「告白」の橋本愛と母殺しの心地よさ
話題の映画『告白』を観た。エロス的な要素を、一手に引き受けていたのが、北原美月役の橋本愛。殺人者に憧れて、毒薬を集める優等生を、それなりに好演していた。
制服姿と、プライベートでのコスプレとのギャップもまずまず。(なんか、陳腐な表現だけど、壊れたくて壊れられない中途半端な少女のリアリティは、表現できていた気がする)
生きることに混乱しながら、犯罪にも走れず、平凡にもなれず、そんな彼女みたいな女の子が、世の中にはいっぱいいるのだろう。
その後、原作小説「告白」(湊かなえ)を読んだ。ミステリーなので、映画を観たあとに読むのはやや味気ないものだが、さすがにこれだけの作品となると、十分面白い。
改めて、というか、読んで確信に変わったんだけど、これって「母殺し」がテーマなんだね。二人の少年が、それぞれの母を殺し、それをもたらしたのは、それぞれの母の母性崩壊。そこには、二人の少年によって幼い娘を殺され、母として生きる幸せを奪われた女の意思が、触媒的役割を果たしている。
また、一人の少年に対し、母親のようになろうとした少女は、その驕慢な愛情が祟って、その少年に殺されてしまう。それが、橋本愛の演じた北原美月というわけだ。
湊かなえが「母性」についてどう思ってるかは、わからない。ただ、僕にとって、この世界は意外なほど心地よく、ああ、自分も人間の「母性」というものを、どこか鬱陶しく感じてるのだな、と気づいた。
ずーっと「父性」を嫌ってたと思い込んでたんだけど、本当に面倒なのは「母性」とどう対峙するか、かもしれない。だからこそ「母性」をめぐって葛藤してるような女性に、こんなに惹かれたりするんだろうな。
映画にせよ、小説にせよ、この物語では命の重さがどうこうというより、人間の愛憎というものについて、考えさせられた。
そういう意味では、湊かなえは川端康成あたりと死生観が似てるのかもしれない。たとえば「命は泡より軽くても、死体は鉄のかたまりより重く」という「告白」中のフレーズに、川端的なものを感じた。
(初出「痩せ姫の光と影」2010年6月・7月)
このあたりの思考を発展させたのが、痩せ姫本のなかの「母殺しのメルヘン」についての分析。「残酷な白雪姫に、安堵や居心地のよさを感じる」という趣旨のコメントが、ある痩せ姫から届いたのも、この時期だった。