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熊野古道の魅力

さっきラジオから、歌人の方をゲストに迎えたインタビューコーナーを耳にしました。パーソナリティは難しそうだとか、縁が無いとか、子供の頃やった百人一首くらいしか触れた機会が無いとか言っていました。

ん?

百人一首「くらいしか」?

何を仰る!「くらいしか」?

百人一首こそ、古の歌人、貴族、庶民が詠んだ和歌のベストセレクションでんがな。

選んだ人こそ藤原定家です。

藤原定家といえば、後鳥羽上皇に随行して熊野古道を旅した歌人ですよ。

この本、オモロいんですよね。
当時の熊野詣の大変さやら、定家自身の愚痴やらがあからさまに紹介されています。
プロの歌人ですから、道中、歌会をやりながら進む後鳥羽院に催促されて歌を詠むんですが、しんどいから「やっつけ」で仕方なく詠むんですね。なんか、社長のゴルフに仕方なく随行する会社幹部の悲しさを思い浮かべてしまいます。コレまた、京の都でのんびり過ごす貴族ですから、過酷な旅にヘトヘトになり、体調を崩し、最悪の体調なのに悪天候の中、粗末な輿に担がれて山道を行くという状況も愚痴愚痴したためています。

以前から熊野古道歩きをしているので、コレを読みながら旅の計画を立てたり、実際歩いたりすると、とても面白く過ごせました。

コレまでの熊野古道歩きについては、こちらのマガジンからどうぞ。

なので、基本的な紹介は割愛します。

熊野古道の魅力は?と聞かれたら、普通は歴史を感じる山中の歴史街道の雰囲気にロマンを感じる。。。とか答えるんでしょうね。

勿論、先ずはそれが有りますが、実際、大阪市内から通して歩いてみると、もっと感じる部分が有りました。

▪️歴史の一部

平安の頃から続く熊野古道、令和の今もそのまま残っている区間も有ります。そういう意味では、後鳥羽院や藤原定家と「同じ」土や苔、石畳を踏みしめて歩く事になりますから、現代の自分も歴史の一部であり、千年続く歴史の流れを感じます。ロマンですねー。

長い歴史なので、今は残っていない区間も多くあります。紀伊路、特に大阪府内は、秀吉の頃、江戸期、近世、戦後の開発という多くの歴史のハードルを経ていますから、全く歴史を感じない区間が殆どです。しかし、それもまた歴史であります。

そんな近代化されたアスファルトの道路でも、ふと顔を上げて遠くの和泉山脈を眺めると、平安の頃から「変わらない」山並みが続いています。「昔の人たちも、あの山並みを横目に眺めながら南下していったんやなぁ」なんて考えると、自分の周囲に『蟻の熊野詣』した庶民たちの姿が浮かんでくるようです。当時はそんな旅人たちを地元の人たちはどんな風に眺めてたのかな?とか、何処からおいでで?私、播磨国ですねん。ほな長い道のりお気をつけて〜!…なんて交流したのかなぁ?と想像したりして。

▪️地理学的な

この参詣の為の長い道は、山伏たちが実際歩いて開発していったと言われています。きっと、皇室から声が掛かり、安全に、でも修行の意味も込めて、確実に熊野まで辿れる道を整備しなさい!なんて指令を受けて里、山、川沿い、海沿いを駆けずり回った事でしょう。道なき道を整備したかもしれません。

実際歩くと、時に「なんでこんなルートを選んだんだ?」と疑問に思う時も有りました。ずっと海側の峠の方がいきやすそうなのに。とか、隣の尾根の方が緩やかなんとちゃうの?とか。
恐らく、早く、安全に、楽に旅するなら違ったルートを選んだでしょうが「修行」にもなるという部分を加味すると、こういう過酷なルートになったんでしょう。

