
また、えらいこと やってしもうた!
えらいこと してしまった! (1)
あれから、1カ月後のこと (2)
2023年6月23日金曜日
午前中の生協の配達の時 私は猛烈な勢いで配達のお兄さんに言っていた
「この前の 韓国の巻きずし【キンパ】、あれ 美味しかったわ~!
まとめ買いで5,6本来たと思うけど、あんまり美味しいんで 2本ご近所さんに1本づつあげたら、みんな喜んではったよォ。
それで今回も注文したんやけど、これって、注文した処にしか 配達されへんの?
いや なんで、こう言うかって言うとォ、息子の処に送ってやりたいねん!
これって、一本一本冷凍してあるやん、それが 又 便利でな、好きな時に一本だけ「チン!」してたべられるし、それって すごく助かるやろォ
息子は今お嫁ちゃん亡くして、子育てと家事をやりながら仕事もしてるねんそんな息子に送ってやりたいけど、あかんかぁ?」
生協のお兄さんはジッと話を聞いてて、私が一息ついたところで、ゆっくり「これは いいお話ですねえ、実は注文した自宅にしか配達されないんですが、一回上司に話してみます」と 言ってくれたので 私は喜んで
「そうかぁ、言うてみてくれるか? 早い話がお中元やお歳暮の時のように送り状をつけてくれたら、送れるやん!そんなにしてもろたら、ありがたいんやけどなア」と言うと、「わかりました」と頼もしい返事が返ってきた。
その日の夕方、さっそく 生協のお兄さんから電話が入り
「上司に相談したら、今回 締め切りが今日やから、送ったげ!」とのこと
私は「ほんと? わ~ぁ うれしい!上司の方に よろしくね!」と、息子の住所を伝えた。
「配達にかかる日がどれくらいかかるか、わからないんで、配達時間だけ 決めときましょか?」と 気の利いた問に「そやなぁ、仕事してるから夜やったら居てると思うんで20時以降にしてくれるかぁ、私の方からも息子にメールしておくけどね! ホントご親切にありがとう!」と電話を切った。
こんな有難い配慮のある生協さんに 感謝しながら私は息子にメールをうった。
「しかじかかくかくで、今回は受け取ったら連絡くださいね。生協さんに お礼を言いたいから!」と。
6月24日土曜日
私の家に猫がいる。16年目の保護猫ちゃん、ミュー!
その子がこの春からエクステリア(小さな温室)が大好きで、春からずっとその場所で過ごすようになっていた。しかし、今の季節 天井からの太陽が強烈なので、1カ月前に遮光シートを購入して便利屋さんに貼ってもらいその時外した天井のカーテンのクリーニングが出来上がっていたので、今朝そのカーテンを付けることにした。
太陽の昇りきる前の薄明りの時でないと、暑いし眩しいので 今朝は4時半に起きる。
折角、便利屋さんに貼ってもらった遮光シートも 太陽の熱で部分的に接着剤が溶けて剥がれてきているので、作業は急がれた。
5時頃から作業を始めるが まだ猫ちゃんは夢の中、今まではこんな時間には 必ず起こしに来ていたのに… 最近、めっきり弱って 私の2階の寝室にも 上がって来れなくなった。しかし、律儀にも11時頃になると、階段の下まで来て、「おやすみ」のぎゃー鳴きし 私も最初の眠りに落ちたところでも 起きて行って階段の上から「おやすみよ~」と声をかける。
このお気に入りのエクステリアが 猫のミューの安楽の部屋になってしまっているのなら、最善を尽くしてやりたい!と 思ったので、夏の太陽の暑さを避けるため 周りは簾で囲み、天井に遮光シートをはり、剝がれて来ている部分を カーテンで押さえれば 完璧!
私は 慎重に足元の安全を確認して脚立を置いて足場を確保したものの、大きな誤算があった。
一つ目の誤算は 以前の天井のカーテン付けで 上を向いての作業が大変なことは 分かっていたものの、ついぞ忘れていた。
その上に 私の身長が 縮んでいたこと!
想定はしていたものの、想定外の縮みように 顎をあげての作業。
これは 苦痛そのものだった。
思い出せば、靴のサイズを23.5センチから23センチに変えたのはもう随分前のこと、コロナ後 久しぶりの靴屋さんで 真っ白なペッタンコの 皮靴を見つけて 試しに履いて歩かせてもらい、その履きやすさが気に入り 購入した靴で 京都に行った後、思わぬ足の裏の痛みに「整体」に行ったところ、足のサイズが 22,5センチと 一段と小さくなっていたのに驚いたことを思い出した。
これは想像以上に 背が縮んでいるのじゃないか?
と 思いつつ、脚立の右足を残したまま、左足をそっと端のカーテン吊りを目掛けて猫砂の入って居る箱の角に置いた。ところが、やはり身長が届かなく、ちょっと無理して背伸びをした。とたん、ガッシャーン!!
