藤井猛九段はなぜ天才なのか?
藤井猛
数多くのトッププロから絶讚され「将棋界で天才とは藤井の事」「天才と言われる棋士達は200年後忘れ去られるが将棋がある限り藤井の名は永遠に語り継がれる」(発言者を失念したため情報源を探せません見つかれば後に追記)とまで言われる。
現在の藤井猛九段の人気はファンを楽しませる解説、人柄等から惹きつけられた人も多くその素晴らしさから「観る将」という大きなファン層の登場も相まって「将棋は全く指さない、指せないが棋士のファンだ」という人たち増えている。筆者自身は「将棋界というコンテンツを楽しむためには別に『将棋というゲームの内容』を知っている必要性は皆無」だと思っているで、どんどん「将棋は全く指せないが将棋ファンだ」という人たちが増えて欲しいと思っている。
だが、それはそれとして「一定以上の将棋の知識があれば好きな将棋を更に好きになってもらえるのではないか?」とも思っている。そこでnoteを立ち上げるに辺り藤井猛九段ファンの一人として今までプロの解説や藤井猛論を語られてきた中で「これでは藤井猛という天才を述べるには情報が足りない」と感じていたことを書いてみたいと思う。なぜなら一定以上の将棋の知識を持っている人たちなら当然全員が知っている『暗黙の大前提』があるのだ。その大前提は指さない観る将のほぼ全員が知り得ないことだからだ。
長々と書いてきたが「藤井猛という男のどこが天才と称されるのか?」それについて解説のような、藤井猛ファン一個人の主観にまみれた文になるが、より藤井猛九段ファンが増えてくれればと、今この瞬間のテンションと勢いのみで、読み直すこともなく書き連ねている。
「藤井猛がなぜ天才なのか?」それを語るにはまず将棋というゲームの400年にも及ぶ歴史、その一番最初にまで遡らなければならない
と言った。大風呂敷とビッグマウスをしてみた。誰かを誹謗中傷する意図は一切ないのでそのように読める文があったらそれは筆者の文章力がないからです。申し訳ありません