母性愛神話に押し込めた女性の生き方
2024年11月29日朝日新聞「少子化を考える」の欄に目が止まる
「恵泉女学園大学学長・大日向雅美さんに聞く」とあった。
1970年頃からはじまった「コインロッカーベイビー事件」や 近日
子供への虐待、性的被害や殺人など 子供が受ける被害がニュースになる度
どうしてこんなことが多くなってきたのか?と考える。
けれど 一方で、今まで出てこなかっただけで、今になって 表面に現れただけなのかも知れない。とも 思う。
古代、縄文時代から「男は狩りをして女は子育てをして生活」してきた。
稲作がはじまった弥生時代には卑弥呼のように「占い」で「世の中を動かす女性」が現れる。そういう意味で男であれ女であれ「世の中を動かすことが出来る者が上に立つ」ということなのだ。
時代の成長がどういうものなのか?によって男と女の存在感が異なるのではないか?
それにしても、万物「子を産む」ことを定めとしてメスがあり、当然のようにメスに「母性愛がある」ならば、「子を授ける」ことを定めとするオスにも「父性愛」なるものがあって然るべきではないのか?
ということは、「新しい命」を作り出した者(親)にとって、両方の「愛」がなければおかしい!
それなのに、世間では子供を捨てた又は殺した母=女性だけが罰せられる。
捨てなければならなかった又殺さねばならなかった事情があったにもかかわらず母=女だけが罪をかぶらなければならない。そんな理不尽な人間とはどんな生きものなのか?
「人間」といういきものは 生物の中でもっとも脳の発達が進んでいるのではないのか?
★他の生きものについて 知っている限り書いてみよう。
魚の中には、魚の名前は忘れたが、メスが産卵した沢山の卵を オスが
安全な場所(例えば オスの口の中等)である程度の大きさになるまで育てる種がいるという。その他、色々なパターンが存在する。例えば
「つがい」で協力し合って雛を育てる鳥(鶴、鴨、燕等)もいれば、共同体で守り合って育てる種(象、ペンギン等)もいるし、子を産んだメスだけに子育てをさせる動物(熊等)もいる。
そして又、魚の種の中には 生まれた時は 全て同種(メス)であった魚が大人になって 環境状況によって1匹のみオスになるという魚もいる。
「母性愛」は産んだ母親だけにある。と決めつけるのは?どうだろう。
確かに、10カ月という長い間「つわり」という母体への負担が起こす症状に悩みながらお腹の中で育てあげた子供への「愛がない」とは言わない。
確かに「ある」のだ。しかし、それが「欲しい」と思って出来た子でも
「産んだ直後からの環境が問題なのではないか?」と私は考える。
★私自身の「母性愛」について考えてみた。
京都という古い土地で生まれ育った私なのだが、昔ながらの物の考え方が古いいうことはあったけれど、元々日本全国古い土地ばかりで、なにも京都だけ古いのではない。日本全国 神代の時代から人々は暮らし「種」を増やしてきたその人達も時代につれ 移動して全国に散らばって行くことになる
京都も生粋の京都人は少なく、滋賀県や他地方の人が長年住み着いて 京都人として名乗るようになっただけなのだ。
古より 人は争うことによって土地を確保し、生き延びてきた。
争いには 当然「強き者」が重宝され、争うことがなくなった江戸時代には「士農工商」が定められ、違う職種が選べなくなり、親の職を継ぐ者として「跡取り=長男」という「考え方」が誕生した。
雅な平安時代は 女の家に男が通う「通い婚」だったのが、朝鮮半島や
中国又海賊等から攻め入られる心配が出て来て「武者」が現れるようになる。と、時代は一変「強き者=男」の世の中となったようである。
話が逸れてしまったので、私の「母性愛」に戻してみよう。
結婚して2か月、退屈な日々に私は子供が欲しくなった。で、女の子を授かることとなった。 しかし、5人姉弟を亡くしている夫は 義両親にとって
最も大切な一人息子だった。その上、昔人間の義両親は「名字を存続できる男子」を望んでいた。
出産2日目、病院のベッドの頭上から
