豊島美術館、すげぇ
瀬戸内海に浮かぶ豊島
そこにある豊島美術館に行ってきた。
【空間の説明】
一つの大きな空間、天井に円形に切り取られた箇所が2つ、そこから陽の光が差し込む
音が響くようになっていて、カラスの声や水の音、鑑賞者の物音が反響していた
鑑賞者は靴を脱いで建物へ
小さな穴、釘の頭ぐらいの穴から水が出ている
それもあちらこちらから、不規則に。
大きな穴、1円玉くらいの穴から水が落ちていく。
その他には水を吐く玉と水を吸い込む皿
水は溜まったり、流れたり、くっついて大きな溜まりになったり。それを繰り返す。
中央付近に上から糸が垂れている場所が2ヶ所
【感想】
この作品に対して私が感じたことは
有機体の因果である。
人間の営み、共同体の盛衰などだけでなく、大地の形成といった地球の動き、この瞬間も自然界で起こっている機微。
それがゆっくりと水が吐き出され、膨らみ、僅かな傾斜を流れ、穴から滴ることで表現されてると感じた。
ありとあらゆる有機体の作用と反作用、それによる因果で歴史は作られ、ときに私たちはそれを運命と呼んだりする。
それを有機体が最初に生まれた「水」という物質で表現する。
そして天井に空く円形の穴から差し込む円形の陽の光。明らかに光と影で空間が切り取られている。光には鑑賞者は入ろうとしない、何も書かれていないが入るべきではないことを共通して認識している。
そこにも水が模様を作っていて、それは惑星を宇宙から見たときのようにも見えるし、顕微鏡で細胞や微生物を見たときのようにも感じられた。
惑星と微生物。巨大な有機体の塊と極小の有機体、結局は有機体。大抵のことは有機体の繋がり。長い時間の中で「今」を形成している。
そして、建物に入る前に靴を脱いだこと、作品には触れないようにと言われたこと。
靴を脱ぐ理由の一つとしては
足音が目立つため水の音が掻き消されてしまうからだろう。
作品に触れてはいけない、は美術館ではあたりまえだが、この空間における作品とはどこまでなのか、玉や皿などはもちろん作品だが、床や壁はどうだろうか、水は?
おそらく建物に入る前に言われた注意事項からして、このインスタレーションの中に我々はいるが、我々も含めて作品としているわけではなさそうだ。作品と同じ空間に存在しているが、繋がりは無く、作品を俯瞰的に自由に見て回ることを許可されている。
これは僕が感じた作品の意図において必要な要素である。それは、我々を取り囲む有機体の因果は小さなものの壮大な積み重ねであり、1人の人間が干渉し影響を与えることはできないというメッセージだと受け取った。
実際、僕を含めその場の鑑賞者は、息を吹けば水をより早く、思うままの方向に進めることもできたが、誰一人それをする人はいなかった。
その行為のおこがましさを感じされるものがあの空間にはあった。
あの空間には設計者がいるが、そこで起きている水の動きについてどこまでが意図されているのか、それを知ることはない。
我々の周りで起こる因果についてどこまでが意図的なのか知ることができないように。