次ぐ量産
まるで工場のようだった
その経験があるからより音楽の「思い出」の部分に思い入れがあるのかもしれない
共同制作による音楽体験の共有
まぁなんとも小難しいタイトルですこと
なんのことはない
ただ単に「一緒に音楽作れば思い出になるよね?」
という意味合いだ
この章で書きたいことは、前章で書いた音楽の価値=思い出の考え方に基づいて
「どういう音楽制作、活動をしていきたいか?」
というフジの方向性
察しのいい方は既にお気づきだろうが
僕は共同制作によって音楽の思い出を構築する活動をしていきたい
ただひとえに
「音楽一緒に作りましたさよなら~👋」
みたいな活動だと全く意味がない
そこに喜怒哀楽が無ければ
せっかく作った音楽が誰の記憶にも残らず一瞬で消化されていく
そんなもったいない音の使い方はこりごりだ
ポイントは
・上手い下手は関係なし、そこはフジの技術力。とにかくラフに
・何年か後に笑ったりしみじみできたりするような作品にしたい
・もはや音楽ができなくてもいい。作って欲しい動機があり、作品についてマメに話し合いができるなら
定義すると難しいのだが
要するに「思い入れのある場面での音楽制作を一緒にやりたい」
とまとめられると思う
すごく感覚的なところなのでもしなにか思いついたら相談してほしい
と、これだけ言ってもなんか取っ付きにくいのが本音だろう
だけどほんとに気負う必要はない
なにかを表現するのは壁がある
最初は恥ずかしいし
でもその恥ずかしいって感情も思い出になる
悩むことだってそう
めちゃ上手いな~もそうだし
なんならめちゃ下手くそもそう
全て音楽に関する思い出になる
繰り返しになるが、思い出は僕の中では音楽の価値だ
だからいろんな邪魔な壁を取っ払って
ガチな人も素人さんも分け隔てなく丹精込めて制作していくつもりだ
任せてもらえればそれなりのクオリティに作品は仕上げる
そして、この活動こそが
「フジのやりたい音楽制作」
であって
つまるところ僕がやりたい音楽なのだ
なんとなく意図を理解して頂けただろうか?
作品の完成形
さてさて
前章に引き続き、フジのやりたいことの話になるのだが
僕は前章の思い出のある曲たちでビートライブをしたいと思っている
ビートライブってなんすか?ってなった方の為に参考動画をいくつか
こんな感じのパフォーマンス
DJとの違いは多彩なエフェクトをリアルタイムでかけられるところと自前の音源が使えるところ
作り上げた思い出曲たちをSP-404という機材に入れて、ライブしちゃおうという寸法だ
ちなみにSP-404とはこちら
これポチった
ビートメイカーはもはや御用達
僕はソフトでの制作だったので購入
まぁそこはどうでもいいとして
これで晴れてビートライブができるようになった
なんだかライブ中の空間を想像したら楽しそうだ
著名なアーティストの空間とはまた違うのだろう
生ぬるくて泥臭くて人間味があって、きっといろんな感情が交錯する気がする
こんな音楽の形があってもいいと思う
たぶんかっこつけないかっこよさになる気がする
元々、ラフさが取り柄みたいなもんな僕には向いているのかもしれない
思い出曲を丹精込めて作る→SP-404を通して吐き出して共有
これでひとつのアートワークの完成としたい
以上がフジのやりたいことだ
決めたならあとは精進するのみ
いい出会いがあることを期待している
最後に
ここまでお読み頂きありがとうございます
今回の記事は「考え方→やりたいこと」って流れで書いていった
ザックリではあるがやりたい作品の内容的な部分をまとめられたと思う
しかしながら、どんなアートにも言えることだが
「完成した!はい、終わり」
ではなんとも切ない
その奥ゆかしさが美しいとこもあるが
昨今はそういう時代ではないように感じている
今後はこの作品をどう伝えていくか
どのように認知してもらって
どのように応援してもらえるようになるか
このへんを熟考していきたいと思う
こうやってなにかを考えることは楽しい
おそらくこれからもずっとそうだろう
今回のアウトプットで脳みそに空きができた
また次に進もうと思う
最後に僕のアイコンを載せて終わりにしたいと思う
さようなら!!!!!!!
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