2023.03.05 宇和島
宇和島~津島
5時半に起床し、7時に宿を出発。宇和島市で初めてのゲストハウス、居心地のいい場所だった。ここを拠点に今後も南予方面や宇和海の離島を走り回ろう。
前に見えるのは宇和島オリエンタルホテル。宇和島市内は大きいホテルが何箇所かあり、次来るときは別の宿も泊まってみようと思う。
国道56号を離れて細い路地へ。
自転車と乳母車を売っているお店。
しばらく国道56号を走り、市街地から離れ旧津島町方面へ。
旧宇和島市と旧津島町の境になっている松尾峠は旧道へ。この道を通るのは2回目。
松尾峠の旧道は2車線。現代の2桁国道にしてはスペック不足だが、道幅も十分あり離合には困らないだろう。
道の駅津島やすらぎの里へ。
今回行くのは旧宇和海村のエリア。旧宇和海村は1974年まであった村で、現在では宇和島市の一部になっている。本土側の下波(したば)・蔣淵(こもぶち)・遊子(ゆす)の3地域と、戸島、日振島といった離島から構成されていた村であった。
村名の読みは「うわうみ」で、JRの特急列車や海の名称とは異なる。Windowsの変換システムでは「うわうみ」と打ち込んでも出てこなかった。
この日は道の駅に併設されているドッグランでイベントが行われるようで、準備が進められていた。
ここから走る道には店がほぼなく、昼食は道の駅で買っていくことに。鯛めしおにぎりと焼きうどんを買っていった。2つ合わせて600円もしなかったので安い。
道の駅でトイレを済ませ、再び走り始める。
国道56号は岩松川沿いを進む。
国道から離れて県道37号宇和島下波津島線へ。4車線で中央分離帯付きの立派な道路。この辺りには第1号南予レクリエーション都市公園(=南楽園)、第4号南予レクリエーション都市公園(=津島プレーランド、愛媛大学の研修センター、津島グラウンド)があり、そのアクセスのために観光地としてふさわしい立派な道路が建設されたのだろう。
ちなみに第〇号南予レクリエーション都市公園は愛媛県HP「えひめの都市計画」によると第1号から第7号まであるが、第2号についての記載はなく不明である。
「自転車道」がある。最近、愛媛県内でもよく見かけるブルーラインや、自転車用レーンとは異なり車道・歩道の両方と縁石で物理的に仕切られ、かつ「自転車専用」の標識も設置されているものである。
愛媛県内ではこのほかに宇和島駅前の国道320号、松山市駅前、松山市山越の愛媛大学グラウンド前の道に同様のものがある。
建設された年代が古いため今ほど「自転車は車道が原則」との呼びかけがなかったためか、自転車道未設置の区間では歩道を走る前提で造られており、車道側からそのまま自転車レーンに入ることはできないようになっている。
松山自動車道と交差する。
南楽園
南楽園に到着。
入場料310円を支払い、南楽園へ。広々とした日本庭園がある。
大きな池の周りを歩く。天気がとても良い。
古民家もある。
池ではボートも乗れるようだった。
池の南側へ。
少し歩いて、やっと梅が見えてきた。来るのには少し遅かったようだ。
梅茶のサービスをしていた。隣で売られていた餅を買って休憩。
石雛が並べられている。愛南町外泊に伝わるもの。
いい天気の中、梅の花を眺めていた。
梅まつりは最終日。
売店の中に入るとジオラマの中に人形が展示されている。奥の山々も写真ではなく、立体的なものだった。
南楽園に併設のファミリーパークも見てみる。
電池で動くパンダ。
ファミリーパークの内部は一昔前の遊具が多数置いてあった。
さて、再び走り始めよう。今日はあと80kmほどの予定。
津島町北灘
2車線中央分離帯付き、自転車道と歩道それぞれを備えた贅沢な道路は終わり、カーブを境にいきなり狭く線形の悪い道になっていく。
もし南予レクリエーション都市構想が予定通りに進んでいれば、直進方向に広い道路が整備されていたのだろうか。
近年はカーブは多いながらも2車線の道路に拡幅はされているのだが、少し前までは左側の狭い道だったようだ。
低い丘を越えると宇和海の景色が広がる。ここは北灘湾という。
景色が漁村らしくなってきた。
宇和海・北灘湾では養殖のいかだも多い。
ついに道は1車線に。
1車線区間はすぐ終わり、2車線に戻る。菜の花も多く咲いている。
海沿いを進む、自転車にはピッタリの道。車も少なくおすすめのルート。
海を見ても透き通っている。
再び道は1車線。集落内を進む。
新しい橋があり、改良も進んでいる…、ように見えたのだが、古い方の1車線の橋がなぜか舗装も補修されてそのまま使われている。
新しい方の橋「新国永橋」は2010年完成。10年以上使われていないのは、前後の用地買収が上手く行かなかったのだろうと推測される。この橋の東側には今でも民家が連なっている。
建設中の橋を見ているようだ。10年以上このままの状態なのか…。
旧道の北灘隧道は閉鎖されている。近くには開通記念碑もあり、今の基準からするととても狭い道路ではあるが昔から多くの住民が待ち望んでいた道路といえる。
北灘隧道内部はゴミも落ちておらず綺麗に保たれている。
北灘漁火トンネル。こちらは2車線のトンネルで歩道も付いている。
新しいトンネルを通り、旧道の北灘隧道の西側坑口も見に来た。
旧道は30km/h制限の1車線道路。
漁村の景色が続く。
