やさしさに 支えられて!
この度のことで、有難いことに「note」を ずっと読んでくれていた友が「note」に書いた「メールで自然体に会話ができる人」を 読んでくれて メールをくれた。
私は すぐに返事を打った。
私とその友は 学生時代から 真面目にこういうことを 考えていたように思う。
同級生の中には カトリック信者も創価学会の会員も、私のような嫁ぎ先の家の仏教の宗派を継いでいる者もいる。が、「人間て何?、何のために存在しているのか?」ということ等を 真面目に考える若い頃があって
「自分なりに一生懸命答えを探して歩き続けてきたような気がしますが、 80才を超して いまだに明確な答えに出会えぬまま今回の人生の瀬戸際に立っているようです」と書いている友と同じように、私も そんな時
いろんな人たちの 話を聞いて反発もし、同感もしながら 私の中で気づいたことがあったのです。
友も同じように「時と言うものは いたずらに流れていくだけではなくて、その人に必要なものを 求めに応じてそっと与えてくれる…気づけば、そんなふうに感じている自分があります」と、書かれていました。
それは 宇宙をお創りになった方、これを「神」と呼ぶのか又「創造主」と呼ぶのかは 自由なのですが、借りに「神」と呼ぶなら、その「神」が自分の「考え方=思想=宗教哲学」を伝授したく数人の人間が 選ばれた。
それがキリストでありアラーであり仏陀等々であったのではないか?
その人達は 国や風土や人種に合わせて「いかに伝えるべきか…?」を考えた挙句、いろんな伝え方が生まれ解釈がうまれ、それによって微妙に違ったいろんな宗教が 生まれた…? と、私は 想像したのです。
だから、いろんな宗教が生まれ「われこそは 真の宗教!」と言いながら 人間の都合の良い宗教がはびこり、宗教戦争まで起こしている。しかし、 私の知っている範囲では どの宗教も、表現こそ違えど、根源は一つでありその根源こそ「慈愛」なのではないか?と…!
私の到達した考え方は むつかしい宗教哲学でもなく、いろんな人(特に団体に入信している人)の話を よくよく聴いてみた結果で、正しいかどうかはわからない、けれど、これは 私なりに体得した考えであって、最終結果ではない。ことを 明言しておきます。
翌日、私は大変なことを忘れていたのに気付いた。そして、慌ててメールを打った。
すると、すぐに
と、返信がきた。
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