仙骨と私 その20
当時、例のヒーラーさんに、20歳の頃に突然ハートが開いた体験や、また仙骨から踊りが溢れた体験の話をすると、
「それは一時的なクンダリーニ上昇で、その体験そのものに意味はありません。派手な至福体験に気を取られず、日々の地味な積み重ねに目を向けてください」
という感じのわりと厳しい反応が返ってきた。何だよチッ、という気持ちになったけど、今ならヒーラーさんの言うことも分かる。
派手な体験は私にハートや仙骨の存在を気付かせてくれたから、決して意味のないものとは思わないけども、あれから10数年経って、本当に大切なことは地味で目立たない、日常の反復の中にあることをしみじみ感じる。
だけど人は自分の内側が虚ろに感じている間、どうしても分かりやすく派手なものを求めてしまう。何かが突然やってきて、自分の人生をすっかり変えて満たしてくれることを、待ち望んでしまう。
それをやり尽くしてすっかり絶望した頃、ようやく内側の微かな光に目が向く仕組みなんだろう。
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