ハインライン『スターファイター』宇宙SFの珠玉
オールドSFファンのみなさん。『スターファイター』という宇宙SFをごぞんじですか。あのハインラインのジュヴュナイルです。
もしも、未読でしたら、ぜひおすすめしたい一冊です。
けれども、本を人に勧めることは、とても難しいことです。特に、ネットのように相手の顔が見えない場合は、細心の注意が必要です。
あまりハードルを上げ過ぎると、かえってがっかりさせてしまうかもしれません。しかし、好きな本ですから、ほめたいところはたくさんあります。
今回の一冊も、たいせつにしている小説です。慎重に、おそるおそる、かつ大胆にやってみます。
冒頭から快調なテンポです。
「そう、ぼくは宇宙服を手に入れたんだ。
事の起こりはこうだった。
「父さん、月へ行きたいんだけど」
「いいとも」
と、父さんは答えて、本に目をもどした。それは、ジェローム・K・ジェロームの”ボートの三人男”で、もう暗記しているはずのものだ。
「父さん、ねえったら!真面目なんだよ」
こんどは本の間に指をはさんで閉じ、静かにいった。
「いいといったんだ。行くんだな」
「うん……でもどうやって?」
彼はいささか驚いたような表情を見せた。
「なに?おい、それはおまえの問題じゃないか、クリフォード」」文庫版6頁
主人公の少年の名前は、クリフォード・ラッセルです。この物語では、愛称のキップという方が使われます。ハインラインの重要な主題の一つである若者の教育というテーマが、すでに高らかに奏でられています。父子の関係が明確に語られます。以下のキップの行動は、「この父にしてこの子あり」、という方向性が一貫します。(なおジェローム・K・ジェローム『三人のボートの男』は、『ボートの三人男』の題名で、kindle版で容易に読めます。丸谷才一の翻訳です。)
『スターファイター』は、かなりのオールドSFファンであっても、見逃していないか危惧しています。再刊されても、書店の棚に置かれている時期が、短かったからです。
ジュヴュナイル小説は、十代の若い世代を主な読者の対象とする小説ですから、ハインラインは、特に未来は明るいものだというメッセージを、伝えたいと考えています。
読後感の良さでは、ハインラインの作品の中でも、『夏への扉』と双璧ではないでしょうか。
月から冥王星(惑星として認知されていた時代です)、そして銀河の果てまで、冒険の旅をします。
宇宙の暗さと深さを、中学時代のぼくにも、おもいっきり感じさせてくれました。
そのときには、『大宇宙の少年』というタイトルでした。
ネットで調べてみますと
『大宇宙の少年』
ロバート=ハインライン 作
福島正美 訳
司修 絵
講談社世界の名作図書館・34巻
昭和43年初版
という本でした。
あまり本を読まない友だちがいました。彼の部屋にいくと、新しい本棚に全集がピカピカと並んでいました。両親が、読書の習慣をつけるために無理をして、月賦で買ったという話でした。そのときに借りた、一冊でした。
この作品の宇宙は、底知れず深い暗黒でした。司修さんの挿絵の影響も、大きかったと思います。それでいながら自分も、いつかは行きたいという激しい憧れを、かきたてられました。
抄訳でした。全訳を読んだのは、以下の文庫の形態で翻訳・出版されたときです。
『スターファイター』
ロバート・A・ハインライン 作
矢野徹・吉川秀実(よしかわひでみ) 訳
創元推理文庫・1986年
ああ、そういうことかと思いました。欠けていたジグソー・パズルのピースがはまっていくような快感がありました。三十歳代に入っていましたが、少年の心にもどって、楽しむことができました。
しかし、この物語の初発の感動は、中学時代にありました。十代の記憶を振り返りながら、三十代のそれと重ねて語っていくことになるでしょう。
繰り返しますと、この物語の複雑さは、恐怖と同じぐらいの強度で、大宇宙への憧れをかきたてられる点にあります。
十八歳のキップは、月に行きたいと思います。お金さえあれば、行ける時代です。しかし、彼の家にはお金がありません。大学に進学できるかもあやしいのです。しかし、ある石鹸会社が、製品の包み紙と製品を宣伝する標語を送ると、一等賞として月世界旅行が当たるという懸賞を実施していることを知ります。彼は、近所の店でバイトをしながら、家族やお店のご主人の協力を受けて、せっせと送っていきます。5782個の標語と石鹸の紙を送ることができました。
