執着をしない人

執着と依存性は、厄介な代物である。恋愛においてこれらは、たぶんに活躍し暗躍する。執着してないものに人は依存していないし、依存のないものに執着はできない。

 例えば薬物。この場合、執着は精神的なものと捉えられる。依存が日常的になった場合、執着という形で帰結する。安心がほしい、気持ちよくなりたい、今を忘れたい、理由はなんであれ薬物を欲し、トリップしたがる。アルコール、タバコにおいても同じことがいえる。

 人間関係で執着と依存性を人為的に作り出せるか、という実験をした人を知っている。結果としては9割の割りあいで可能である。
 どうしても執着と依存のしない者に、お互いがなくては生きていけない状態まで極め飽和時点まで達する。
 結果としては時期が過ぎればまた被験者は、当たり前だがいつも通りの状態に戻った。

 依存のしやすさは生まれつき決まっているといえよう。性格は年をとるほど遺伝子に作用されがちだが、性質もまた比なるのだ。アルコールを摂取させても、依存症にかからないことが判明した。被験者は一日ウィスキー一瓶飲んでた状態から、酒を一切飲まない生活をいきなり強いても苦痛ではなかったという。

 何にも執着をしない人はまた、ストレスも少なく老いにくい。努力が報われないと嘆くこともなく勤勉に学び、やった分の結果が返ってくるのは当たり前だという。不平・不満を口に出すことも稀だと。ある意味チートな存在である。頭の回路が大きな問題を抱えることなく、なににも左右されにくい。ある種の遺伝子異常ではないかと疑ってしまいそうだ。

 さて、今日のご飯はなんだろう。労働のあとの飯はうまい。

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