浅香唯「セシル」~麻生圭子とサガン
♪人は大人になるたび 弱くなるよね
ふっと自信を失くして 迷ってしまう
だから友達以上の 愛を捜すの
今夜私がそれに なれればいいのに
――「セシル」(浅香唯)――
浅香唯には特に思い入れはないのだけど(何度も取材したのに、申し訳ない)この曲、特にこのサビが好きで、自分が弱ったり迷ったりすると、脳内プレイヤーで再生されることがある。
ここでいう「大人になる」とは、思春期から青春期あたりを指すのかな。そのあたりの気分を今もひきずる者としては、相変わらずグッとくるし、一応「友達以上の愛」を見つけられたことで、自分の人生を幸せだとも感じる。作詞者の麻生圭子は、のちに少女期の拒食症経験を告白していて、なるほど、だからこういう詩が書けたのか、と得心した覚えが。そういえば、この人の小説にも、自身を投影したと思える、痩せたヒロインが登場してたっけ。
「セシル」というタイトルは、サガンの処女小説で、映画化もされた「悲しみよこんにちは」の主人公の名に由来。サビの前に「映画で見た セシルのように 嘘は言いたくない」というフレーズがある。
「悲しみよこんにちは」は、ラストが衝撃的だけど、最初のほうに、朝食をめぐる少女期ならではの志向がさらりと描かれていて、この女流作家が、新鮮な驚きをもって受け入れられたのがよくわかる。
で、歌の「セシル」に話を戻すと、2番のサビも悪くない。
♪恋は楽しい時より 悲しい時に
そっと始まったほうが 長く続くね
きっと誰でも一人は 味方がいるの
いつも私がそれに なれればいいのに
淋しさと、それを埋めようとするがゆえにわかる愛の本質が、ここでもさらりと描かれている。
それはおそらく、恋だけじゃなくて、人間関係すべて、つまり、人生について言えること。とはいえ、人生における最強の味方はやはり、配偶者だったり、恋人だったりすることが多いのだろう。僕もかつて、妻の「ずっと味方だからね」という言葉に、心を持っていかれたのだから。
(初出「痩せ姫の光と影」2010年8月)
写真は、麻生圭子。最近「週刊女性」のロングインタビューに登場していて、そこから切り取らせてもらった。昔「よい子の歌謡曲」に彼女についての評論を書いた際、電話をもらったのだけど、僕が男だと知り「女の子だったらお友達になれたのに」と言われた思い出がある。「悲しみよこんにちは」の朝食エピソードについては、どこかで触れたかな。意外とまだだったりしたら、そのうち紹介したい。