しかし、懸賞で当たったのは、中古の宇宙服でした。なんとか現実に使えるようにしようと努力します。彼の苦労が胸を熱くします。昆虫採集の標本箱を完成したり、難しい戦車のプラモデルに挑戦したりして、悪戦苦闘する少年時代の自分の姿と、どうしても重なります。
そして、物語を読みながら、宇宙とは、真空とは、その中で生きるために必要なこととは何か。科学的な考え方を学ぶことができました。たとえば、次のような説明は、三十代の自分にも目からウロコでした。引用は文庫版からです。
「いまでさえ「極寒の深宇宙空間」などという話がされるーーしかし宇宙空間は真空であり、もし真空が冷たいのならどうして魔法ビンが熱いコーヒーを保温しておけるのか。真空とは〈無〉だーー温度などはなく、絶縁しているだけだ。」43頁
キップは、実際に使えるところまで、宇宙服を修理することができました。オスカーという名前までつけます。彼と会話します。しかし、大学の学費の問題があります。彼を売らなければなりません。その前に、宇宙服を着用して散歩に出ます。小川を渡り牧草地に出ます。そこで、彼の通信機が不思議な通信を捕えました。
ここまでで、全体の五分の一程度です。いよいよ波乱万丈の物語が始まります。
ハインラインは一アメリカ市民として、強固な主義・主張のある作家です。
「しかし、すべてを理解するのはすべてを許すこと、という考えにぼくは賛成しない。この考えを追ってみると最初に気づくのは、殺人者とか強姦犯人、人さらいなどにセンチメンタルになり、その犠牲者を忘れることだ。これは間違いだ。」216頁
この意見は、終盤の感動的な演説によって、その弱点を補強されます。さらに一歩を進めます。
「〈平凡〉は最上よりも良いと主張する手合いがいる。連中が翼をちょん切って喜ぶのは、彼らが自分では飛べないからだ。彼らが学者を軽蔑するのは、自分の頭が空っぽだからなんだな。つまらんことだ!」278頁
ここは、カチンと来る人がいるかもしれません。今の日本の大勢となる風潮とは、ずれているからです。
ですが、書くことによって、それら自体を疑わざるを得ない場所まで、ハインライン自身が移動していきます。読者と共に、相対的な地点に立ちます。SFの力です。
キャラクターに魅力があります。主人公のキップは、まじめに将来を考える少年です。好感が持てます。九歳の天才少女「おちびさん」。不思議な宇宙人「ママさん」。悪役たちはあくまで悪役らしく。キップの父親は、「この子にしてこの親あり」、と考えさせてくれる人物です。バイト先のご主人も、淡彩ですが、人間味ゆたかに描かれています。
また「嬉しいあとがき」には、なぜこの作品が共訳になったのかという顛末が、矢野徹によって綴られています。作品と合わせて、幸せな気分になれます。ご一読をおすすめします。
原著は1958年の刊行です。コンピュータがない時代です。月面基地の監視は、人力によります。計算尺が使われています。ガリ版刷りの印刷物もあります。けれども、そういう世界だと納得して読めば、それほどの違和感はありません。ハインラインが、テレビの未来を平面型になると予想していること(30頁)などには、びっくりさせられます。
「バック・トゥ・ザ・フューチャー」「スター・ウォーズ」「ロッキー」「ギャラクシー・クエスト」等々の、アメリカのSF映画の名作を見終わったあとの爽快な感動と、同質のものがあります。宇宙SFの傑作です。
この文庫は、2008年に『大宇宙の少年』の題名に戻されて、創元SF文庫から再刊されています。オールドSFファンで、特にハインラインの『夏への扉』が趣味の方には、古書店などで見かけることがありましたら、お手に取ることをお進めします。
読後の感想などありましたら、コメントいただければ幸甚です。同好の士として、必ずご返事いたします。
写真/ゴールドラッシュ
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