どうもどうも。 人生ってなんだろうって考える時ない? 誰でも1回くらいあるよね。 で、いろんな人が「人生とは」っていう問題に答えてるじゃない。 「人生は、終わりのないマラソンのようなものだ」とか 「人生とは、生まれてから死ぬまでの暇つぶしである」 みたいな感じのやつね。 ていうか終わりのないマラソンってすごいキツそうね…。 要するに、今の自分の気分とか、経験とか、そういう自分なりのものを言葉にするとこうなったよ、っていう話だと思うんだけれど。 そんなこんなで僕も一
ここ最近、人生に行き詰まりを感じる。 何をやっても喜べない。一切の空。孤独。 まさに袋小路に迷い込んだねずみのよう。 今いるここはなんなのだろう。 昭和型教育で育った、ゆとり世代の終着点かもしれない 学業と部活、職業と家庭、これまであらゆる競争にさらされてきた。これまで何も疑わず、考えることもなく、結果を出せない者は、努力不足なのだと競争に明け暮れてきた。 無論、心が休まることはいつもなかった。 小学2年くらいの頃、土曜日が休みになり、学習内容が少し変わった。そのせ
あらゆる生命は無意味である。 僕もあなたもあの人も、何の価値もないただの生命。草木や動物と同じだ。 だからこそ、不貞腐れて、投げやりに過ごしてもつまらない。 無意味な人生を斜に構えて、漫然と過ごせばそりゃあ無意味に終わる。 意味が欲しければ、作るしかない。 それは誰も教えてくれない。 学校の先生も職場の上司も両親でさえも知らない。 僕ら自身ですらまだわからない。 人生は等しく無意味で、退屈なものである。 ーーー 僕らはある日突然、生まれてから死ぬまでの裁量権を与え
人生の幸福に大きく左右する、人間心理の原則「コミットメントと一貫性」という性質についてお話しします。 まず始めに、一つの心理学用語を覚えて欲しいのです。「コミットメント」という言葉です。 「コミットメント」というのは、ざっくり説明すると責任を果たすとか、約束するという意味があります。この際、正しい言葉の意味とかは気にしなくてもいいです。 なので、今月から日記を始めますとか、散歩を始めます。という時、これはコミットメントをしているということになります。 このコミットメン
「私の若い頃はね…云々」 「私って、ほら、〇〇じゃん…」 「うちの職場がさあ…」 「俺なんかさぁ…」 あの人はいつも自分の話ばかりでつまらない。 聞いてもないのによくもつらつらと。 自分語りする人ってダサいよね…。 んんん?いや待てよ。 本当にそうだろうか。 もしかしたら、これはいかにも人間にとって重要な営みなのではないかと。そう思うわけです。 今の僕は「自分語り」についてこう思うのです。 自分語りは大いにやるべき。 それはもう大気圏が膨張してしまうくらい、大々的に
〇〇になれば幸せになれる、というのは僕は間違いだと思っています。 これは言い換えれば、結婚するために異性と付き合うとか、利用できるから友達になるみたいな発想が根底にあると思うからです。 これってなんか悲しくないですか? と言うまでもなく、何かおかしいことに気づいていただけると思います。 これじゃ幸せなわけないよって、僕は思うんですね。 でも幸せになりたいから結婚したいと思っているのだろうし、幸せになりたいからもっと友達が欲しいとか、稼ぎたいとか、認められたいとか云々あ
5年くらい前から日記をつけるということを習慣にしています。 それで、気がつけば割と大変な量になっていたんですね。 改めて並べて見てみると、何とも感慨深いものがあったりします。言ってしまえば、ただの紙の束なんですが、なぜだか達成感のようなものがあって、我ながら中々やりよるなぁと感心しております。 僕でこれだけだから、ふだん物書きの仕事をしている人なんかはもっと凄いんでしょうね。 紙の置き場に困るというものです。というのは、冗談というわけではなくて、本当にそうなんですね。
やり方 ・自分に必要なものを残す ・自分に必要ないものを削ぎおとす ダイヤを磨くように、削り出していく。 彫刻を掘るように、切り込んでいく。 自分と他人の違いを区別していく。 自分が何で、何ではないかを理解していく。 紙に書き出して、パッと見れる形にしていきましょう。 自分には何があって、何がないのか、何が必要で、何が必要でないのか、明文化していきましよう。 はじめに、無駄足を踏んでしまうと勿体無いので、やらなくて良いことをお伝えしたいと思います。僕の話を例にお話し
