2024.01.03 Neum - Dubrovnik【クロアチアツーリング6日目】
チェックアウト
朝7時、町が明るくなってきた。そろそろ出発しよう。ボスニア・ヘルツェゴビナではEU域外のためYahoo! JAPANが接続できるので、能登半島地震やJAL機事故などの情報収集をした。
海外旅行中は日本のニュースについての情報収集が難しいが、帰国後に「こんなことも知らなかったのか」と言われないように最低限の情報収集は必要だと思う。
Neum散策
チェックアウトし、主要道路の通っている丘の上へ登っていく。途中で見かけた看板「アパートメント エロ」…?
壊れた家電製品など捨てられるゴミ箱。24時間いつでも捨てられるのは便利だ。
Neumの町は海沿いから標高100mの丘の上まで、高低差が激しい。丘の上も見てみることに。
なぜか電線にクロアチア国旗。
国道M17.3号 23キロポスト。
もっと上にも民家があるようだが、この先は何もなさそうなので引き返した。
電器店を見つけたのでSDカードを購入。残量が少なくなっていたのでちょうどよかった。
急坂を下っていく。
今では住んでいないのであろう、壁がなくなった民家も見かけた。
看板の上にバイク、下にはサンタクロース。
国道M2号に戻ってきた。右折すればSplit、左折すればDubrovnikに行ける。
それではNeumを出発。治安がかなり良さそうな印象だった。
店で買物をしていたら、「自転車で来たんですか?」と聞かれ、「これからDubrovnikまで向かいます」と答えた。ここからDubrovnikまではあと70kmほど。
Neum - 国境
橋ができて旧道になった道ではあるが、今でも古いホテルなど残っている。交通量は極めて少ない。
この日は曇り。
ホテルらしき建物が大量に立ち並んでいる。
少し走ると民家が減り、沿道には住んでいる人もいない。
トイレに行きたくなったのでホテルでトイレを借りる。
ロビーにはクリスマスツリーがあった。
ガソリンスタンドがあったが、ここも橋の開通で売上が落ちているのだろう。地元の山陰地方も無料高速道路の開通でガソリンスタンドやコンビニの閉店が相次いでいるのだが、ここも似たような状況だろう。
廃業したドライブインらしきものもある。
向こう側の島はクロアチア領。
国境の施設が見えてきた。
ここで国境越え、クロアチアへ。
REPUBLIKA HRVATSKA
ボスニア・ヘルツェゴビナ国道M2号→クロアチア国道237号に変わる。入国管理施設より100mほど手前が境目のようだ。
国境の入国管理施設にはEUの旗とクロアチア国旗。
国境の出入国手続きへ。ここでも昨日通過した国境と同じく、酒と煙草の所持の有無を聞かれただけでスムーズに通過できた。
再びクロアチア入国
クロアチアに入ると市街地と高速道路はボスニア・ヘルツェゴビナと変わらないが、郊外の制限速度が90km/h、自動車専用道路は110km/hとなる。
Bistrina湾周辺の観光地図があった。
Bistrina湾周辺
少し寄り道。日本時間では1月3日の夕方であり、高校同期の友人たちは鳥取で飲み会をこれから始めるようだ。自分も誘われていたのだが「海外旅行のため不参加」と回答した。また飲みに行く機会があればクロアチアに行った話をしてみよう。
人を1人も見かけない。とても静かだった。
国道の橋が見える。
海のすぐ横に建物がある。
この先走っても何もなさそうだったので引き返して国道に戻る。
この道は6227号線という路線番号だった。
国道に戻る。
左折してDubrovnik方面へ。
Bistrina Bridgeを渡る。緩やかなカーブなのだがなぜか30km/h規制だった。
向こうにも集落が見える。
Bristina湾を過ぎると上り坂に変わる。
今では人の住んでいいない廃墟。
牡蠣が名産らしく、牡蠣を売っている店もあった。
万里の長城のような城壁が見えたが、これは "Tvrđava Koruna" という名前。
ラジオの周波数案内看板。
INAというガソリンスタンドで休憩。ここでもパンを売っていたので買って食べる。眠気を感じたのでエナジードリンクも買って飲んだ。
国道237号は直進。
バイパスとの交差点に向けて急な上り坂に。
国道8号と合流
バイパスに合流。このバイパスは2022年開通のペリェシャツ橋のアクセス道路。
交差点で左折。自動車専用道路は青色。
クロアチアでは珍しく路面に制限速度がペイントされている。
ここからDubrovnikまではひたすら直進。
峠のレストランで昼食
峠のレストランで昼食。ランチは多くのメニューが10ユーロだった。料理の名前はわからないがとりあえず店主おすすめのものを頼んだら、ハンバーグをキャベツで包んでポテトサラダを載せたような料理が出てきた。