「その次は 男の子をお産みやっしゃ!」との姑の言葉が投げかけられた時こんな古い考えを持っている義両親に驚いたのを覚えている。 そして、生まれたばかりの長女の不憫さを憂いた。その直後から私は長女がどうすれば可愛がってもらえるか?を考えた。
私は 出産した直後の産声を聞いた時「この子の声は なんてきれいな声なんだろう!世界一美しい声だ!」と思った。出産2日後授乳時「お腹いっぱい お乳を飲ませたい!」と言った時、相部屋(当時ベビーブームだったので8人部屋)の一人が、「この中で一番母性愛が強いね!」と言われたことを思い出す。だから、やはり産んだ事によって「母性愛」が生まれたことは確かであった。 しかし、
その後の環境は 母親になったばかりの私にはきつかった。
1)嫁姑関係
2)結婚してすぐ関西から関東地方へ移り住んだ故、生活環境が全く異なり手助けもなく勿論 誰も心許せる人がいなかった
3)ピーナツ畑のぽつんと一軒社宅(36軒)の社宅生活
4)高度経済成長期のサラリーマンだったので、子育ての手伝いどころか
毎夜 午前様のお帰りで、会社の休日のハイキングのお弁当(5~10人
分)も作っていた。
5)上司家族との交流(これについては良くして頂き楽しい思い出だった)
6)出産後、3時間おきの授乳の上夫の出勤時間に合わせての朝食準備
7)当時 紙おむつなどなかったので、古い浴衣のおむつの洗濯の山等
8)寝る隙もなく買い物も競輪選手のように猛スピードで済ませ、あの当時何を食べていたのか記憶にない
よって、母乳が出ず子供の体重が1ッ月と3カ月で全く増えていなくて、
離乳食を早く進めるように保健指導された。
等々
心身の疲れは24時間365日休むことも出来ず必死に毎日をこなしていくことだけで ストレスを溜め、孤独になって、子育てを楽しむどころではなくなっていた。
そんな間に、誰しも「母性愛」など失くしてしまっていたのでは・・?
「母性愛」が育まれるのは、出産後の母子の環境にある。と、私は思う。
確かに出産した直後には「豊かな母性愛」が生まれるけれど、その後の過酷な環境が母性愛を壊していくのではないか!
コインロッカーに子供を捨てる。産んだ子を放置する。等これらの状況は母親の子育ての困窮にあり、「そのようにせざるおえなかった」現状が推察される。
また、若くして子供を授かった人達は 自分自身がまだ子供であり精神的に「親になりきれなかった」こともあるのではないか?と推察する。
こどもを授かれるのは若くて健康な人であり、精神的に成熟してない場合も多くある。
出産年齢が上がっている今日、子供がほしいと思う時期(=精神的に成熟している=親になれる気持ちが準備されていると思われる)なのだが、精子や卵子が弱って来ている年齢のようで、子供は出来にくい。という現実
★私は こう考える。
こうした状況を鑑みて、やはり「子育ては 共同体で!」と思う。
昔、家族制度が崩壊していなかったころ、おじいちゃんやおばあちゃんが
居て 兄弟家族が側に住んでいて、元気な子を産める若いお嫁さんは子供を産み、子育ては家族全体で世話する時代があった。
家族全体=家族社会での子育ては それなりの問題があったかも知れない
けれど、社会全体としての共同体を構築すれば
若い人達は安心して子供を産むことが出来、育てるのは成熟した年齢の人達で育てられる、つまり社会で全てを担う保証された子育て社会になり得る。
今大阪では「高校までの学費無償化」を提案し全国へ広めたいと吉村知事は提言している。
とてもいいことだと思うけれど、幼い子供が殺されている現状では、やはり 若い人達の収入源である給料を上げることにあり、生活の安定が必然であると思う。しかし、もう一つ大事なことつまり最も根本的な問題に「人が人として育っていない」ことが多いにあると思う。
言うなれば「世界的に見ても人の考え方が幼い=幼稚な考え方でしかない」ということを 自覚しなければならない!のではないか?と思う。
近年、 AIに頼ろうとして 人は考えなくなった!
表面的な判断でのみ動く人が多くなった。
もっとも、物事を深く掘り下げ考え 判断することをしなくなった。
近年 SNSの情報を鵜呑みにして、行動に走ることが多くなった。
その危険性を私たちは自覚しなければいけないのではないか。