「闇の奥」あらすじ解説【コンラッド】
「地獄の黙示録」の原案になったり、名前だけは有名なコンラッドの「闇の奥」ですが、普通に読むと普通に面白くありません。そこで細かく分析してみたのですが、分析してみたところでやっぱり普通に面白くありませんでした。でも名作といわれる理由はよく分かりました。
高密度の名作
「闇の奥」はHeart of Darknessが原題です。「闇の奥」と翻訳されます。しかし詳細に読み解くと「闇の心臓」以外に翻訳できないのがよくわかります。「闇の奥」が十分流通している題名ですので、変えづらいのでしょう。「闇の奥(闇の心臓)」とでも表記してほしいものです
翻訳は数種出ていますが、圧倒的に読みやすいのが、光文社の新訳です。読むならこちらです。
長い解説がついていますが、なんのこっちゃわからない解説です。おそらく(失礼ですが)内容ほとんど読めていません。
「闇の奥(闇の心臓)」の内容は重層的です。最低でも三層あると考えてください。裏読みが必要、どころの騒ぎじゃないです。私の乏しい読書量からの結論ですが、密度の濃さだけで言ったら世界文学史上空前絶後です
まずはあらすじ
夕暮れのテムズ河のヨットの上でマーロウという船乗りの語りを聞いています。
「職がなくて、叔母に頼ってベルギーの商社で面接して就職した。アフリカ、コンゴ河の船の船長だ。行ってみると黒人を奴隷扱いして、むちゃくちゃやっている。数人の白人の社員にも合った。みな「クルツ」という社員を気にしている。出世間違いなしの優れた社員らしい。
破損した船を修復して、途中原住民襲撃の危険を乗り越えながら、
上流のクルツの居るところについた。全身パッチワークの服を着た奇妙な男、クルツの信奉者が出迎えてくれた。
クルツ本人は病気だった。彼は密林の奥で頭がおかしくなり、膨大な量の象牙を一人で蓄えていた。どうも近隣の未開部族の王となり、離れた部族の所持している象牙を、襲撃して略奪していたようだ。クルツを保護したのだが、夜になって勝手に逃げ出した。俺はクルツを捕まえ、船に戻した。船のクルツは弱り果て、「恐怖だ、恐怖だ」との言葉を残して死んだ。
ヨーロッパに帰えるとクルツ関係者から次々を訪問を受けた。最後に話したのはクルツの許嫁の婦人。クルツを尊敬していた彼女からせがまれ、つい嘘を言ってしまった。
「彼の最後の言葉はあなたの名前でした」
しかし嘘をついたからといって天は落ちてこなかった。クルツの最後の言葉は彼女に伝えるのはあまりにも冥すぎることばだった」
マーロウは語り終えました。ヨットの上は既に闇に包まれていました。
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このあらすじの下に、三層意味が埋まっています。
第一層:クルツ殺し
コンゴ河を遡る道中、中央出張所というところで、口ひげの男に出会います。男はマーロウが乗るはずの船が沈んだと言います。「みんなよくやっているよ、よくやっている」沈没してよくやっているとは意味不明です。
その後建物が火事になります。口ひげ男は「よくやっている、よくやっている」とか言いながらバケツに水を汲んでゆきます。しかし、バケツに穴が空いています。わけがわかりません。
真相はこうです。
中央出張所の支配人は、理想を振りかざし他の人々を反論不能にする、かつ実際にやることはむちゃくちゃ野蛮なクルツを抑えることができず、苦々しく思っています。というより、はっきり殺したいと思っています。しかし会社の部下ですので、表立って殺すのはまずいです。幸い支配人は内臓が強く、この土地に来る白人は多くが内蔵をやられて死ぬ。そしてクルツが奥地で、白人たったひとりきりで病気中という情報も入ってきています。
そこで支配人は、
1、船を破損させてできるだけクルツのところへマーロウが到着するのを遅らせる。そうすれば治療を受けれないクルツの容体はますます悪化する
2、火事を起こして、船の修繕資材を不足させる。下流から運搬される荷物は交易資材が中心になるので、船の修繕が遅れ、クルツの治療はさらに遅れる。
