何処までもやせたくて(96)ただの演技のはずなのに
「私、お母さんみたいな生き方したいなって、思うようになったの」
そう言った瞬間、母の表情が変わったのがわかった。
「東京で一人暮らししてみてね、社会の現実ってやつも多少は感じるようになって。
お母さんが、社会的に弱い立場の人や、弱い立場になりかけてる人を守るために、頑張ってるのって、じつはすごいことなんだって、わかったのね。
だから、来年、法学部への転部、考えてみようかなって。
で、ゆくゆくは司法試験受けるつもりで頑張ってみよう、って。
私、お母さんほど、頭よくないから、どこまでやれるかわかんないけど、とにかく気持ちを入れ替えて、頑張ってみたいんだ」
母親の顔、今まで見たことのないような不思議な感じ。
狐につままれたとか、鳩が豆鉄砲だっけ、そんなビミョーな表情だ。
「今思うとさ、私、将来、こうなりたいっていう目標がなくて、それでよけいに、ダイエットとかにのめりこんだんじゃないかって、そんな気もするの。
目標がちゃんと持てれば、それに向かって頑張れるはずだし。
やせたとか太ったとか、そんなことばかり気にしてたら、司法試験なんて、一生受かりっこないもんね」
「……そんなこと言っても、あなた、私の生き方、あまり好きじゃなかったんじゃない?
お父さんみたいに、趣味とかも大事にしながら、のんびりとした生き方したいって。
私、ちょっとショックだったから、その言葉、はっきり覚えてるんだけど」
たしかに、そんなこと言った気がする。
そっか、お母さん、ショックだったんだ。
なんか、申し訳ない気分……あ、でも、今はそれどころじゃない。
「お父さんの生き方は、あれはあれでいいと思うけど……
一人暮らしするようになって、家事もけっこう重労働なんだってわかって。
お母さんは、家事もしながら、外でも人並み以上の仕事してるでしょ。
それって、すごいことだもん。
今まで、目標が見つからなくてフラフラしてたけど、こんなにすごい人が身近にいるなら、その人を目標にすればいいんだ、って、やっと気づいたんだよ」
「……本当に?」
「うん、ホントだよ」
「……」
母親の口から、言葉が出ない。
そのかわり、目から涙があふれだした。
「……ごめんね、急に泣いたりして。
なんか、信じられないくらい嬉しくて。
ほら、高校生になったぐらいから、あなたに嫌われてるような、そんな気がしてたから、まさか、そんなふうに思ってくれるようになるなんて、ビックリしちゃってね」
こっちのほうこそ、まさか、だよ。
実家に連れ戻されないよう、演技してるだけなのに、信じてもらえるだけじゃなく、そこまで感激されるなんてさ。
「私こそ、反抗してばかりだったもんね。ごめんなさい。
でも、お母さんみたいになりたい、って気持ち、本気だから。
なんか、回り道しちゃったけど、今ははっきり、そう言えるよ」
あれ? どうしたんだろ。
ダメ押しで言ってるだけなのに、私まで泣けてきた。
ただの演技のはずなのに。
お母さんみたいになりたい、って気持ち、遠い昔、感じてた気がする。
小っちゃい頃、ままごと気分でお手伝いしたときとかに、感じただけじゃなく、たぶん言ってた。
もしかしたら、お母さんも覚えてて、そんな私が帰ってきたみたいに思ったのかな。
小っちゃい頃は、お母さんみたいになりたい、って感じてたのに、今は、嘘でしか、そう言えなくて。
この人、その嘘を本気にして、伯父さんたちがいるのも構わず、泣いたりしてる。
謝ったほうがいいのかな、今の話、嘘だよって。
でも、無理。
今さら、引き返せないよ。
実家に連れ戻されないためには、嘘を突き通すしかないんだもの。
いや、せめて法学部への転部だけでも実行すれば、嘘は半分に減るし、お母さんも喜んでくれるよね。
お母さん、まだ泣いてる。
こんな姿、初めて見たよ。
なのに、私……
ゴメンね、今はどうしても距離を置きたいの。
でもなぜ、こんなに母親を他人みたいに思おうとしてるんだろ。