三島とマッチョと長渕剛

「太宰と三島と拒食とマッチョ」の続きがなかなか書けず、先送りになってるのだけど。先週の「スマスマ」を見てて、前から気になってたことをまた考えさせられ、ちょっと書いて見たくなった。
この日は総集編で、そのなかに、清原和博がゲストの回で、長渕剛について語る場面が。長渕シンパである清原が、愛をこめてとはいえ、そのマッチョ志向をギャグまじりに語っていたことに、軽く驚いた。しかも、それに続いて、長渕が出た回の場面が放送されたことから、清原のトークは、長渕のマッチョ志向をより面白く見せるための、前フリとしても使われたことがわかる。
ま、それはいいとして。長渕のマッチョ志向は、子供の頃、ガリガリの体をクラスの女の子に笑われた、などの、前半生におけるトラウマに由来する。それは三島由紀夫が若かりし頃「アオジロ」と仇名されたような虚弱な容姿を恥じ、ボディビルにはまっていった姿にも、通じなくもない。両者はそれぞれのジャンルで成功後、好戦的になっていったという共通点もあるけど、(その思想的な深さにちょっと違いがあるとはいえ)それはどういうことなのか。
三島ファンに長渕を好きな人はあまりいないだろうし、長渕が三島を愛読してるという話も聞かないけど、三島的美学とその実践は、その後の文化人や芸能人に、小さくない影響をもたらした気がする。

(初出「痩せ姫の光と影」2010年9月)


この記事には、こんなコメントがついていた。
「BUMP OF CHICKENの藤原基央さんが、現代の三島由紀夫、と言われていることに違和感を感じていたのですが、この記事を読んで、なるほどな、と。どちらも私は好きですが、本質のようなものが違っていたのですね」
あと、清原はこのあと、クスリで捕まり、長渕に追随するかたちとなった。マッチョとクスリも、親和性が高いのだろう。

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