ということを考えました。要するに病気でクルツを葬り去ろうとしているのです。そこで支配人の手下の口ひげ男が、ごまかす意味で「よくやっている」とか言うのです。
中央出張所に支配人は、円卓で食事をすることに決めています。席次なし。支配人のみ座る席が決まっています。これはアーサー王と円卓の騎士を意味します。支配人のくせに王様気取りなのです。一方クルツは、現地人を完全に手懐けて、奥地の王様として君臨しています。どっちもどっちで悪いのですが、当時の植民地では、出張所の支配人は王様であり、権力闘争は王様同士の間で起こっていたのです。「クルツ君のことを心配している」と言う支配人は実はクルツの敵で、支配人の部下のはずのクルツも支配人の敵です。
第二層:キャラクターの対句表現
就職活動中のマーロウは、ヨーロッパで三人の人物に合います。総支配人秘書と、総支配人と、一級社員です。
ヨーロッパに戻ってきたマーロウは、三人の人物の訪問を受けます。会社関係者と、クルツの親戚と、新聞記者です。最初の三人と最後の三人は対になっています。
そして最初のヨーロッパでマーロウは、
就職を世話してくれた叔母のところにお礼をいいに行きます。最後にマーロウは、クルツの許嫁に手紙を渡しに行きます。この二人も対になっています。
ところで、最初のヨーロッパの就職活動で、マーロウは医者の診断を受けます。アフリカに行くのに大丈夫な健康状態なのか確認するためです。医者は頭蓋骨の計測を趣味にしています。マーロウの頭蓋骨も計測します。
ところで、同じように頭蓋骨のデーターを集めてしまう人物がもう一人居ます。クルツです。クルツの集め方は、反逆する原住民の首をちょん切って杭の上に挿しておく、というものです。あまり知的じゃありません。しかし、最初のヨーロッパでの医者と、奥地のクルツは、頭収集という意味で対句になっています。しかし、クルツが対句になっているのは、これだけじゃありません。
このように、医者以降の登場人物全てが、クルツと対になっている属性を持ちます。凝りに凝ったキャラ構成です。
最初に河を遡行する際のスエーデン人船長は、足が不自由です。
これはクルツが四つん這いで移動していたことに対応します。
穴の黒人奴隷は、四つん這いになって水を飲むところが、四つん這いのクルツと対応します。
身なりの綺麗な会計係は、現地人女性を妻にしているところが対応します。
太った白人は、タンカで運ばれるところがクルツと対応しています。
巡礼(という名の複数人が居ます。口ひげ男はその一人です)は武装しているところが対応します。
支配人は王様になっているところが対応、一級社員は出世欲が対応、機械工はリベットを欲しがるところが対応(クルツは象牙を欲しがる)、
探検隊および支配人の叔父は強奪主義が対応、船に乗り込んだ人食い人種は痩せていることが対応、操舵手は自制心の欠如が対応、ようするに全ての人物の投影がクルツなのです。
作中クルツの崇拝者である青年が出てきます。クルツのそばで時々世話をしています。青年はクルツと正反対の性格で、放棄された出張所に、後で来る人の役に立つように薪を積み上げて使ってくれと置き手紙するような人物です。青年が放棄する薪と、クルツが収集する象牙が対称として扱われています。そして青年は、つぎはぎの服を着ています。これもクルツの内面が多くの人つぎはぎであるということとと対応しています。早く言えば青年は「クルツという人格は、多くの人々の集合体である」ということを読者に暗示するために創作された人物です。
雄弁な大義名分の語り手でありながら、象牙の亡者となり暴虐の限りをつくすクルツは、異常なモンスターではなく、私達全員の代表なのです(代表だから身長が210センチと大きいのかもしれません)。
第三層:ニーベルングの指環
ワーグナーの「ニーベルングの指環」には、ジークフリートという名の英雄が出てきます。大蛇の心臓を一突きして殺し、持っていた「ニーベルングの指環」つまり無限の富を生む宝を奪い、世界の支配者になります。しかし、奸計にはまり、背中から槍で突かれて死にます。それは世界の終わりを意味します。ジークフリートの配偶者ブリュンヒルデは、夫の亡骸を薪で囲み、指環と松明を手にして、自分も薪の中に飛び込みます。
