見出し画像

硬券0010 東京汽船 更新版

東京汽船㈱は、昭和22年に設立され、
昭和24年に浦賀水道を横断し、浦賀港へ結ぶ定期旅客航路が就航されました。

この会社は主に曳船業種(一般に水路から港へ牽引するような、接岸のための補助作業)を横浜港をはじめ各地に展開しました。
昭和35年に久里浜港との間に自動車航送が開始されています。
昭和38年に旅客船部門を東京湾フェリー㈱に譲渡し、資本参加、親会社となりました。
会社としては今も主として曳船事業は続けられています。

ここの切符は廃札が多いのですが、券自体は貫禄はあり(主観ですが)
昭和38年には航路譲渡していますから 昭和36年調整の券なのでしょうか。
3等級時代から2等級への変更は、昭和36年の後期頃かと・・・

廃札が出たのは、等級変更時だからなのか、運賃改訂時だからなのか、
私には判りません。

225東京3
昭和30年代 A型硬券 赤JPRてつどう地紋 矢印式 赤線2条 特3等 
横浜航路(社航路内券)

特3等というのは、あまり聞かない等級ですが、昔の佐渡汽船などにもみられます。

225東京2
昭和30年代 A型硬券 青JPRてつどう地紋 矢印式 赤線2条 2等 小児用 
横浜航路(社航路内券)

木更津港からのもの。また、小児専用もしっかりあったということですね。3等時代の旧2等でしょうか。

225東京1
昭和30年代 A型硬券 青JPRてつどう地紋 矢印式 赤線2条 特2等 
浦賀航路(社航路内券)

「特」の判を追加しただけの特2等

225東京4
昭和30年代 A型硬券 緑JPRてつどう地紋 矢印式 1等 
浦賀航路(社航路内券)

やはり1等の硬券は少ないので新鮮で、緑色も良い感じです。ただ赤線はありません。

どの券の結構良い状態で残された券ですが、実券を沢山見たいところです。

225東京5
昭和30年代 A型硬券 青JPRてつどう地紋 矢印式 2等 
浦賀航路(京浜急行連絡)

浦賀港から京浜急行の浦賀駅までは離れており、バスで連絡する旨が書かれています。
船~バス~鉄道 報告片側にある「京連」は「京浜急行電鉄連絡」の意でしょう。

225東京6
昭和32年 B型硬券 赤JPRてつどう地紋 矢印式3等 
浦賀航路 金谷扱所

これは3等の硬券で、貴重な実券、このころはB型でありました。

225東京7
昭和30年代 A型硬券 青JPRてつどう地紋 矢印式 2等 
浦賀航路 金谷営業所

これも廃札でしょうが、小児にB型

この時代(S30年代前半)は、赤線も見られません。

昭和33年 B型硬券 赤JPRてつどう地紋 矢印式 2等 
横浜勝山航路 勝山代理店

こちらは古い時期の勝山港から横浜港への別系統の航路の硬券でした。


225東京8団体
昭和36年 B型硬券 黄JPRてつどう地紋 団体個人券

団体分乗券、団体整理券、団員券などの表示の航路会社が多い中、
「団体個人券」という表記が新鮮です。

次回は、後身になる東京湾フェリーの話に移ります。

もしも有難くサポート頂けたときは、私著者のクリエイターとしての活動費に使わせていただきます!