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「なめとこ山の熊」あらすじ解説【宮沢賢治】

「しっかり読む」とは「この言葉がどこにかかっているか」という現代国語問題集のような読み方ではありません。あれは受験用の暇つぶしです。多義性ゆえに正解を求めづらい言語教育で、入学試験の公正さを確保したい教師たちがひねり出したものです。先生方の苦労は察しますが、大の大人が信じるものではありません。全体構成を把握することを、「文章をしっかり読む」と言うのです。

あらすじ

小十郎は猟師です。なめとこ山で熊猟をしています。長い間やっているので、熊の言葉がわかるときがあります。名人です。でも町で毛皮や熊の胆を売るときは買い叩かれます。名人かたなしです。婆さんと孫5人も抱えていますので苦労するのです。獲物の熊とは信頼関係のようなものがあります。ある時射殺しようとした熊に頼まれます。「仕事があるから殺すのは2年待って。2年後に体をあげるから」。果たして2年後家の前で熊が死んでいました。

そんな小十郎も老いには勝てません。顔を洗うのがおっくうになってきます。でも猟に出ます。熊を撃ったつもりが、頭に衝撃喰らいます。やられたようです。死にます。

3日後の夜、小十郎の死骸は高い所に座っているように置かれています。まわりで熊が雪にひれ伏しています。小十郎を拝んでいるのです。小十郎の顔は笑っているように見えました。(あらすじ終わり)


短いですが謎めいた作品です。年齢に矛盾を抱えています。

1、小十郎40歳の時に赤痢で息子と息子の嫁が、死んだ。犬が生き残った。
(それからどれだけ時間が経過したか作品内では不明)
2、小十郎の母が90歳の時に、小十郎は子供(孫)5人に見送られて犬といっしょに狩に出て死ぬ

無理があるのに気がつきましたか?小十郎が死んだとき、彼は何歳だったのでしょうか?死んだとき母親が90歳ですから、小十郎は70歳(母は20歳で小十郎を出産として)~60歳(母は30歳で小十郎を出産として)くらいです。つまり赤痢の時から最低20年経過しています。

赤痢の時小十郎は40歳でした。その時死んだ息子夫婦は、当時20歳くらいでしょう。だったら孫はゼロ歳くらいでしょう。犬もゼロから1歳くらいでしょう。小十郎が死ぬとき、孫は20歳、つまり立派な大人になっているはずです。でも作品の中では子どものままの姿です。おかしいです。小十郎が死ぬとき、犬も20歳、つまりたいへんな老犬になっているはずです。柴犬の最高寿命くらいの年齢です。でも作品の中では元気よく熊に噛み付きます。おかしいです。

つまり「なめとこ山の熊」は、リアルな童話ではなく、神話のような抽象的な話と考えたほうが良いのです。そう考えて本文を読み直してみます。

章立て

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章立て、つまり作品を分割して考えてみるのが、よみとき最大のコツです。第一章が量が多いので三つにわけました。賢治は数字で作品を組み立てます。章ごとに特徴的な数字を拾っていきましょう。

1-1なめとこ山の説明
「三百尺ぐらいの滝になって」
「三里ばかり行くと」

1-2小十郎の熊狩り
「三つ又からサッカイの山から」

1-3熊の言葉がわかる小十郎(母子熊を見逃してあげる)
「母親とやっと一歳になるかならないような子熊と二疋」

2まちで買い叩かれる小十郎(熊の皮2枚で2円と買い叩かれる)
「銀貨を四枚」
「熊の毛皮二枚で二円」

3約束どおり二年後に死ぬ熊(命乞いをした熊を見逃してやる)
「二年だけ待ってくれ」

4老いを自覚した小十郎
「一月のある日」

5熊に殺される小十郎
「それから三日目の晩だった」

三と二の物語

全体は

Aパート(三の世界)
1-1なめとこ山の説明(三百尺、三里)
1-2小十郎の熊狩り(三つ又)

Bパート(二の世界)
1-3熊の言葉がわかる小十郎(母子熊を見逃してあげる)(二疋の熊)
2まちで買い叩かれる小十郎(熊の皮2枚で2円と買い叩かれる)(二枚と二円)
3約束どおり二年後に死ぬ熊(命乞いをした熊を見逃してやる)(二年後)

Cパート(三の世界)
4老いを自覚した小十郎
5熊に殺される小十郎(三日目)

の三パートに分割出来ます。
三ではじまり、二が出てきて、三で終わる物語です。
このように全体の構成をきっちり作れるのが賢治の最大の特徴です。

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宮沢賢治という人は、自然派と見られがちですが、実はものすごく性能の良いコンピューターのような面を持ちます。彼の童話も、自然でおおらかな話というより、緻密に組み上げられた名人芸的な作品の意味合いが大きいのです。宮沢賢治は熱心な浄土真宗の檀家に生まれ、その後自分の考えで日蓮宗に改宗しました。日蓮宗の中心経典である法華経の熱烈な信者です。ですから作品の根底には全て仏教思想があります。

そこであんまり一ぺんに言ってしまって悪いけれども(なめとこ山の熊の中の名フレーズです)、この作品は熊と小十郎の世界、つまりAパートとCパートの三の世界が仏の世界なのです。

Bパート、二の世界は仏の世界になれていない人間の世界です。

なめとこ山とは須弥山なのですね。仏教では世界の中心にある山です。半分は仏の世界、半分は人間の世界を描写しています。

対応関係

(Bパート・二の世界)
「月光をあびて立っている母子の熊」を見て助ける(月光を浴びる親子熊)
「小十郎は毛皮の荷物を横におろしてていねいに敷板に手をついて言う」(手をつく)
「熊が口からいっぱいに血を吐いて倒れていた。小十郎は思わず拝むようにした。」(拝む)

(Cパート・三の世界)
「雪と月のあかりで見るといちばん高いとこに小十郎の死骸しがいが半分座ったようになって置かれていた」(月光を浴びる小十郎)
「黒い大きなもの(熊)がたくさん環になって集って各々黒い影を置き回教徒の祈るときのようにじっと雪にひれふしたまま」(手をついて拝まれる小十郎)

二の世界でしたことと、三の世界でされることが、対応しています。
良い意味での因果応報というやつです。よくできた作品です。


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