郷
「結婚しないか。」
十年来の付き合いがある郷にそういわれたとき、わたしは「は?」と言い返した。
「お互いもういい年だろ。」
郷とわたしはいわゆる悪友で、いろんな遊びに興じてきた。
「なにいってんの?」
「結婚するならさ、」
お前がいいと思って。俯いていう郷にわたしは笑った。
「なにそれ。全然似合わないよ。」
そんなことを郷に言われるなんて思ってもみないことだった。
「よく考えてほしい。」
それで今日いきなり呼び出されて、告白か。わたしは呆れ返った。
「ちゃんとしたお嫁さんもらいなよ。」
一時期遊んでいた郷とわたしじゃ、まともな家庭を作れる気がしなかった。
「だめか?」
わたしは一瞬考えてしまう。郷とわたしの家庭。朝起きたら郷がいておやすみという日常。もしも子供が生まれたら。
「ダメに決まってる。」
そういうと郷は小さくなって「そうか。」と、だけ溢した。
「現実逃避にわたしを使うな。」
向こう脛をかるくヒールで蹴ると、郷は存外落ち込んだ声で「君ならそういうと思ってた。」などと今さらのようにいう。
「結婚したいならわたしの友達紹介しようか?」
「いや、いいんだ。」
お互い独り身だけれど裏の裏まで知り尽くした悪友とは、そんなきれいな家庭は築けない。それはわたしの描いてた家庭像ではなかった。
「ま、飲みなよ。そのうちお嫁さんが、向こうからネギしょって現れるから。」
そうかなぁ、と郷は酒のコップを眺める。わたしは店員を呼んでお会計を頼んだ。
「いい人、会えるよ」
励ましのようにそういうと、郷は困った顔をした。
「どうして君ってやつはいつもそうなのかなぁ」
財布から金を出しながら、まだ愚痴愚痴いう郷に、わたしはさっさと居酒屋を出た。
結婚なんて考えたこともなかったな。独り言をそうこぼすと、酔ってよたよたと後をつけてきた郷に「送るよ。」といわれる。
「いい。一人で帰る。」
ちょうどよくタクシーがきて手をあげて止めた。
「じゃあね。」
「ああ。」
それきり、郷は行方不明になった。1983年3月27日のことだった。