すると天の神の城も二人の亡骸とともに燃え、世界は一度滅びます。滅びた世界に再生の予感を漂わせて、「ニーベルングの指環」は終わります。
「闇の奥(闇の心臓)」の一番下にあるのが、この「ニーベルングの指環」です。クルツとは大蛇を倒せなかったジークフリートなのです。名剣ノートウィングのかわりに銃4丁で現地人を支配します。作中にあります。「クルツとは声だった」、つまり、オペラの主役なのです。
「第二層:キャラクターの対句表現」で説明した白髪(老人)で単眼で社員のキャラクターは、三つとも全て「ニーベルングの指環」に登場する最高神「ヴォータン」の特徴です。つまり三人の男性×2セットは、ヴォータンを表現しています。そしてジークフリートはヴォータンの孫です。
ジークフリートの婚約者はブリュンヒルデです。つまり最後の女性はブリュンヒルデとなります。
ニーベルングの指環は、王権を槍で表し、通貨発行権を指環で表します。「闇の奥」はそこを合体させて象牙で表現しました。権力的で、ペニス的でもある象牙、しかし高額商品でもあります。
コンゴ河は、指環を保持する大蛇と重ね合わされています。クルツはジークフリートのように大蛇に挑んだのですが、膨大な富を確保しながら、大蛇を倒しきれませんでした。だから「まだまだお前の心臓を絞り上げてやるからな!!」と闇に向かって咆哮します。
恐怖の認識
ジークフリートは「恐怖」を知らず、恐怖を知るために大蛇ファーフナーに挑み、心臓を突き刺して殺し、ニーベルングの指環を奪います。もっとも気が大きすぎて「恐怖」がなにかはわからず終いです。
クルツは、同じように大蛇ファーフナーに挑むのですが、「闇の心臓(つまり大蛇の心臓)」を殺しきれずに、今際の際に「恐怖だ、恐怖だ(The horror! The horror)」と呟きます。ジークフリートと違い、恐怖を認識できたのです。
「ニーベルングの指環」が背後にあることを認識できないから、「恐怖だ、恐怖だ」の意味が不明確になるのです。
この作品の意味を取ろうとすると、ここが最大のポイントになるでしょう。ここの部分最初に訳した中野好夫が「地獄だ、地獄だ」として以来、意味が不明確になっています。地獄でも誤訳とは言えませんが、ジークフリートを参照するならば、「恐怖だ、恐怖だ」が最も適切な表現と言えましょう。上記光文社の黒原敏行も「怖ろしい、怖ろしい」と訳していて、適切とは思えません。怖ろしいと思ったのではなく、「恐怖」を「ああこれが恐怖である」と認識したのです。
クルツの「恐怖」の認識は、ただの敗北だったのでしょうか?「ニーベルングの指環」のような、ヨーロッパ的発想では敗北です。しかし作者コンラッドの主張では、逆なのです。
物語の冒頭と末尾で、マーロウは仏陀のような姿勢で物語る、と描写されています。仏教思想は、マーロウの物語の中で、クルツと出会う直前に出現します。操舵手が脇腹を槍で突かれて死にます。脇から生まれたのがお釈迦様ですから、ここで仏陀が誕生したのです。(ちなみに、槍で突かれる人物はもう一人居ます。物語冒頭の船長です。これはジークフリートと全く同じく、背後から槍で突かれています)
クルツは恐怖を知りました。恐怖を知らないことが、ジークフリート的冒険の始まりであったし、コンゴの黒人たちの災厄の始まりなのです。最後の最後に恐怖を知ったクルツは、彼の人格に対応する全ての登場人物より、人間的に上に成長できたのです。仏陀のように。いわば「恐怖だ、恐怖だ」という言葉でクルツは救済されたのです。ジークフリートであることを、やめれたのです。
だからこの小説は、「開かれた結末」などではありません。重層的ですが、多義的ではないのです。「恐怖だ、恐怖だ」という言葉も、全体の意味も、難解なだけで、確実に一つのポイントに収束する作品なのです。人類にとって災厄でしかない西洋の植民地主義の解決のポイントを指し示しています。それは西洋文明の基底にある、ゲルマン神話、英雄物語の超克にあったのです。
「ニーベルングの指環」は川下りの物語ですが、「闇の奥」はその批判として、川上りの物語として書かれました。