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「スペードの女王」解説【プーシキン】

1834年の作品。多分名作です。「多分」というのは自信がないからです。


単純な因果応報話

あらすじは

参照ください。
工科将校ゲルマンは、伯爵未亡人の老婆(以下老婆で統一)の幽霊からカード必勝法を教えられます。なんで老婆が幽霊になっているかというと、ゲルマンに殺されたからなのですが、「そのことは許してあげる、ただしリーザと結婚してくれたら」と言われます。
ところがゲルマンは愛の無い人間ですので、リーザはほったらかしにしてカード勝負に臨み、三日目に大逆転で負けて発狂します。ごくごく普通の因果応報の物語です。ありきたりです。ところがその下が大きいのです。氷山の水面下の部分を見てみましょう。

クライマックス

クライマックスは賭博のシーンです。
秘密の数列を教えられたゲルマンは、勝負に出ます。
ファラオというゲームです。

動画では並べられたカードの上にチップを置いてゆきますが、作品内ではカードを選んでテーブルに伏せ、親が二枚のカードを出した後オープンします。ゲルマンは老婆から教えられた数列「3,7,1」を心に刻んで勝負に向かいます。

一日目の勝負では親は右に9、左に3を出します。
ゲルマンは3を選択していました。ゲルマンの勝ちです。

二日目は親は右に11、左に7です。
ゲルマンは7を選択していました。ゲルマンの勝ちです。

三日目は親は右に12、左に1です。
ゲルマンは1を選択していたので勝った、
と思ったのですがなぜか間違えて12を選択していたようです。

12、すなわちクイーンのカードは、にやりと笑います。
「(自分が殺した)婆さんだ!」。ゲルマンは全てを失い、発狂して精神病院に入れられます。

なぜ最後に1と12を間違えたのかは、説明されないままです。なんとか根拠を見つけたい、そういう場合、構成読みが非常に有益なツールになります。

構成

本作は7章構成です。

第3章と第5章は明解に対になっています。

となるとこれは、対称構造です。第2章と第6章も対になっていると考えるべきです。

第6章でなぜ最後にゲルマンは、エースを出すつもりがクイーンを出してしまったのか。謎として議論を呼んできましたが、対になっている以上手掛かりは第2章に隠されているはずです。では第2章はどうなっているか。第2章は、少々不自然な時系列倒置で成り立っています。3つの節にわけて考えます。

起点(将校の賭博の日)からの経過日数を、物語表記順に加算すると

となります。「節の開始日の累計」という計算、あまりにも無意味で分かりにくいですが、もう少しお付き合いください。賭けでの親の札の表を再度見てみましょう。

親の勝ち(つまりゲルマンの負け)札の9,11,12は、対称となる第2章の時系列倒置の中にビルトインされていたのです。
倒置した節の開始日を加算する作業に意味はありません。どうせトータルで9日間の出来事なのに、倒置の分だけ水増しされた数値です。意味ない計算で導かれた9,11,12は、根本的に間違った数列です。無駄にループしているだけ、これすなわちゲルマンの負け数列です。

ここの「対称となる章の時系列倒置から数列を読み取る」ことが本作最大の仕掛けになります。普通に100回読んでもまず読み取れません。表にしないと不可能です。

ゲルマンは二日目までは左の勝ち札を出せていましたが、三日目に右のハズレのほうを出してしまいます。ところが右と左の選択を、実はゲルマンはクライマックスの賭博に先立って実行しているのです。それは老婆、伯爵未亡人の屋敷に忍び込んだ時です。

右と左

リーザは夜這いしてくるであろうゲルマンに、伯爵未亡人邸内部の自室へのルートを教えます。

「伯爵夫人の寝室の衝立のかげに二つの小さなドアがあります。
右手のドアは奥部屋に続いていて、
そこには伯爵夫人は決して入られません。
左手のドアは廊下に通じていて、すぐのところにらせん階段があります。
その階段が私の部屋につながっています」

夜這いのゲルマンは左のらせん階段を上らず、右手の奥部屋に入って老婆の着替えを覗き見します。その後老婆を脅迫、老婆は死亡します。
脱出のためにゲルマンはらせん階段を上ってリーザに事情を話し、リーザから秘密の通路を教えてもらいます。らせん階段を下りて一度伯爵夫人の部屋に入り、書斎の壁掛け布の裏の隠しドアを発見、秘密の階段を下りて脱出します。

