大老師様への手紙
拝啓
残暑酷暑も ようやくおさまり、涼やかな季節になりました。
管長さまには ご健勝のこととお慶び申し上げます。 私の方
お陰様で10月10日、貴寺の本堂におきまして、娘の三回忌を終えることができましたこと、厚く御礼申し上げます。
先日、☆☆様からのご挨拶状をいただき、驚いております。
大徳寺僧堂の管長さまにおなりになって、もう20年も経ちますでしょうか
長らくの間、貴寺のご住職として又僧堂専門道場師家としてのご指導の上
僧堂の管長さまとしてのご兼務は 大変なことだったと推察いたします。
思い返せば、我が家のお墓の入口正面に 夫が両親の墓石を建てましたが
私たちの入る墓石が無いことに気づき、慌ててもう一基墓石を建てる時、
老師様が墓石の配置を ご提案くださいましたので、そのように位置を変え
造ることが出来、現在とても落ち着いた状態で、お参り出来ております。
その時 お礼も申しあげずにおりましたこと 今更のように申し訳なく、
礼儀知らずの私たちであったことを お許しください。
遅ればせながら心から御礼もうしあげます。
夫の戒名も嫁の戒名もそして娘の戒名も つけていただきましたこと
とても光栄に思っております。 が、 私の時は…?
夫の戒名「禅月宗保居士」とつけていただいた折、とてもいい戒名と思い
ご挨拶の折、老師様が私たちにお会いくださいました時、息子が戒名の由来をお尋ねできました。その時
「どんな人か 知らなかったので、戒名を考えながら廊下に出た時 きれいな十三夜の月が出ていたから…」と、お答えくださった時の感動を 忘れません。そして、その時気づいたのです。
檀家の全ての人物を知っているわけではないのに 戒名を考えるのは 確かにたいへんなことだ…と、
その時から、少しでもお役にたてるのであれば、私は1年に1回でもご挨拶がてら家族の報告をしようと、思いました。
私たちにとって、老師様は雲の上のお方 ご修行の邪魔にならないか?
俗世間の話など書いてはいけないのでは?と、いろいろ思いましたが、 厚かましく書かせて書かせていただきましたこと、又 それを快く受け入れて下さり毛筆の漢詩などお返事をいただきましたこと、有難く大切にいたしております。
ご引退されることは 誠にさみしい限りですが、三回忌法要の折 本堂に通じる場所に 新しい庵が出来ているのを息子が 見つけておりました。
粗飯の折、雲水様から老大師様のお住まいであることを知り、納得いたしました。
管長様としての任務を全うされながら、静かな余生を送られるのであるなら
あの庵は 私たちがお墓参りをした時に 老大師様が身近に居られることの安心感を 感じることが出来る理想の庵として、うれしく思っております。
老大師さま、本当に長い間お世話になりありがとうございました。
もう、ご挨拶がてら家族の近況報告も 新しいご住職にすることになるのでしょうねえ。 さみしく思います。 私も一人になりました。
老大師様も昭和18年生まれと お聞きしております。 私も同年の生まれ
それ故でしょうか、とても身近に思うことがございます。
先日の法要の時、久々に会った息子に
「気持ちは先走るけど、身体がついて行かへんやろ」と、いわれました。
その通りで、身体能力はやはり年相応なのだ。と、しっかり頭に入れるようにしております。
どうぞ、くれぐれもお身体ご自愛の上 お過ごしくださいますように
心からご尊敬と感謝の気持ちで祈っております。
長い間 本当にありがとうございました。
感謝
令和4年10月吉日