フェミニスト現象学入門ー経験から「普通」を問い直すーの紹介
以下、ひとまず目次の紹介します。
【目次】
Ⅰフェミニスト現象学の始まり
・フェミニスト現象学とは何か
・女の子らしい身振りとは何か?身振りについてのフェミニスト現象学
・妊娠とは、お腹が大きくなることなのだろうかー妊娠のフェミニスト現象学
・なぜ月経を隠さなくてはいけないのだろうかー月経のフェミニスト現象学
・外見を気にしてはいけないのか?ーボディ・イメージと雰囲気のフェミニスト現象学
・どこまでがセクシャル・ハラスメント?ージェンダー視点の重要性
・一人暮らししなければ一人前じゃないのか?ー(家に住むこと)のフェミニスト現象学
Ⅱフェミニスト現象学の拡がり
・なぜ今、フェミニスト現象学なのか?ー展開と挑戦
・なぜ自分のセクシャリティを口に出すのか?ー経験からのセクシャリティ再考
・「性別違和」とは何か?-トランスジェンダー現象学の導入に向けて
・男だってつらい?ー男らしさと男性身体のフェミニスト現象学
・人種は存在するのか?ー差別に対するフェミニスト現象学的アプローチ
・障害はどのような経験なのか?ー生きづらさのフェミニスト現象学
・年を取ることと、老いることは同じなのか?ーフェミニスト現象学の視点から考える老い
【内容紹介】
「フェミニスト現象学とは何か」「なぜ今、フェミニスト現象学なのか?」を見ていく。
フェミニスト現象学は、フェミニストの大越愛子が、「現象学の方法論を用いながら、主流の現象学が見落としていた女性の経験を考察の中心に据える、フェミニズムと現象学の両社の考え方を併せ持つもの」と説明している。
それは、「人間を男女という2つのカテゴリーでとらえる区分の自明性を問い直し、多様な性のあり方、その自由と平等を考えるもの」とされる。
現象学は、一人称の素朴な経験を記述していくが、フェミニスト現象学では、女性の生きられた経験について、当事者の視点から記述し、考察をしていく。現在は、女性の経験に限定せず、様々な性的存在の生きられた経験について、マイノリティと呼ばれる人達の経験について当事者の視点から探究する学問として展開している。
ボーヴォワールは、「人間とは自然の種ではなく、歴史的観念。女は固定した現実ではなく、生成である」という。こうしたとらえ方は、本質主義に対して反本質主義という。さらに、自然的なものを根拠にして物事をとらえる仕方を自然主義というが、ボーヴォワールのとらえ方は、反自然主義でもある。フェミニスト現象学も、女性の在り方は、社会的、経済的、文化的条件の相互作用の中で作られると考える。
フェミニスト現象学が向き合ってきた課題として、大きく3点ある。1点めは、学術研究の多くが、男性の経験をモデル化している。2点めは、ボーヴォワールは、高等教育を受けた白人女性の経験である、3点めは、ジェンダー化されていない主体を想定している、である。
上記課題は乗り越えられつつあり、フェミニスト現象学では、記述を通して、個人が何を経験しちえるのかということだけでなく、その個人が生きている社会の状況、問題への覚醒に努めることに意義がある。
「なぜ今、フェミニスト現象学なのか?」について。
まず、フェミニスト現象学が求める心理とは、この「私」によって「生きられた経験」で得た真理とある。そして、女性の問題は、マジョリティである男性が依拠する「一致すべきモデル=家父長制」から周縁化されていることにあるとしている。だから、マジョリティの規範に疑問を持つ必要があると。そして、専門家の作り出す「枠」そのものを問う必要があると。
そして、マイノリティと呼ばれる人たちの生きづらさや生きられた経験を細緻に記述・分析をすることの大切さについて理論的背景の紹介がなされる。それが現象学という方法である。マイノリティと呼ばれる人たちの経験の現象学的記述は、記述可能だった経験を批判的に捉えなおし、記述されてこなかった経験へと領域を拡張できる。そうした記述は、マイノリティの自明性を疑問視する力を私たちに与えてくれる。
また、そうした営みが、医学・科学的な知識と関連づける態度も求められる。その例として挙げられるのが当事者研究である。当事者研究は、、マイノリティ当事者が自身の経験の説明・改善のプロセスなどを、専門家に任せきりにせず、類似した生きづらさをもつ当事者同士が集まって、お互いに語り合って、それぞれの経験を言語化・可視化する実践である。
本書で明らかにしたいのは、マイノリティ当事者は自分にどのような生きづらさがあるのか具体的に認識できなくても、他のマイノリティ当事者の生きづらさの内容が自分のものと重なる場合、それを認識できることである。
フェミニスト現象学が今後展開するうえでは、マイノリティとマジョリティ、主観と客観との懸け橋になるような理論の構築が必要となる。そのために、共生のための対話、共生社会への新しい方向性を提供する相互依存の理論が求められる。フェミニスト現象学は、マジョリティ中心社会の規範と前提を批判的に問うことによって、私たちの学問領域を拡張させていく。