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冷たい部屋

まえがき
去年の5月保護入院した。
退院してnoteに書いてみようとした。
途中まで書いてみたのだが段々苦しくなってきて途中でペンを止めた。これは自分を守るためにね。
途中からは、入院中につけていた日記からの出来事を書くことにした。特に面白いことはないかもしれない。眺めてください。


目が覚めると手足胴を拘束され天井を見ていた。
ここでは、声が届かない。叫ぶ叫ぶ…何も意味がない。むしろ「症状アリ」と記録されているのだろう。
そう察しがつくまで、少し時間がかかった。
「死にたいと思ってる時は生きていると思っていた。」と何度も叫ぶ。矛盾のように聞こえるがそうだと思ってる。今でもそう。

監視されながら拘束具を外し洗面、トイレを済ませる。
出されたご飯は食べれなかった。
看護師さんは
「ここはご飯だけは美味しいのよね。」
と言う。うーん。ご飯は、誰とどこで食べるのかが肝心なのだと思った。
保護室には机なんてなかった。床に盆を置いて食事することになっている。
なので、袋に入った食パンを立ちながら食べることしかできなかった。
ご飯がまともに食べられるようになったのは、保護室から一般病棟に移ってからだ。
一般病棟での話は、また別で書いてみる。

鉄格子越しに森の木々が見えた。木々たちからは、鉄格子越しの僕が見えてるのだろうか。助けてほしい。
木々たちは、楽しそうに踊っているのに、何も好いねと思えなかった。憎たらしかった。

保護室に入ってから3日が経った頃、10時から15時までの間は拘束具を外してもいいと先生から許可が出たみたいで、手足が自由に動かせる時間が出来た。
体育座りをしてみたり、看護師さんにお願いして本棚から持ってきてもらった本を読んでみたり…。本棚の内容は分からないから、看護師さんのチョイスで3冊本が入れられる。
本は、つまらなかった。内容が入ってこない。活字を眺めるだけ。
この日は薄暗くなってきた時間に先生の回診があった。
「落ち着きましたか?体調はどうですか?」などと聞かれたが、ぼんやりと見える白髪の頭、白衣、メガネの反射が気になってしまい何も答えられなかった。

保護室で迎えた4度目の朝、少し落ち着きを取り戻してきたみたいで、隣人の叫びが聞こえるようになってくる。この頃には拘束具は完全に外されて朝も夜も自由だった。
看護師さんは、
「ねこのへそくんもそろそろ一般病棟に行けるかもね。先生に相談してみるね。」と声をかけてくれた。少し気が楽になった。
この頃には、早く退院してやるんだと思った。
看護師や先生の言うことを聞いていればヌルヌルと進んでいくのだとも気づいた。

保護室6日目の夕方。
夜勤の看護師が見回りに来て
「ねこのへそくん、明日の10時に一般病棟に移ること決まったよ。」
と言った。
僕は、安心した。その日の夜はぐっすり眠れた。

そして、保護室で迎えた7度目の朝。
洗面、歯磨きを済ませて一般病棟に移った。
保護室から出てきた新しい子。
みんなに注目された。やめてくれ、ひっそりしていたい。
今日は、少し進んだ気がした。

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