「葬送のフリーレン」解説
読み解き業界には仁義があります。現役作家の作品を細かく読み解きしすぎることは仁義に反します。よって概略だけの解説になります。ちなみに原作コミックは読んでいません。
風景と内面
人生の記憶はあまりにも多く、長く生きる種族ともなればその量は森の樹木の数のように膨大なものになります。
しかしその記憶の中に、
深夜の森に立ち上る光のように、
煌々たる輝きを放つ一点がありました。
おわかりのようにこのシーンで、
今現在主人公の外に広がっている風景と、
主人公の内面にある過去の記憶は、完全に一致しています。
文学的、詩的なシーンです。
このような内と外の一致の描写は、和歌の世界でも王道と言えるものです。(花の色は、の歌はさんざん参照してきたので除外して)少しサンプル掲載します。
もの思へば沢の蛍も我が身よりあくがれいづる魂かとぞ見る(和泉式部)
ゆらのとを渡る舟人かぢを絶え行くへも知らぬ恋の道かな(曾禰好忠)
不来方のお城の草に寝ころびて空に吸はれし十五の心(石川啄木)
フリーレンは1000年以上生きてきただけあって、1000年以上の歴史を持つ日本文学の伝統を今によみがえらせてくれています。
戦略的エピソード配列
章立てはだいたいこうなっています。
まとめると、
さらにまとめると
こうなります。全28話の中心は13~17の「人と手を握るということ」になります。
この節は、ゴリラの手を取って一緒に出立しなかったザインの後悔、
それを話しながら手を取って沼から脱出させてくれとフリーレンに訴えるザインの要請から始まります。
前述した、ヒンメルが手を取って指環をはめてくれたシーンを経由し、
シュタルクとフェルンが手を取って踊るシーンに至り、
フリーレンを勧誘するヒンメルのセリフ、「手を取れ、フリーレン」
最後に、病気の時ヒンメルが手を握ってくれたことを思い出し、
フリーレンはフェルンの手を握ってあげます。
フリーレンは前回の勇者一行の魔王征伐では、「人と手を取り合う事」の本当の意味は理解できていなかったのです。今回は前回の旅の経験も踏まえ、人格的な広がりを獲得しています。
この作品は過去回想シーンの頻度が並外れて多いです。一覧にするとこうなります。
うちもっとも重要なヒンメルについての回想は、
となり、やはり赤の部分、13話~17話の「人と手を握るということ」の節に密度高く存在しています。こういう戦略的なエピソード配列は、文学の中でも超一流の作品でしばしば見ることができます。
キャラ配置戦略
ホル爺は、妻に先立たれました。
妻との約束を守って村を保護しています。
宮廷魔法使いデンケンも、妻に先立たれています。
墓参りに行くために試験を受けています。
フリーレンは二人を裏返した存在、結婚しなかった夫に先立たれた妻です。
フランメはフリーレンの師匠。花畑を出す魔法が一番好きでした。北の果てに死者に会いに行ったことがあります。
ゼーリエはフランメの師匠。育てた人間の弟子のほとんどに先立たれてしまいましたが、今でも彼らの事をいとおしく思っています。
フリーレンが一番好きな魔法は花畑を出す魔法です。北の果てに死者に会いに行く旅をしています。先立たれたヒンメル、ハイターのことを今もいとおしく思っています。人間の弟子、フェルンを育てています。
グラナド領主は戦いで子を失っています。シュタルクに愛情を持ち、なんとか助けてやろうとします。
オルデン卿も子を失っています。シュタルクを一時子の代わりにして、急場を乗り切ります。
ヒンメルを失ったフリーレンも、シュタルクをヒンメルのような立派な戦士にしようと努力しています。
つまりフリーレンが旅で出会う人は、フリーレン自身なのです。
自分の心に出会う旅です。このようなキャラの重ね合わせの表現は、世界文学の名作にも存在します。
フリーレンは「闇の奥」のポジティブバージョンといったところでしょうか。「闇の奥」は読んでいて不快なだけなのですが、フリーレンは魂が修復される感じがありますね。
参考までに、アニメでのキャラクター配置戦略といえば、宮崎駿「風立ちぬ」が素晴らしい達成をしています。しかし本作も非常に優れています。
内面の時代
私はルパン三世世代です。アニメの中の世界中の風景を見て、憧れていました。ルパンは盗賊物語というより、世界漫遊の物語でした。
ルパン一行のキャラ配列は、西遊記が下敷きになっています。
西遊記も、外の世界にあこがれる中国人が妄想を膨らませて描いた物語です。
しかし一方で西遊記には、内面の旅、時間の旅という側面もあります。
孫悟空は石から生まれますが、夏の禹王は石から生まれたという伝説があります。そもそも使っている棒は禹の治水用具です。
猪八戒はえらく飲食欲が強いですが、殷の紂王は酒池肉林で滅びました。沙悟浄はおとなしくて礼儀を重視した周王朝の雰囲気あります。
となると三蔵法師は舜帝、観音菩薩は堯帝、釈迦如来は黄帝となります。
彼らは西に向かっているように見えて、実は過去、黄帝の時代、中国文明の始原の時間に向かっていたとも言えます。孫悟空の最初の官職は「弼馬温」という馬を世話する仕事です。弼馬の弼は輔弼の弼でして、馬を育てるのを助ける。では弼馬温の上役になるはずの、馬(意味としては軍隊・戦闘)を司る役はなにか。西遊記は歴史物語なのです。
この西遊記の内面物語的側面を下敷きにしたのが、例えば鬼滅の刃です。
鬼滅は外国への憧れはなく、ひたすら過去、内面世界の旅の物語です。