左足を置いた猫砂の入っている箱が ひっくり返って、私の右頬が合成版のドアにしたたかにぶちつけられ、気が付くと、右肩が不自然にひっくり返った箱と合成版のドアの間にぶら下がっていた。
痛みをこらえ もがくようにして、奇妙な体制から逃れた私の目に飛び込んできたのは、その場に寝ていたミューが 飛びのいて安全な位置で三つ指をついたような正座の姿勢で 心配そうにまん丸な目で私を見て「にゃ~」と一声心配そうに鳴いた姿だった。
その声に 冷静さが戻り、辺りを見回すと
箱はひっくりかえり、「カネのなる木」の植木鉢が 土や小判型の葉をばらまいたように散らかして横たわっていた。
それを見て、私は 一瞬の悪夢から 目が覚めたように
「あ~、やってしまったあ!」と思い、次の瞬間「これ2回目やで~!」と思った。その時、はじめて 自分の右肩が異様にダラリ!と下がったままで
少しでも動かすと激痛が走った。
「これは脱臼したかも?」と直感した。
「えらいこと やってしもた!」
時計を見ると、まだ朝の6時過ぎ
「これは救急車しかないな!」観念すると、以外と私は冷静だった。
その日は こんなことになるとは 思わず、2階の窓を全部開けていたので
救急車を呼ぶ前に だらりとぶら下がった右腕を左で動かぬよう押さえながら、2階の窓を閉め、猫の餌を増やし、財布にお札を加え、保険証とおくすり手帳を 確認し、改めて「119」に電話した。
救急救命士4名に付き添われて、国道1号線の整形外科のある病院に搬送
救急車の中で「親戚かどなたか連絡できますかあ」と聞かれて、私は必死で「息子に連絡せんといて、心配かけるから…」と言い続けていた。
救命士さんも「病院の方で連絡せなあかんかもしれんし…」と言いながら、息子の携帯に連絡を入れたようで「やっぱり、出ないわあ」という声がしたので私はホッとした。
病院では 夜勤の最期の救急搬送者になる。
もうすぐ家に帰れるというのに、搬送されて来た私。多少とも看護師さんの言葉が強い。無理もないわなあもうすぐ夜勤明けやのに… そう思うと自然に「ありがとう」「お世話かけます」という言葉が多くなる。
何枚ものレントゲンやCTで、「一か月前にも撮ったなあ」と思い出した。
その結果、先生との面談
「骨折はしてないようやなあ、右肩脱臼 それもちょっと変形しとるけど、それに肩の骨、ここんところ」と言ってレントゲン写真の一部分をシャーペンで指し「一部 骨が欠けてるやろ?」言われてその部分を見る。と、みごとに切り込みをいれたような▼の小さな骨の部分が無くなっていた。
「へ~?」と言いながらチラッと『欠けた骨は どこへ行ったんだろう?』と頭をよぎったが「今のところ手術はせんでええやろ」という先生の言葉にホッとして、そんなことはすぐに忘れた。
「けど、右肩の腱が切れてる、…けど、これを見る限り この事故で切れたんと違う、だいぶん前やでえ、記憶ないかあ?」と聞かれた。けれど、ついぞ心当たりがなく、首を傾げながら
「切れた時は 痛いですよね?」と聞いていた。
「そら、切れた時は痛いでえ、けど、痛くない人もあるようやし、年齢いってすり減ることもあるからなあ」とおっしゃる。
『へ~、擦り切れる?私も年齢ですり減ったんやろか?』と 考えながら 一向に思い出せないので
「私 痛みに鈍感なんですかねえ」と返答すると、先生がこちらを見ながら
「ま、脱臼を治して、それからやな!全治3週間。3週間後に診せてください」と言って、看護師さんの方へ合図するように見られた。
看護師さんは車いすを操作しながら「これから、痛いことしますよォ」と、連呼しながら別の部屋に連れて行く。
「痛い?」と私、今でも充分痛いんですけど もっと痛い!?
別室の先生の姿が見え、その部屋に入っていった時も 先生が「これから 痛いことするでえ」と看護師さんと二人で<覚悟きめや~>と言わんばかりに ハモル!
「先生、お手柔らかに!」の返答はなく、私の右腕の手首を持って
「ほな、はじめるで~!」とグイっと内側にひねっる。その時、私は自然と腹式呼吸で 生きを大きく吐いていた。
2回目、3回目、先生の掛け声に合わせて 私は必死で大きく息を吐く。
そして、4回目 先生が私の右手首を私のお腹の上に置いた時、私が発した言葉は「あれ? 痛くない!」だった。そして、思わず
「え~、これで脱臼治ったんですか?」と、聞いていた。
先生は いつもの治療の時のように もっと患者が騒ぐのだろう!と思ってられたのが、勝手が違ったようで、マスクの中で妙な曖昧な声で首を縦に振り「終わりましたよ」と、言われた。私は 2,3回ゆっくり手を動かして「いや~、痛とォない、痛とないわぁ」痛みから解放された瞬間、私の十八番が出た。
「先生ありがとうございます、ちっとも痛くなかったですわ。もっと痛いと思ってたけど… 先生、お上手! ほんまに ありがとうございましたぁ」
今から考えたら、あの時 咄嗟に自分ではやっていない「無痛分娩」方式を していたんじゃないか?と、思った。
婆さんは強し、長年生きて来た「証」の「知恵」が 自然体に出たのだ。と
ああ、お婆さんでよかった!
その日は お陰様で午前中に タクシーで帰ることができました。
感謝