「暗殺の森(体制順応者)」あらすじ解説【ベルトリッチ】
1970年のイタリア映画です。こちらは邦題が悪すぎます。原題は「Il Conformista」=「The Conformist」=「体制順応者」です。政治体制に過剰に順応してしまった人物を描きます。
あらすじ
子供の頃ホモの憲兵リーノに、蝶々夫人の着物があるとか誘われて、
あげくに性的ないたずらされて、逆襲して殺してしまった男、クレリチ。
成人して、盲目の友人のイタロの口利きで、ファシスト党に入ります。
党の指令は、クレリチの学生時代の恩師、哲学の教授がパリで反ファシストとして活動している、抹殺せよ、でした。
新婚旅行のついでに教授の家に行ってみると、えらく若い奥さんが居ます。
ちょっとボーイッシュ、金髪、つまり彼女は「憲兵にいたずらされる前のクレリチ自身」なのです。
当然好きになります。新婚旅行中にもかかわらず浮気します。どこまでもイタリア映画です。
教授の奥さんもクレリチを受け入れますが、彼女がクレリチ以上に好きなのはクレリチの妻です。クレリチの居ない間に二人は肉体的にいちゃつきます。さらにどこまでもイタリア映画です。
一緒に食事をしながら、明日、教授が一人で別荘にゆくと聞き出します。
これは好都合です。途中で殺してしまいましょう。奥さんは殺したくありませんから。
が、しかし、当日になって奥さんは気が変わり、亭主に同行しました。車で追いかけるクレリチです。
森の中で教授夫妻の車を発見。後ろからゆっくりつけます。
すると対向から別の車が来て、教授の車と衝突しそうになります。教授の車も停車します。
教授が確認の為に車外に出ると、森から人間がわらわらと湧いてきます。暗殺隊です。ナイフで教授を刺し殺します。
暗殺隊は奥さんに迫ります。奥さんは逃げてクレリチの車まで来ます。
クレリチが乗っているのがわかります。助けて!と車の窓を叩きます。クレリチは何もしません。教授の奥さんは暗殺隊に狙撃されて死にます。
教授の奥さん=少年時代のクレリチ自身ですから、ここで彼は自分自身を見捨てたことになります。
5年後、イタリアで生活するクレリチと妻です。可愛い子供が居ます。聖母マリアへの祈りを子供に教えるクレリチです。
幸せな光景ですが、ラジオからはムッソリーニ失脚のニュースが流れます。となるとファシスト党で出世したクレリチも失脚です。いや失脚で済めばいいほうです。ちなみにムッソリーニさんの最期はこんな感じです。向かって左から二番目です。
というところへ例の盲人の友人のイタロが来ます。クレリチを紹介するくらいだからイタロも熱心なファシストです。二人で並んで歩いていると、ムッソリーニの銅像壊してバイクで引きずり回す連中が居ます。もう時代が変わったのです。
二人の男性が会話しているのを耳にします。
中年男性が若い男を誘っています。食い物もある。なんでもある。蝶々夫人の着物もある。クレリチは気づきます。
お前はリーノだろう。男はそうだと答えます。リーノは死んではいなかったのです。クレリチは激高します。
「1917年3月25日、なにをしていた」(いたずらの日です)
「1938年10月15日、午後四時、どこにいた」(教授暗殺の日です)
そして逃げるリーノを指さして、周りに聞こえるように大声で、
「人殺し、彼は教授と妻を殺した。彼はファシストだ」
と言います。
法的には無茶苦茶な話です。教授殺しのファシストは自分です。文学的にはまあ一理はあるのですが、、、一理しかない。
しかし興奮しているクレリチは、同行の友人イタロにもあたります。大声で周りに言いふらします。
「イタロ・モンタナーリはファシストだ」
醜いですね。体制に順応しすぎた人物の末路です。
クレリチは一人になって街をさまよい、石段に腰掛けます。ふと見ると背後にベッドが置いてあり、全裸の男性が誘うかのように動いています。男娼です。クレリチの目は彼にくぎ付けになります。クレリチはこれからリーノになるのです。歴史は円環します。
(あらすじ終わり)
美術
どう見ても低予算映画なのですが、映像が良いです。非常に美術的です。
しかし構図が少しづつ甘いです。カメラの動きももう一つです。ダサいクローズアップも多いです。しかしこれで構図と動きが完璧ですと他の映画作家が大変ですから、これでよかったのでしょう。カメラマンは「地獄の黙示録」のカメラマンでして、
地獄の黙示録 解説【ワルキューレの騎行】|fufufufujitani (note.com)
コントラスト系の表現が上手です。
画像いくつか置いておきます。
体制順応者
