人生を楽しむ
悲しさの果てにあるものは、やはり苦しみだと思う。そして忘却。そうやって人は忘れて生きていく。あのとき辛かったことも諦めたことも忘れながら、くるくると回って人生を送ってく。
いきなりだが、わたしはなにかをしている「ふり」が得意だ。傷ついてるふり、笑ってるふり、申し訳なく思っているふり。本当はなんとも思ってない。興味や関心がないのもあるし、ただその場をやり過ごしてるだけというのもある。心からなにかを願ったり、思ったり、やり通そうとすることが希薄な子である。
わたしは小5の頃から「あとは死ぬだけ」と思っていた。あとは死ぬだけ。それでいい、と。それ以上はなにも望まない子供だった。
けれど人生あとは死ぬだけなら楽しもうと言う余暇が生まれた。いつか死ぬなら楽しめばいい。楽しんだぶん苦しんで、傷ついて泣けばいい。そうやって死んでいこうと。まだまだ人生は途上中なのだ。ワクワクすることを忘れては、老いさばらえては美味しくない。
人生を美味しくいただこう。それには知識というスパイスや学という料理法がある。
恋という隠し味も。わたしの見聞はぶわりと広がって目の前に飾られていた。
わたし一人がいただいてはもったいないから皆さんもご一緒にどうですか。