まとめるとゲルマンはその晩、右のドアを1回、左のドアを2回くぐるのです。「奥部屋に入ったからには、奥部屋から出る時もドアをくぐるはずだ」とお考えになるかもしれません。私もそう思っていました。しかし詳細に読むと、奥部屋から出る描写は一切ないのです。突然老婆の前にゲルマンが出現するのです。細かい工夫とも言えますが、反則技とも言えます。私は反則技だと思っています。

話戻します。老婆の幽霊が「3、7、1」という数列を教えてくれた時、「私を殺したことは許してあげよう。ただし、お前が私の養女リザヴェータ・イワーノヴナ(リーザ)と結婚するならね・・・・」と言い残します。リーザと結婚するとはつまり、左のドアをもう一度くぐるという事です。それをしたなら賭けの三日目には左側の1を出せたでしょう。言い換えればらせん階段をもう一度上れば勝てた。
となるとらせん階段、らせんの意味が重要になります。ゲルマンは実は、円環時間人間、ループ人間なのです。

ループ人間ゲルマン

前回分析した「ベールキン物語」も、

「ベールキン物語」あらすじ解説【プーシキン】|fufufufujitani (note.com)

本質は時間物語でした。プーシキンは時間作家です。
老婆は若いころ賭博で大負けして、サン=ジェルマンを頼ります。彼に秘密の数列を教えてもらって賭けに勝ち、ピンチを切り抜けます。ところでサン=ジェルマンは不死伝説の人なのです。

そして弟子の老婆(伯爵未亡人)も、えらく長生きで、87歳です。その老婆にまとわりつくゲルマンも、実は時間がかなり変です。

最初にトムスキーから婆さんの話を聞いた後、「ここはひとつ夫人とお近づきになって、夫人の寵を得ることだ。何なら愛人に収まってもいい」とか考えだします。婆さん87歳です。どうやって愛人になるのかわけがわかりません。
それで実際に老婆にカード必勝法を伝授してください、とお願いする際には、「あなたの伴侶としての、恋人としての、母親としての感情にすがってお願いします」とか言い出します。老婆はゲルマンの伴侶でも恋人でも母親でもないのですが。
その後老婆が死亡して、リーザの部屋に立ち寄った後逃走するのですが、逃走中「60年前に若者が(若い時の老婆目当てに)忍んで通ったのだろう」と感慨に浸ります。
そして老婆の葬式で、ゲルマンは死体の老婆にウィンクされた気がして倒れるのですが、その姿を見た老婆の近い親戚の侍従が、隣のイギリス人に「あの若い将校は故人の隠し子だよ」と告げます。ゲルマンは「若い将校」ですから30くらいです。故人は57歳の時に出産したのでしょうか。普通に考えれば全てが理解不能です。

ゲルマンは輪廻転生しているのです。60年前故人の元に忍んでいったのもゲルマンの過去世、故人が出産して、どこかで死んでしまった子もゲルマンの過去世です。だから第2章でも時間は無駄にループしているのです。

上記のカード必勝法を聞くときのセリフを転載します。

「もしもかつて」と彼は言った。
「あなたの心が愛する気持ちにめざめたことがあって、あなたが愛の喜びを覚えているのなら、
そしてたとえ一度でも生まれたばかりの子供の泣き声にほほ笑んだことがあるのなら、
いつかあなたの胸になにかしら人間らしい気持ちが芽生えたことがあるのなら、

そのあなたの伴侶としての、
恋人としての、
母親としての感情にすがって、
人生におけるすべての神聖なるものにかけて、お願いします。

どうか僕の願いをはねつけないでください!
僕にあなたの秘密を打ち明けてください!」

赤の他人からこんな事を言われて、なるほどそれなら打ち明けようと思うでしょうか。表でまとめるとこうなりまして、

老婆はゲルマンの「恋人」でもあり、「母親」でもあったのですが、「伴侶」にはなったことがありません。「伴侶」は伯爵でしたから。だからゲルマンは「伴侶」になる必要があった。老婆本人は死んでいますから、養女のリーザの伴侶になるべきだったのです。

