逆境に立たない
僕は暇が好きです。これを書いている現在、すごく暇です。スケジュール帳やアプリを持たなくてよいくらいには予定がありません。僕はいつだって暇でありたいし、高校を卒業して以来だいたい暇でした。バイトをしていたり、音楽ニュースサイトを運営していたりして暇じゃなかった時期もありましたが、概ね暇だったと言ってよいでしょう。
暇のなにが良いって、友人の遊びの誘いにほいほいと乗れることです。「これから家に遊びにおいでよ」とか「明日飲もうよ」とか「海を見に行こうよ」みたいに誘われても断らなくてよいのが本当に嬉しい。
そして、小説を書く時にひとつの作品に思いっきり時間をかけられるのも暇なことの良い点だと思います。これは僕の人間性の問題なのですが、スケジュールや締切やノルマとういものが好きではありません。忙しいなかで、なんとか時間をやりくりして、”間に合わせて”小説を書くなんて僕はやりたいないし、良い作品が書ける気がしないです。
もちろん世の中の作家と呼ばれる人たちの多くはとても忙しいなか、なんとか時間を割いて、素晴らしい作品を作っているのだと思います。素直に凄いなって思うし尊敬できるのですが、その状況に僕は立ちたいとは思いません。
僕は落ち着いて、じっくり作品に向かい合いたいのです。短い小説でも、ひとつの作品に時間をかけたい。ひとつひとつの言葉に向き合いたい。だから暇であることが必要なのです。
あともうひとつ。暇すぎて創作に意欲が湧くというのも良い点です。僕は基本的には追い詰められないと何もしない人間なのですが、読書にも飽きたし、観る映画やドラマもないし、友だちと遊ぼうにもみんな忙しそうだし、洗濯も済ませたし、シャワーも浴びたし、歯まで磨いてしまったという状況になると、さすがに暇すぎて「じゃあ小説でも書くか」みたいな心づもりになります。こんなこと書くと不真面目だと怒られるかもしれませんが、暇は動機づけとしては侮れないのです。
また、僕は心の安寧もほしい。昨年2023年秋に家族が事故にあって5ヶ月間入院したのですが、その間はひとつの文章も書けなかった。書けなかったというより、書かなかったというのが正確です。パソコンにもスマートフォンにも向かい合いませんでした。
毎日お見舞いに行き、保険やらの各種手続きと連絡に奔走していたのもありますが、暇な時間がないわけではありませんでした。その証拠にソロプレイできるボードゲームを買い漁って毎晩遊んでいましたから。でも、家族が入院している間、どうしても小説を書こうという気になれませんでした。
僕は心が落ち着いている状況こそ、想像性が掻き立てられると思うのです。災害とか戦争とか病気とか貧困とか差し迫っている状況では、目の前のことや未来に立ち向かうことができても、自分の心の奥から滲みでる水のようなものに耳を澄ますことは僕にはできないと思うのです。「創造」はできても「想像」はできないのではないかと思うのです。
明日食べるものにも困り、頼れる家族も友だちもいなくて、周囲から孤立して心の拠り所もない。そんな逆境こそが作家の想像力を掻き立て、困難に打ち勝つ物語を書くことができるということは否定しません。むしろ、あえて逆境に立つという人の方が多いのではないかと思うのです。
でも、僕は違う。逆境に立ちたいとは思いません。おじいさんが庭で育てた花を愛でるように、おばあさんが膝の上に寝転ぶ猫をなでるように作品を書きたいと思うのです。
写真は庭で育てたキュウリです