冷戦崩壊以降、日本は「アメリカ直接支配体制」になりました。2001年の小泉政権以降は明解にそうです。以降体制に順応する人が多く出ましたし、順応しすぎる人もそれなりに居ました。順応自体はそんなに悪いことでは無いです。しかし一般庶民にはかなり困難な時代でした。
アメリカはドイツと日本の経済発展をとにかく抑えたかった。経済発展のカギは通貨発行です。だから財政破綻論を広めた。残念なことに、日本の経済学者がそれに乗りました。全員ではないですが。
日本人が日本の衰退と庶民の生活の抑圧に加担した。体制順応者です。良くないですね。ファシストのクレリチはまだしも自国の発展を願って荒っぽいことしていたのです。
もっとも経済議論は既にだいたい決着がついている、と私は判断していますが、その経済議論の経緯を知ってか知らずか、今現在は国際政治学者がひどいですね。
こういう番組を映画的に見ますと、出演者たちは、事態が想定していたのとは逆の方向に進んでしまったことを皆それなりに認識しており、しかし足抜けの勇気がなくて同じところに留まっている状況、と解釈できます。窓の外の教授の妻を見殺しにするクレリチです。
あの時クレリチはどうすれば良かったのでしょうか。選択肢の一つは、組織から禁止されていることですが、教授の奥さんを助けることです。それによりクレリチも組織から追われる身になります。非常にハードルが高い。国際政治学者に例えれば、実際にウクライナに行って戦争に加わる行動に匹敵します。さすがにそれをしろとは言い難い。
今一つの選択肢は、クレリチが自分の責任で教授の奥さんを殺す事です。ほんのひと時でも自分が愛したのだから、自分で決着をつける。それしかなかったですね。国際政治学者ならば、残念ながらウクライナの敗北はほぼ決定的だと宣言する。そして善後策を検討する。それが学者、知識人の本当の責任だと思います。
NATOの敗北により、ロシアは北海道をいつでも獲れる状況になりました。中国も尖閣および沖縄をいつでも獲れる状況になりました。パワーバランス的にそうなります。きわめて望ましくない事態です。しかしこのままウクライナ戦争を続ければ続けるほど、日本の平和維持の可能性はさらに低下してゆきます。敗北によりアメリカの威信がさらに低下しつづけるからです。だから早急に停戦しなければならない。出血を最小限に抑えなければならない。
でも、日本の国際政治学者たちは、日本の安全保障を本気で考えることをしない。日本人の生活を心配をしなかった経済学者たちと同じです。忠誠心の対象が日本ではなくアメリカなのです。本作のクレリチは、非常につまらない薄っぺらな男なのですが、現代日本の知識人と比べるとどうなのでしょう。悩ましいですね。
悪いタイトル
実は「暗殺の森(体制順応者)」あらすじ解説【ベルトリッチ】、という本稿のタイトルも、悪いタイトルです。本当に紹介したかった映画はこちらです。
1968年、2年前の作品です。でもこの映画、私は好きすぎて、あらすじも解説も書けないのです。だから「暗殺の森」に頼りました。すみません。
映像的には真逆です。砂漠でのドラマですから、舞台は常にほこりっぽく、不快です。美術品なんて一つもありません。でも構図が常に完璧なのです。顔アップシーンが多すぎる、スローテンポのにらめっこドラマなのですが、楽しく観れます。冒頭なんか
顔にたかるハエを延々と映して不潔なのですが、それでも「綺麗な」映画なのです。映像としてはこちらの方が上です。少しショット置いておきます。立ち上る清潔感に着目ください。
監督はセルジオ・レオーネ。
の監督が、「イン・アメリカ」より以前に撮影した作品で、原題は「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ザ・ウェスト」です。
本作は内容も「暗殺の森」とは真逆です。殺し合いをしながらさわやかです。全員最後まで「自分自身」でありつづけます。実は脚本はベルトリッチが書いています。書きながらベルトリッチさんも楽しかったでしょう。
主演女優はクラウディア・カルディナーレ。
前回ご紹介した
の女優さんです。
音楽はエンニオ・モリコーネです。タランティーノが「モリコーネは映画音楽のベートーヴェンだ」とか言っていましたが、ベートーヴェンとは作風違い過ぎると思いますが、この作品での仕事はモリコーネとしても一世一代の出来です。
比べると「暗殺の森」は音楽が少し弱いですね。そこは残念です。
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