分岐

元来ゲルマンは行動でも時間的に中途半端です。

そんなゲルマンは「3,7,1」の数列を教えられてから、全てが3,7,1に見えるようになります。

若い女性を見かけると、彼は言う
「すらりとした娘だな!・・・まるでハートの3だ」。
「今何時」と聞かれれば、「7の5分前」と答える。
太鼓腹の男はみんなカードのエースを連想させた。

「3,7,エース」は夢の中まで追いかけてきて、
ありとあらゆる形に化けた。

3が目の前で豪華な大輪の花として咲き誇れば、
7はゴシック建築の建築の門と化し、
エースは巨大なクモに化けた」

表にするとこうなります。

若い女性と花は似たようなものですが、女性のほうは責任とらなきゃいけませんね。時刻と建築では時刻のほうが発展性がありまして、最終的に太鼓腹の男=金持ちと、クモに分岐します。ゲルマンは花のほう、責任取らない方に分岐してゆきました。結果的に頭の中をクモに占領されました。

ループ人間の取れる選択肢は、単にループしてゆくか、らせんを描いて上昇(あるいは下降)してゆくか二つにひとつです。ゲルマンはらせんを描けませんでした。リーザの部屋に三度目に行くことをしませんでした。だから賭博に敗けました。精神病院に入ったゲルマンは、どんな質問にも答えようとせず、異様な早口で「3,7,エース! 3,7,クイーン!」とつぶやくばかりです。未来永劫同じ場所でループしつづけるしかないようです。

らせんで上昇=精神の成長という図式、マルクス系で有名ですが、元ネタはヘーゲルの「精神現象学」だそうです。本作は影響受けているのかもしれませんが、私は読んでいませんので解説できません、あしからず。

未回収伏線

老婆は火の女です。亭主には火のように恐れられ、本人は水死体を恐れます。ボタ雪の日にゲルマンに侵入されて死にます。満月の夜に幽霊として元気に活動します。
ゲルマンは初日の勝負が終わった後レモネードを飲んでから帰宅します。二日目の勝負が終わった後は飲んでいません。飲めば火の祟りを回避できて、三日目に回避できたのかもしれませんが、伏線としては発展性に欠け、回収も不十分です。こういうところはアマチュア的です。

全体通して、余りにもマニアックであきれました。「こういうのを読解する奴もダメだが、書いた奴はもっとダメだ」が正直なところです。読解しても達成感が無く、なにかしてはいけないことをしてしまった気がするのは初めてです。
プーシキンはギャンブラーですから、「カイジ」のごとく数字や左右の意味についてゴリゴリ考えすぎて、頭から離れなくなった。それでこういう作品を書いてしまった。対称構造の時系列倒置の開始日を加算してゆく、なんて普通は考えません。しかしこういう作品があったからドストエフスキーやトルストイが出現するというのも、またあるのでしょう。
文学の可能性の極北に位置する本作ですが、読んだ時の手ごたえは「ベールキン物語」に比べて確かにあります。名作かどうかの判断は読者様各自にお任せいたします。Kindle Unlimited会員になれば光文社の望月訳が無料で読めます。

追記

後で読み返して、分かりづらかったので少し記事内に文章足したのですがそれでも分かりづらい。後付けですが簡単にまとめます。

第6章でゲルマンはカード勝負に負けた。
「負けた数列」は対称となる第2章に埋め込まれていた。
第2章の倒置、つまり時間ループの開始日の累計が「負けの数列」だった。
つまり倒置、時間ループは敗北を意味している。

ゲルマンは元来時間ループのキャラクターだった。
もしも左のドアをもう一度くぐれば、ループかららせんに進化できた。
しかし左のドアを2回しかくぐらず、つまり左のカードを2回しか選べず、進化できなかった。

女性を選択せず、進化できなかったゲルマンは、巨大なクモに頭を抑え込まれた。精神病院で数列をリピートするだけの存在になった。

らせんに進化してゆくことが出来ないループ人間ゲルマンを、封建的ロシア政治の比喩と見ることは可能です。しかし政府批判も何も、誰も理解できないのだから、批判になっていないわけです。
対称構造を認めて表をこねくり回していると読解は十分可能ですが、読むだけでここまで解析できた人間が居たとは正直思えません。なんなんでしょうこの作品は。

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