辛いなら逃げていいんだよ、って言う人がいますよね。 これ、全然違うと思ってます。 なぜかと言うと、「逃げてもいい」と言う時、これは脅威に対して立ち向かうことが前提になっているからです。 実はこれではダメなのです。 僕はよく散歩をするのですが、ふらふらと歩いていると色々な生き物に出逢います。その中で生き方の参考にすべき動物がいるんですね。 その動物というのは「亀」です。 カメさんなんですね。 特にスッポンをよく見かけるのです。 それで、スッポンってどんなイメージか
【目的①】3ヶ月分の食事データを採取すること 【目的②】食事内容に関する初期評価をするため 3月 3.2(2980kcal) 味噌汁ご飯(150kcal)ピーナッツチョコ(410kcal) 塩バターパン3つ(663kcal)アップルパイ(509kcal)モンスターエナジー(178kcal) ご飯400g(672kcal)チヂミ2枚(328kcal) ネギトロ25g(72kcal) 体重54.0kg 体脂肪9.2% 水分60.3%(夕食後) ーーーーーーーーーーーーー
僕らは何か特別なことをするために生まれてきたわけじゃない。 僕らは生まれたから生きているのだ。 ただそれだけなんだ。 僕が物心ついてまもない頃。僕はあらゆることに興味を持っていて、「あれはなあに?」「これはなあに?」「なんで?」「どうして?」という4つの質問が癖だった。(まとめてしまうと「what」と「why」の2種類の質問になる) その当時、僕は母よりもばあちゃんに面倒を見てもらっていたから、幼い僕はあらゆる意味でばあちゃんを連れ回した。 またある時、ラジオなんかの電
僕の初恋はいつだっただろう。 そう、中学1年生の頃だ。 入学して間もない頃、途方もなく惹きつけられた、あの時、あの女の子だ。 彼女は自己主張をしない物静かなタイプで、絵が上手だった。 もし10代の時の大和撫子は誰だったかと論じる機会があれば、当時の熱量を持って、僕は彼女の名前をあげるだろう。いや、むしろそれ以外にない。 彼女は美術部に入るらしかった。ならば僕もそうしたかったが、しかしそうもいかなかった。美術部には女性しかいなかったからだ。自分に自信がなく、たじたじだった
いつものように散歩をしていた。 時刻は14時頃。日差しが強いので、目を細めながら、太陽に背を向けて歩いた。 時折、目にかかる前髪が、左右問わず縦横無尽に薙いだ。風の強い日だった。 こんな日でも、空には鳥が漂っている。 あの黒いシルエットはカラスだ。2羽飛んでいる。 ーーー上空に風が薙いだ。 2羽のカラスは、風を受けて静止する。 いや、待てよ。 一方のカラスは風に逆らってバタバタと羽ばたき抵抗している。それでも停滞しているままだ。 しかしもう一方のカラスは、く
今から思考実験をしていく。 この世界を一つのゲームとして見立てた時、僕らプレイヤーはどのような振る舞いができるのかについて。 前提として、僕たちの思っている常識は、誰かが作ったものであるという仮定で話を始める。 誰かが作ったというと、意図して作ったように聞こえるが、実は違うと思う。 理由は、そんな難しそうなことをできる人はいないと思うから。おそらく成り行きでそうなっただけというのが結論である。 もし仮に狙って作っていたとしても、原因が意図的だったかどうかというだけで、現
引き寄せの法則について思うことをお話しします。 引き寄せの法則とは、「思考は現実化する」というナポレオン・ヒルの思想に端を欲する原理原則であるというのが一般的な見方かと思います。 意識したことが、現実となる(事実とは言っていない)ということがポイントでしょうか。 これは法則というより、科学でも明らかにされた心理現象(頻度錯誤あるいはカラーバス効果)であるというのが、現在の僕の見解です。 つまり法則(外的要因)ではなく心理現象(内的要因)なのです。 【頻度錯誤】 特定
僕は占いが好きですが、一方で嫌いでもあります。その理由と僕の思う「占い」の利用方法について手短に話します。 占いってだいたいの場合、何か困ってる時に頼るものですよね。 しかしながら、人は困難に置かれている時、判断能力が著しく落ちています。 そんな時、占いを頼ってしまうと悲劇が起こります。 占い師は誰にでも当てはまるそれっぽいことを言います。 視野が狭くなっている時に「それっぽいこと」を言われてしまうと、それがまるで救いの一手のように思えてきます。まさに蜘蛛の糸を見る