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ゆうゆ(と、中山秀征、高井麻巳子)


先日「スタア同窓会」という特番のおニャン子クラブ編で、欠席にも関わらず、注目を浴びてしまったゆうゆ。出席した元おニャン子たちが、司会の中山秀征に〝つまみ食いした相手〟として、話題をふり、当時のエピソードが暴露されたりしたわけだけど、なんとなく気の毒になった。
彼女は(いや、たぶん中山も)結婚を本気で考えてただろうし、だからこそ、引退して、夫にも一般人を選んだ以上、テレビでネタにされるのは、やや不本意だろうなって。
途中、おニャン子の誰かが、彼女に電話をかけ、そしたら、留守電になっていたので、中山が伝言を吹き込むよう、強要される展開に。最後は、新田恵利が「ごめんね、ゆうゆ」と言って、電話を切ってたけど、なんだかなぁという感じだ。
芸能史に限らず、歴史というものは、生き残った者、あるいは生き残ろうとする者によって、主導的に語られ、作られていく。この番組のような盛り上げ方も、アリだとは思うけど、こういうノリに対する抵抗感から、彼女は芸能界を去った、という可能性についても、ちらっと触れておきたくて。個人的な思い出も含め、②で書くつもりです。


「結婚が、恋愛の延長にあればと思うんですけど、うちの母も恋愛結婚で、離婚しちゃってますしね。でも、だからこそ、自分の家族を作るのが夢なんです。旦那さんがいて、子供がいて。朝起きたらお弁当を作ってあげる、っていう。それが今、一番大きな夢ですね」
94年に取材したとき、ゆうゆはこう言っていた。折りしも、中山との6年越しの交際を認めた直後であり、認めた経緯は、中山の浮気により、本命であるはずの彼女に、芸能マスコミが殺到したからだった。そのとき、彼女は、
「彼を信じています。でも、誤解されるようなことは気をつけて」
と、すでに〝妻〟のようなコメントをしていたし、この二人は結婚するんだろうな、と感じていたのだが……
それからほどなくして、破局。原因はいろいろあるのだろうけど、個人的には、彼女の〝普通っぽい夢〟と、中山の〝芸能人的な現実〟とが、どこかでズレてしまったのかな、って思う。
その根拠としては、88~89年にかけての冬に取材した際の、芸能人になりきれてない雰囲気というのがある。公私にわたるストレスから、胃を壊して入院した名残りで、彼女は心も体も、やつれてるように見えた(ちなみに、ウィキペディアには、150・40から151・38へという推移が記されているけど、体重は35キロぐらいまで落ちてたはずだ)。
スタイリストが用意した、手首用のアクセサリーがゆるすぎて、足首につけたらちょうどよかった、というのを覚えてる。
うしろゆびさされ組で一緒だった高井麻巳子(現・秋元康夫人)も、何度か取材したけど、クラスメイトに黙って担任教師(?)とつきあっちゃうような、公私混同お構いなしのタフなしたたかさは、ゆうゆは持ち合わせてなかったんだろうし、資質的に、もう、いっぱいいっぱいだったのかもしれない。そもそも、彼女は、アイドルからバラエティに転じるとき「何より言葉遣いが乱れるのを母親に心配された」という家に育った女の子だったのだから。
結局、一般人と結婚した彼女は、しかし、それをニュースにしようとしたマスコミに対し、
「別に話すことはありません。彼は普通の人ですし、このままそっとしておいてほしい。引退会見をするつもりもありません」
と、答えた。そして、出産も果たし、かつて語っていた「一番大きな夢」をかなえることになる。

※画像左はソロデビュー曲、右はラストアルバムのジャケットです


(初出「痩せ姫の光と影」2010年10月)


例によって、高井に厳しく、岩井に甘いオレ(苦笑)。実際、ふたりはキャラも対照的で、特に仲良しでもなかったわけだけど、だからこそ、うしろゆびさされ組は人気コンビになれたのだろう。大の松田聖子ファンとあって、独特の声質を活かした歌の雰囲気作りの巧さは同時代アイドルのなかでも出色。こういう子がソロデビューできただけでも、おニャン子ブームには意味があった。


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