翡翠と瑪瑙
その人の視界に入りたくて、今日もわたしは背伸びをする。日に焼けた肌、豪快に笑う顔。二年先輩の彼はわたしの憧れだった。
「翡翠は夢を見すぎなんだよ」
瑪瑙はそういう。
「男なんてみんなオナニーしてやりたいだけの猿なんだから。」
キレイな瑪瑙の口からとんでもなく卑猥な言葉が出てきて、わたしはからから笑った。
「大丈夫。ちゃんと分かってるから。」
瑪瑙は目を細めてわたしをみた。
「本当にわかってるの?致すってどういうことか。」
わたしは曖昧に笑う。たった14歳で分かるわけないのに。それは瑪瑙だって一緒なのに、瑪瑙はまるで分かりきったような口で言う。
「瑪瑙には分かるの?」
瑪瑙といるとわたしはまるで子供だった。口答えするように聞く。
「翡翠、男みる目ないから。」
わたしは戸惑って、分かったって言う。瑪瑙がそういうからやめるよ。
「ほらね、全然わかってない。」
瑪瑙は呆れ返ったように林檎をつついた。綺麗で美人な瑪瑙に言われると、どうしても逆らえない。おまけに彼女はスタイルもよくて、生まれたときから婚約者までいる大金持ちなのだ。頭だってもちろんいい。
「でもさ、ちょっとかっこいいなって思わない?」
恐る恐る尋ねると、瑪瑙は鼻で笑った。
放課後の帰り道、瑪瑙とコンビニに寄った。わたしはアイスを買うため。瑪瑙はMONOの消ゴムを買うため。
「いいものはね、普遍的なの。」
瑪瑙は俯いてそういう。まつ毛が長く縁取っていた。
「でも付加価値がつくのよ。それを削ぎ落とさなければ、本当にいいものは手に入らないわ。」
レジへ向かいながら考えたように瑪瑙は言う。瑪瑙の思索の時間だ。瑪瑙はいつも考え事をする。
「翡翠はどう思う?」
思えば瑪瑙がわたしをそばに置きたがるのは、わたしが凡人だからだろう。なにもかも超越した彼女にはわたしみたいな凡人の考えが必要なのだ。
「わたしは…手に入れたいと思うのはそれが必要だからだと思うな」
瑪瑙はうなずく。続けて、という意味だ。レジのお兄さんが瑪瑙に見惚れてる、
「確かにいいものはいつだって需要があるよ。でも人にとって必要か不必要かは個人の自由じゃないかな。」
背後のありがとうございましたーっていうお兄さんの声が熱っぽいのを感じながらわたしたちは歩いた。瑪瑙は電車やバスをあまり使わない。一駅や二駅なら歩いてしまう。考え事をしたいときはいつもそうするのだという。歩くのが一番いいの、と。
「翡翠にとって大切なのは、今日一日を無事に過ごす安泰なのだわ。」
「そうかもしれない。わたしは臆病者だから。」
アイスのパッケージを剥がして一口かじる。わたしにも頂戴という瑪瑙にも一口あげる。綺麗な歯形がついた。
「わたしはひとつでいい。人生でもうこれで死んでもいいというなにかがほしい」
だってせっかく生まれてきたんだもの、と言った瑪瑙の思い詰めた顔を見ながら、「人生が一度なんて分かんないよ」と軽い気持ちで言った。
「確かに死んでみなければそれは分からないけど、だからこそやる価値がある。違う?」
「違わない。」
わたしはいつだって瑪瑙に逆らわない。車がぶおんと横を過ぎ去っていった。
「翡翠にはないの?」
「ないよ」
即答のわたしに、瑪瑙は少し笑って「そう。」と囁くように言った。
「例えば何かしたいのに瑪瑙はそれが何か分からないんだよね?」
瑪瑙は数瞬黙る。
「そうね。でもそれとも違うの。」
「付き合うよ。答えが出るまで。」
答えが出るまできちんと付き合うよ。君が死んでしまわないように。
わたしはにっこり笑った。
「だから心配することはなにもないよ。」