フリーレンは、よりいっそう内面物語です。ヒーローの死から物語が始まり、80年前の出来事をなぞりながら旅をします。
寝ても覚めても三蔵法師の孫悟空は、もう死んでしまいました。でも悟空の思い出をもったまま、三蔵法師は二回目の旅を続けています。元来が取経の旅をした人ですから、今もひたすら魔導書を探し求めます。
猪八戒役のハイターは、アルコール中毒でした。
彼には後継者が居て、お菓子中毒です。
彼女は自分の宿命がわかっているのでしょうか。彼女の下敷きはこれなのです。
うかうかしているとここに辿り着いてしまうのです。
(ルパンの次元大介は凄く痩せています。
フェルンと反対です。しかし速射属性は共通です。実は猪八戒はそれほど強くはないのですが、調子に乗ると無茶苦茶勢いのある攻撃ができるキャラです)
アイゼンは無口です。てゆうか口元映された記憶がありません。時々声は出しますが。彼は沙悟浄キャラです。
となると三蔵法師の師匠のフランメは観音菩薩です。観音様は敵に出会うと花を降らせます。フランメは花畑を出す魔法が好きです。
フランメの師匠のゼーリエがお釈迦様です。大量の経典を所持しております。
ゼーリエは口が悪く態度がでかく、一見お釈迦様キャラではないのですが、「慈愛」という意味では完全に共通です。全ての弟子の性格と好きな魔法を憶えていて、弟子を取ったことを後悔したことは一度もないのですから。
おそらくお釈迦様もこういう気持ちで人に教えていたんでしょうね。絶対自分にはなれないことは分かっていながら、目の前の人をなんとかレベルアップさせようとしていたんでしょうね。
毒舌を吐きながら弟子のフランメの魔法の花を一人見つめるゼーリエ。ここは下敷きの西遊記よりもさらに仏陀の本質に近づいていると思います。優れています。
西遊記下敷き物語は、東洋世界が存続する限り永遠に再生産されます。どの側面を強調するかで、だいたいその時代の空気がわかります。
ルパンの時代、1970~80年代までは外的世界に興味がある時代でした。
鬼滅フリーレンの時代、現代は、西洋化した結果西洋の文化に飽きまして、むしろ内面世界に興味がある時代です。
国力
少し前に「チェンソーマン」というアニメがありました。べらぼうに美術的能力が高かった。動的な力量が高かった。
つまりチェンソーマンは黒澤映画です。
フリーレンはより静的で、しっとりじっくり物語が進行します。内容は内面、記憶、時間の物語です。
つまりフリーレンは小津映画です。
というとアニメ制作者たちが「我々はとうとう小津映画の高みに到達できたか」と喜びそうです。違います。
小津はフリーレンほど演出技術の引き出しが多くないです。
いつの間にか、小津路線でありながら小津作品をはるかに超える出来のものを、アニメ業界は作れるようになっているのです。チェンソーマンでもそうでしたが、作品のそこかしこに、スタッフたちの映画的教養がにじみ出ています。それは監督だけが頑張ってどうなるものではなく、膨大なスタッフのそれぞれが映像文化博士になっているとしか思えません。全体のレベルが高すぎる。アニメ業界は異常な状態になっています。自分たちは意識していないでしょうが、傍から見れば世界に類を見ないモンスター集団です。
こういう作品の質は、国力を反映します。
大戦中、ディズニーの「ファンタジア」のフィルムを軍部が入手しました。軍部は日本のアニメ製作者にそれを見せました。アニメ製作者は、「あ、これはこの戦争負けるな」と直感的に思ったそうです。
戦後「風と共に去りぬ」という映画が上陸してきました。総天然色、つまりフルカラーです。物凄く力の入った映画で、映像に絶対に映らない衣装の裏地まできっちり作り込んだという伝説が残っています。日本人の観客たちは「なるほど、この国には戦争負けるはずだ」と納得したそうです。国力は文化に出るのです。
ただ日本もその後逆襲しまして、予算規模では負けていましたが、小津黒澤の50年代の映画の水準は物凄いもので、高度経済成長を十分予感させるものでした。
実際黒澤の「隠し砦の三悪人」のオープニングが、
「スターウオーズ」のオープニングになり、
「悪い奴ほどよく眠る」のオープニングが、
「ゴッドファーザー」のオープニングになりました。
テレビの普及で徐々に日本映画は下火になりましたが、今はそのテレビのアニメで、小津黒澤以上の作品が生産できるようになりました。
ネットの情報では、日本は世界を驚かすほど素晴らしいか、完全に自身を喪失して滅亡寸前のどちらかです。真実は両者の中間地点のどこかにあるのでしょうが、こと映像作品に限ってみれば、実は1990年代から内容的には世界のトップクラスを走り、現在ではずば抜けた一位になっています。奇怪ですね。
日本はいわゆる「覇権」というものは持っていません。経済も成長していません。でも文化はやたらと充実している。かなり奇抜な、独特の繁栄のしかたをしているようです。これからアメリカの没落によって世界情勢は激動の時代に入りまして、日本もかなり大変なのですが、このヘンテコ国家が荒波のなかでどう振舞ってゆくか、本作を見ながらかなり楽しみになってきました。運が悪ければゾルトラーク食らって滅亡するかもしれませんが、それなりには頑張れそうですね。
ちなみに西遊記の孫悟空の原型は日本人です。はちまき締めた戦闘民族です。多分倭寇のイメージですね。東海の島の生まれです。読み解きはここらへんで中止したほうがよさそうですね。あとは読者様のご想像にお任せいたします。