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「ヒルビリー・エレジー」あらすじ解説【J.D.ヴァンス】

著者がアメリカ副大統領候補になったので、やっつけ泥縄読み解きしました。精度荒いです。

あらすじ

著者はラストベルトの貧しい家庭の生まれです。貧しい地域はどこでもそうですが、荒れた家庭が多いです。お父さんはしょっちゅう変わります。お母さんは変わりませんが、亭主をしょっちゅう変えているということは、つまり情緒不安です。薬物にはまります。
お母さんが薬物にはまると子どもはどうなるか。学校の成績が壊滅的になります。環境に耐えられなくなった筆者は祖母の家で生活することにします。祖母は乱暴な人ですが、愛情が豊かです。近所の子ども達が常に食事をとれているか、世話を必要としていないか、常に気にしているような人です。愛情が深いとも言えますし、他人のことによく目が届く、地頭の良い人なのですね。祖母の元で主人公は、大学に十分行けるようになるまでに成績を上げます。

しかし入学直前になって考えます。学費が高い。このまま普通に進学しても自信がない。方向転換して海兵隊に入ることにします。海兵隊に数年居れば、奨学金が受けられます。ハードな環境なのはわかりきっていますから普通はしませんが、荒っぽい土地に生まれた恩恵というわけではないのでしょうが、あんまり心理的抵抗がないようです。主人公と別れたくなかった祖母は元気がなくなって死にます。でも孫を立派に育てられたのだからよかったですね。

海兵隊で鍛えられた主人公は徐々に自信をつけてゆきます。やっぱ人間体力です。イラクに派兵されます。戦闘はありませんでしたが、大きな体験をします。イラクの子供にせがまれて消しゴムをあげます。子どもは大喜びです。それを見て反省します。自分は恵まれていたのだ。境遇に不満ばっかり感じていたが、アメリカという豊かな国に生まれて、世界レベルで見れば実は良い生活をおくれていたのだ。

除隊して州立大学にゆきます。無事卒業します。優秀でしたのでイエール大学ロースクールにステップアップします。超エリート路線です。貧困地帯から成りあがれました。上流階級の扉を開き、習慣の違いに戸惑いながら、新しい世界を楽しみます。

主人公は考えます。やっぱり家庭だ。家庭環境だ。祖母をはじめとする人々の助けがなければ自分はこうはなれなかった。助けられている環境で人間ははじめて安心感を持つことができ、自分をコントロールすることができる。(終わり)

作中のミッドタウンはこんなところです。

ケンタッキー州ジャクソンはこんなところです。

普通の田舎です。田舎ではあるんですが、これで貧困だと言われてもねえ、、、日本でしたら都会のおぼっちゃまなら納得すると思いますが、日本の田舎者で「貧困」という形容に納得する人は居ないと思います。まあアメリカでは貧困なんでしょう、しらんけど。

構成

章立て表です。

中心は7~9章です。つまり全体は3節に分けられます。

前半と後半はゆるくパラレルになっています。反復構成です。

ドストエフスキー「地下室の手記」

夏目漱石「こころ」、

と同じ構成です。「中間部を持つ反復構成」です。

いずれも社会ものですね。本作も社会ものです。小説とノンフィクションの違いはあれど、味わいは似ています。プロの作家ではないので、作品としてみると出来はまあそれなりですが、こういう構成で組み立てることが出来るのは優れていますね。頭が良いというより感受性が鋭い。詩人的な繊細さがあるんでしょう。

祖母と資本主義

祖母との三年間で主人公は人生を前向きに発進させることに成功しました。祖母は物凄く暴力的なキャラです。旦那が酒に酔っぱらって帰宅すると腹を立てて言います。
「今度酔っぱらって帰ってきたらぶっ殺してやる」

一週間後亭主は、あんのじょう酩酊して帰宅します。ソファで寝ています。祖母は嘘はつかないひとです。ガソリンを亭主に振りかけます。火をつけます・・・・・

幸い大事には至りませんでしたが、孫が海兵隊に順応できたのも納得できます。祖母自身が海兵隊の教官なのです。

そんな祖母の「神学」が面白いです。プロテスタント系のキリスト教徒なのですが、教会には通っていません。でも信仰心は篤いです。

「祖母が教えてくれた”神学”は、洗練されてはいなかったが、私が必要としていたメッセージは十分提供してくれた。

楽をして生きていたら神から与えられた才能を無駄にしてしまう、だから一生懸命働かないといけない。クリスチャンたるもの、家族の面倒を見なくてはならない。母のためだけでなく、自分のためにも、母のことを許さなければならない。神の思し召しがあるのだから、けっして絶望してはいけない。
~中略~
神はみずから助くる者を助く。これが祖母にとっての聖書の知恵なのだ」

一生懸命働くという祖母の教えを守って主人公はイエール大学を卒業するのですが、この労働観、勤労主義はプロテスタンティズムそのものです。

勤労主義、禁欲主義により資本主義は成立しているのではないか、という学説です。書かれたのは1904年(明治37年)~1905年です。1905年には漱石が猫を書き始めていまして、それくらいの時代です。

最近「資本主義の終わり」についての言説を目にするようになりました。

本来はトランプが、プーチンが、国際情勢が、経済政策が、などという話よりも、むしろこちらを中心にすえて現代社会を考察してゆくべきなのですが、しかし話題として大きすぎて会話が成立しづらい。述語も十分整理されていません。だから周辺的な話題ばかり流行して、分析はなかなかすすまない。

もっとも分析の有無にかかわらず現実は進行中です。実際にヴァンスが副大統領候補としてアメリカ政治の中心に登場してきました。

彼の存在意義は明らかでして、終わりつつある資本主義と、資本主義国家としてのアメリカの覇権を、勤労主義のネジを巻きなおして復活させよう、というものです。ドストエフスキーがキリストの精神に立ち戻ろうとし、漱石が西郷の精神に立ち戻ろうとしたように、ヴァンスは資本主義の精神に立ち戻ろうとしている。それは上手くゆくのか。ドストエフスキーも漱石も、結果は失敗でした。ヴァンスにはできるのか。

ある程度は有効だろうと思います。アメリカは際限の無い凋落から一時的には立ち直れるだろうと思います。少なくともプアー・ホワイトの心には今でも、勤労主義というフレーズが響くと思います。しかし、ヒスパニック系にどこまで響くのか、そこのところははなはだ疑問です。

サマーウォーズ

本作読みながら「サマーウォーズ」を連想していました。

https://www.amazon.co.jp/gp/video/detail/B07CLCVH9G/ref=atv_dp_share_cu_r

2009年公開ですから、2016年の本作の7年前です。

違うのは実家が豊かか、貧しいかくらいです。

「ラブマシーン」との戦いは本作ではまだ始まっていませんが、「ラブマシーン」をディープステートと考えると、作者は今まさに格闘中といったところですね。

本作と同じように家族関係はもつれていますが、

本作と同じく気の強いおばあちゃんが全体をまとめ上げています。

ロシアや中国や中近東は父の国ですが、アメリカは日本と同じく母の国、女性の国なんでしょうね。

この一族は真田の家臣の筋でして、

ようは封建時代の遺物なのですが、ヒルビリーたちのすぐに銃を持ち出す習慣も、暴力的というよりどこか封建的ですね。

だいたい勤労主義も本当にプロテスタンティズムの産物なのか疑わしい。禁欲的勤労主義は実は封建主義の産物なのではないか。プロテスタンティズムそのものが封建主義の派生思考という気さえしています。日本語でも一所懸命(封建的契約の履行)と一生懸命(勤勉)はほとんど同じですから。


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