先客がいたのだが、仕事中に立ち寄ったように見える作業着を着た男性3人組だった。日本円で1,600円、ランチにしてはクロアチアの収入水準を考えると高額なのだが、何の仕事をしているのだろうか気になった。
Doli - Banići - Kručica - Slano
峠の下りが始まる。向かい風が強くなってきた。
国道8号沿いは民家も少ない。
山々を眺めながらのダウンヒル。
Slanoの街に入る。
Dubrovnikまで31km、あと3時間ほどか。日没(16時半)とほぼ同時に到着できそうだ。
疲れたときは停車するように、との看板がある。
Slanoという村へ。ここまでほぼ無人の区間を長い間走行していたため、久々に人の住んでいるところに来た。
前方に学校があるので注意、との標識がある。
これまで曇りだったのだが晴れ間が見えてきた。
Slano
Slanoの集落の中へ。久々にコンビニを見かけた。
静かな集落だが、ユーゴスラビア紛争の碑があった。今からわずか30年前はこの辺りも紛争地帯だった。
Slano - Brsečine
Slanoの集落を反対側から眺める。再び峠越え。
これはキロポストだろうか、どこを起点に775kmなのかは分からなかった。
緩い下り坂が続く。
対岸のŠipan島が見える。
Dubrovnikと書いた看板が増えてきて、ゴールが近づいていることを実感。
岩がむき出しの道路が続く。降水量が少ないのでこれでも崩れにくいのだろうか。落石防止ネットは設置されてはいるのだが。
山の方を見ると急斜面。
何でも捨てられるゴミ置き場はいろいろなものが捨ててあった。
Brsečine
Brsečine付近。住宅はそこまで多くはないが、先ほど通ったSlano行きの路線バスとすれ違った。都市間高速バスではない通常の路線バスタイプは久々に見かけた。ここもDubrovnikの都市圏の一部ということを実感した。
Trsteno
Trstenoという村にて。道路下に軽トラらしき車を見かけた。海外で見かけるのは珍しい。
Lopud島が海の向こうに見えた。
Koločep島は民家も見えた。
Orašac
Orašacは標高100mにある山あいの集落。
これからDubrovnik方面に向かう人たちがバスを待っていた。
これもクロアチアでよく見かけるガソリンスタンド "CRODUX"
Zaton
標高100mから一気に標高0mへ降下。
Zatonは海に面した村。海沿いを走る。
ガードレールが黄色だった。
日が暮れていく。
とても怖いガードレール。隙間から落ちる人がいそうだ。
16時半、夕焼けが綺麗。
Lozica
Lozicaという村へ。
Dubrovnikまであと少し。標識が電光掲示板だった。
Lapadという地区の明かりが見える。
Dr. Franjo Tuđman Bridge
Dr. Franjo Tuđman Bridgeが見える展望駐車場があった。向こうにはDubrovnikの市街地が見える。辺りは暗くなっていたが、ダウンジャケットを着用し1時間くらい寒い中写真を撮り続けていた。
デパートや病院、ホテルが向こうに見える。このDubrovnikは人口4万人ほどの都市ではあるが、世界的に有名な観光地であり、周辺に都市がないのもあって商業施設は日本の人口20万人規模の都市(松江市や鳥取市など)並みに充実しているように感じられた。
ここには鉄道も高速道路もなく、「陸の孤島」のような場所だ。
橋を通過。
Dubrovnik
橋を渡ってDubrovnik市街地方面へ。
先ほど通った橋の下をくぐる。
家の隙間から橋が見える。
Dubrovnikのバスターミナル。各地からの高速バスや観光バスが発着する。
スーパーに寄って買い出し。広いスーパーだった。
宿に向かう。アップダウンの激しい街で、宿も丘の上にある。19時に宿に到着した。今日の宿は大学生くらいの1人の日本人観光客も泊まっている。
しかし、疲れてすぐ寝てしまっていた。
起きたら22時だった。レストランを探して夕食に行くことに。
細い路地を歩いていく。
広い駐車場。Dubrovnikは鉄道がなく、車での移動が多いようだ。
これはデパート。
1月3日になってもクリスマスムードが残っていた。
これはクロアチア国旗をイメージしている。
夕食は23時まで営業していたショッピングセンター内のカフェにて。ピザは8.6ユーロ。Dubrovnikは物価が高いことで有名ではあるが、クロアチアの他都市とそこまで変わらない値段で食べることができてよかった。
ショッピングセンター内の様子。営業時間外だったので入ることはできなかったが、おしゃれなお店が多い印象。
ここのガソリンスタンドもリッター230円程度。これでは長距離移動は難しいように思えるが、Dubrovnikでは公共交通機関が発達していないため車で長距離移動するしかない。
クロアチア警察のパトカーがいた。サッカーの試合が行われており、警戒のためだった。
階段を上って宿に戻る。