昨日、胚盤胞移植した私のはなし。
ついについにこの日がやってきましたよ。本来なら12月の年末に移植する予定だったが、通っているクリニックのお休みとちょうど重なり、来年に持ち越しとなり、ついに1月30日「移植日」がやってきました。
心情はというと、、小さな小さな私たち夫婦の受精卵をお迎えに参るような、そんな少し浮かれた気分60%と残りの40%はこんなに莫大なお金をかけて本当に着床し出産まで辿りつけるのか・・・という疑心難儀&不安。私の中の天使と悪魔が相互に呟きまくっている、そんな散らかした脳内のまま、この日を迎えているのです。
今回、通っているクリニックは不妊治療を始めて、3回目(転院)でようやく辿り着いた、心の底から信頼できるクリニック。
何が信頼できるかというと、
①エビデンスに基づいた治療 ②患者の意見を治療に活かしてくれる ③不妊に至る原因を総合的に評価してくれる
この3点である。今回で今までのクリニックでは指摘されなかったところが見つかり、納得のいく形で治療があれよあれよという間に治療が進んで今に至る。
治療とは、お互い(治療者・患者)が納得のいくカタチで同じ方向を向いて歩んでいくことだと思っている。そのためには、こちらがきちんと思っていることを伝える。お互いが合意しないと最適な治療を導き出せないと思う。
では、本題に戻りますが、移植当日のお話。
①まずはリカバリールームでガウンに着替えて待機。他にもおそらく5名くらい同じように移植される方がおられる模様。「これはなかなかすぐには呼ばれないな・・・」と思い、ベッドに座り、精神を落ち着かせるために「瞑想」をした。私にとって瞑想は毎日の日課であり、精神を落ち着かせるにはこの方法が自分に合っていると思っている。瞑想をしながらも、雑念が多く集中しにくいなーと俯瞰しながらひたすら瞑想を続けた。なかなか呼ばれないので、ベッドに横になること、30分。ようやくNsに呼ばれ、処置室へ。
処置台に座ると、右隣の壁にかかった割と大きなテレビ画面に胚盤胞が映し出され、Drは「これが今から移植する胚盤胞です」と説明してくれた。 卵からもう一個卵?みたいな状態(孵化)の胚盤胞を見ていたら、なんだかすっごく幸せな気分になった。「生命の神秘」といいますか・・・私たち一人一人も最初はこんなカタチだったんだなー。この状態を見れた私はとても幸せなのかもしれない。という、わけのわからない高揚感のあまり、少し涙が出そうになる瞬間まであったのだ。
移植は何の痛みもなく、終了した。
ここからは、私の体に頑張ってもらうしかないんですよ。
クリニックからは、移植後の過ごし方として
・下腹部に力の入る行動やストレスを避け、過労にならないよう心がけてください。軽いお仕事であれば普段通りで構わない。
と言われている。
私の仕事は「リハビリテーション専門職」。急性期病院に勤務しているため、人を全介助で起こしたり車椅子に乗せたりと、、それはそれは重労働。
これについては主治医と相談し、「介助は下腹部に負担がかかるので控えるよう勤務先に相談しましょう」とご助言を受け、上司に相談し、介助量が多い患者さんは担当変更していただくことになった。
私は人にめちゃくちゃ気を遣うタイプの人間であり、なかなかこれについて上司にも言い出すことに時間がかかった。何に葛藤していたかというと、
・不妊治療に通って本気で治療していることをオープンにしたくなかった。これについて夫に相談すると、「治療の何が恥ずかしいのか?不妊治療って悪いことしている訳じゃないやん。子供欲しいって頑張ってるんやろ。それの何が悪いん?」
そんなことを言ってくれた。言われたと同時にハッとしたことが、私は不妊治療に対して何かとてつもなく後ろめたさを感じていたのだ。おそらく職場の方々が普通に出産していく姿を見ての「妬み」だ。「普通出産しているママさん達には、どうせ私の気持ちなんか分からんやん。」と、私自身が勝手に距離をとっていただけだったと気付かされた。
ママもママで頑張っている。私も私で治療をがんばろう。と思えた時、少しだけ肩の力が抜けた。その後、すぐに上司にも相談することができた。
そして今日から、出勤。いつもよりゆっくり歩きながら仕事をしている。そうすると不思議と気持ちにゆとりができた。これも新たな発見だ!
判定は2月9日。運命の日である。
フライング検査とかしてしまうんかなー。せんとこーかなー。
不妊治療を始めてから、受験発表の時のような瞬間がいくつもある・・・。精神的には良くないが、何があっても自分の人生だと信じて突き進むしかない。
不妊治療をしている皆さま!!
一緒に頑張りましょうね。今日も拙い文章を読んでいただきありがとうございました。
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