和歌山県を南下してると面白いんですよね。
JRの線路が遥か東の方を回り込んでたり、国道42号線が谷の反対側に走ってたり。はたまた、鉄道、国道、古道が同じ海岸沿いを並んで走ってたり。
その時代時代の開発者の考えにも思いを馳せながら歩くと「道」というもの自体の意味合いも想像出来て、楽しいです。

▪️風土というもの

例えば。。。
大阪市内から堺市へ入ると、祭り屋台の小屋があちこちに建っています。

もう少し南下すると、だんじり小屋になり、道上空を横切る電線に赤い布切れが吊るされてたりします。


泉南を南下してゆくと、街中の店先には「やぐら」(牛車のような大きな二輪を付けただんじり風の山車)のカレンダーが貼ってます。
一方、和歌山県に入ると。。。

「みかん園」の中の畔道が熊野古道だったりします。ずっと道の両側にみかんの木が有ったのに、南部(みなべ)まで下ると、今度は「梅園」の中を歩くルートに。


日差しも強くなり、田辺市が近づくと海沿いの漁村裏を行く道。道沿いに漁船修理の工場が有ったり、大きな材木加工場の横を通ったり。
国道42号線沿いを歩いてると、ズラーっとビニルハウスが並び、中ではカラフルなお花たちが出荷を待ってたり。
背の高いシュロの木もあちこちに見えたり。

クルマで通過すると数時間、特に和歌山県内の高速道路は山側をトンネルで貫くルートですから、そんな風土の変化には気が付きません。延べ数日、機会を分けて季節をズラしながらゆっくり歩くからこそ、その土地土地独特の風土を実感出来ます。

因みに。。。
泉州地域の祭りは秋。熊野街道沿一方なら10月前半です。
紀州みかんは、晩秋から冬、早春頃。
梅は、花なら2月〜3月。梅の実なら夏前あたり。海沿いの温暖な気候を体感するなら早春がおススメですね。

▪️ヒトとの出会い

熊野古道、特に、人気の中辺路(なかへち)ルート沿いは、歩き旅をする旅行者が多い区間です。ココ数年は、コロナ禍の為、インバウンドは極めて少ないですが、数年前は世界中から人々が訪ねてきていました。勿論今でも、全国から人々が訪れます。道中すれ違ったり、抜きつ抜かれつ先へ進む人たちと、声を交わして、時には同じ場所で休憩、弁当タイムを過ごしたりというのも楽しいものです。
また、中辺路沿いは、民宿やゲストハウスも多い区間。中には、他所の土地から熊野古道の魅力に惹かれて移住した経営者もいます。
そんなオーナーやその家族たちとの交流も面白いです。
自分がお世話になった宿には、名物猫ちゃんやヤギ兄弟が居ましたw

食堂の壁に大きな世界地図を貼り、宿泊客にピンで自国を刺してもらうという企画をしていましたっけ。

大きな宿では味わえない思い出に残る交流、コレは大きい魅力でしょう。また訪れたいと、やっぱり思いますもん。

▪️そしてスピリチュアル

コレはもう『なんとなく』でしか無いw

深い紀州の山の中を歩いてると「何か」を感じます。

自分の場合、最終日が本降りの雨に祟られたので、黙々と一人で雨に降られながら急な坂を上り下りしてると自ずと「修行」的な精神状態に陥りました。

ハイキング気分で親しい人たちとワイワイ歩くのも良いですが、一人歩きすると、なんとも言えない「チカラ」を周囲に感じるので、おススメですよ。

▪️是非たっぷりと

今回紹介したような魅力は、ゆっくり、数回に分けて通し歩きしたからこそ実感出来ました。
どうしても、遠くの土地から訪れる場合は、ハイライトといえる中辺路の、それも本宮周辺の10キロ程度を歩く人が多いと思います。でも、なるべくスケジュールをたっぷり取って、出来れば、何度かに分けて紀伊路から通して歩いてみて欲しいです。

大阪府内の区間は、時には不思議な目で見られますけどね(苦笑)。

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