海沿いをずっと走れば蒋渕方面に行けるだろう、と思って何も考えず美しい景色を楽しみながら、自転車を漕いでいた。
ガードレールがなくなる。
道が突然終わる。どうやら道を間違えたようだ。
来た道を引き返す。
宇和島自動車のバスとすれ違った。
県道に戻って蒋渕方面へ進む。まず短いトンネルを抜ける。
左折方向の道は港に繋がっている。
大浜漁港という港はあるのだが、民家をほぼ見かけない。この辺りの港の中では規模も大きい。
県道は海を離れて内陸部を進む。道路竣工記念碑があった。
トンネルを抜けて福浦という集落へ。
津島町北灘の福浦集落にて、海のすぐ横で昼食。「この辺は坂が多くて大変だよー」とこの地域に住む人が話しかけてきた。
津島小学校福浦分校。教室が1〜2つほどしかないような狭い校舎。公民館にしか見えないこの小さな分校は2002年まで使われていたそうだ。
今では校庭も駐車場として使われている。元々はブランコがあったのだろう。
下波(したば)
福浦集落を過ぎると道は上り坂になる。カーブも多く、アップダウンは激しい。
急な坂もある。
狩津トンネル。ここが平成の大合併前は津島町と宇和島市(1974年まで宇和海村)の境であった。
愛媛県の水産研究センターがある。
宇和海村のエリアに入っても景色はあまり変わらない。
向こうにはトンネルが2つ見える。右が現行のトンネル、左は旧道のトンネルだが現在でも通行可能。
湾の向こうにも集落が見える。この集落は宇和島市宇和海支所がある柿の浦という集落。
もちろん旧道方向へ。60代くらいの女性2人組がウォーキングしていた。
旧道のトンネルもコンクリートは新しくなっている。
短いトンネルを抜ける。
この辺りは漁港も多い。
宇和島市立宇和海中学校(廃校)
前方に大きな建物が見えてくる。立派な建物で、海沿いにあることから水産高校か?と思って調べてみるが、「宇和海村 高校」と検索してもそれらしき結果がGoogle検索では出てこない。
4階建ての建物がある。これはホテルか?と思っていたが、実際は違った。
ここは宇和島市立宇和海中学校。2015年まで使われていた校舎だそうだ。現在でも体育館は利用できるため、敷地内に立ち入ることも可能。この日は「うわうみだんだんマラソン・ウォーク」というイベントで多くの人が訪れ、校庭が駐車場に使われていた。県外ナンバーの車両も多い。
小さな漁村で一番目立つ4階建ての校舎。教室は10部屋あり、晩年は1学年1クラスで郷土資料室などが設置されていたようだが、最盛期では1学年2クラス+特別支援学級+その他特別教室のように運用されていたと推測される。跡地の利活用のための貸与・譲渡も検討されているが、耐震性が不足しており、津波の心配もあるので、貸与・譲渡先がなかなか決まらないのだろうかと思われる。
時計は止まっている。
校庭の隅には宇和島市の移動式トイレ。
壁には「宇和海魂」と書いてある。
校舎の中には入れないが、扉が開いていたので少し覗いてみた。
ここはかつて駐輪場として使われていたのだろうか?結構な台数が置けそうな感じだった。
プール横のトイレは立入禁止のため、使うことはできない。
プールも完備。
学校の隣にあった4階建ての建物は何だろうかと気になり、横に行ってみる。
中を覗いてみると、この「はまゆう」という建物は生徒の寮として使われていたようだ。日振島や戸島、蒋渕からの通学は困難だったため、その地区の生徒は寮暮らしだったそうだ。現在ではその地区の生徒は宇和島市立城南中学校に通うことになっているが、そこにも新しい寮が設置されている。
中学受験をして入学する中高一貫校や、私立中学校では県外の生徒のために寮を設置するのはよくある話だが、公立中学校でも交通の不便な地域では寮が設置されることがある。
「宇和海村」と書かれている。この建物ができた昭和48年(1973年)時点では、まだ宇和海村は宇和島市に合併される前だった。この1年後の1974年に合併されている。
晩年は1学年1クラスでA組しかなかったようだ。
食堂の中の様子も分かる。50人程度なら同時に座れそうな広さだった。
渡り廊下を歩いて校庭へ。
宇和島自動車の貸切バス車両が走っていった。
遊子(ゆす)地区からの移動販売車。イベントに合わせて来ていた。
蒋渕半島南側
南楽園の梅、津島町北灘の海、そして宇和海中学校跡…と、様々な見どころがあったこれまでの行程。時刻はもう14時で、日没まであと4時間。
しかし、見どころが多すぎたためか宿を出発して7時間経ってもここまでで40kmほどしか走れておらず、予定していた蒋渕半島の先端(矢ヶ浜)まで走るルートで走行すると、残りは約65km。ここからも見どころが山ほどあり、1時間10kmペースで走ったとしても宇和島に着くのは20時を過ぎてしまう。
次の日も仕事で、そして宇和島~松山の輪行移動を考えると、蒋渕半島の先端まで行くのは今回は見送った方がいいと判断した。今年中にまた訪問しよう。戸島に行くのとセットで訪問してもいいかもしれない。
左側に行き、蒋渕半島の南側を走る。
急な上り坂を走る。
振り返るとみかん畑。急斜面と青い海とみかん畑のセットは愛媛県・南予らしい風景。ここに限らず佐田岬半島以南ではよく見かける。
農道が分岐していた。
急な下り坂になる。宇和海支所のある柿の浦という集落へ。それにしてもなぜ宇和海中学校のある地区ではなく、柿の浦に設置されているのか…?
柿の浦の集落へ。
「2t車以上通行止」と書いてある。
宇和海支所は1階建て。
柿の浦の漁船。
いかだの下も海が透き通っている。
モノレールと菜の花。
少しだけ道を外れて登っていく。
細い道で10%程度の坂が続く。途中で引き返して柿の浦方面へ。
柿の浦の集落を山側から眺める。
蒋渕半島の南側沿岸を進む。道の行き止まりになっている大池漁港方面に向かう。
少し走ると小さな集落が見えてきた。
数軒の家が見える。デイサービスの車も走っていった。
大池漁港に到着。漁師と思われる2人の地元住民の方がいた。「どこから走ってきた?」と聞かれた。
綺麗な海を見ながら休憩。
湾の向こう側は蒋渕方面だが、道は繋がっていない。航路もなく、蒋渕に行くのには遠回りすることとなる。交通の不便さからも、なかなか来ることのできない場所だろう。もう二度と訪れることはなさそうだ。
柿の浦の宇和海支所周辺まで戻ってきた。
村名と同じく読みは「うわうみ」。
ここからは峠を越えて蒋渕半島北側の「遊子」(ゆす)という地区へ。この狭い1車線のトンネルでも照明をLEDに替えるようだ。「みきゃん」の描かれた看板の背景は暫定2車線の高速道路。
右折して矢野浦・小矢野浦方面へ。
海沿いの漁村をいくつも通り過ぎる1日。
自転車に注意、という看板を見かけ、ここがサイクリングの推奨ルートの1つであることを知った。確かに景色もよく車もあまり通らないこの道はサイクリングに適している。鉄道は近くに通じておらず、マイカーで車載して来るか、宇和島市街地から自走して来る必要があるが。
トンネルは通らずに旧道へ。
遊子地区の看板。段々畑があるようで、そこは気になる。また今度の機会に行ってみよう。
少し寄り道、明越方面へ。愛媛県道345号の終点まで行ってみる。
明越集落。山と海に挟まれており、人が住める範囲は狭い。
神社で県道は行き止まり。
いつまでも眺めていられる景色、シャッターボタンをついつい押してしまう。
「松節ずいどう」で下波方面へ。
旧宇和海中学校が見えてきた。4階建ての校舎は低い建物ばかりの漁村ではとても目立つ。
ここから宇和島市街地方面へ最短ルートで向かう。ちょうど日没と同時くらいに到着できそうだ。夕日を眺めながらのサイクリングは楽しそう。
新辰野トンネルは幅も広く走りやすい。旧道もあるようだったが、今度来たときに走ろう。
安米という集落。県道は集落の上を通る。
県道は坂を下って海のすぐそばへ。
景色はあまり変わらない。
入り組んだ海岸線で、向こう側にも民家が見える。
徐々に日が傾いてきた。夕焼けも綺麗そうだ。
ここから県道269号無月宇和島線へ。
宇和島12km。1時間ほどか。
道は狭くなったり広くなったり繰り返し。
この日は暖かく、上は半袖で走っていたのだがさすがに寒くなってきた。サイクルジャケットを着る。
集落内では道幅も狭くなる。
もう少しで宇和島の市街地。
向こうに見えるのは九島大橋。2016年開通で、それまで道が繋がっていなかった九島と宇和島市街地が繋がった。
直進すると宇和島道路の宇和島坂下津IC方面。
宇和島道路と交差する。
看板が真っ白になっていた。
沿岸部には工業地帯が連なる。
人口7万人の都市とは思えない。
宇和島駅前は自転車道も整備されている。6車線でヤシの木の立ち並ぶ立派な道。
輪行:宇和島~松山
18時半に駅に到着。自転車を分解し始める。
N2000系特急宇和海。松山までは約1時間半の鉄道での旅。宇和島駅出発時点では同じ車両には1人もいなかった。駅前のセブンイレブンで買った親子丼を食べながら移動。
伊予大洲駅では普通列車を追い越していく。
最前列の3号車は自由席指定席併設の車両。
20時半に松山駅到着。特急は縦列駐車しており、前方にはしおかぜ・いしづち。
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