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#0006 「ライターズ・ブロックと共に住まう」 第6回
ライターズ・ブロックと共に住まう
(第6回)
回復の順序
物事には順序というものがあるようです。
回復のプロセスにおいても、やはり順番が違うと意味が無い、それぞれの過程に寄り添える自分でないと、結局わだかまりが残ってしまう、という問題があります。
残されたわだかまりは、自分や他者への攻撃性として発露されることが往々にしてあるのが悲しいところです。
私は聖書の「ゼカリヤ書」に回復のプロセスをみることができる、と考える一人です。
これは喩えに満ちていて、ふつうに読み解くのが難しいかも知れないのですが、まず安全地帯へ逃げる、根本的な自信を取り戻す、ただしく自他の境界を引く、日常生活へ戻って行けるよう、「燃えさし」だった状態から「清い衣」を着せてもらい、はじめのささやかな一歩を踏み出す――という流れがあります。
(余談:「はじめの小さな一日を蔑む者があるだろうか?」
現実をみれば、もちろん大勢の人が蔑むことでしょう。
それが回復の最初の段階とは思わず、たとえばその人自身が尊敬するアーティストの、一番苦しい時期に似た状態のひとたちを追い詰めて、回復を阻害する、寄り添えない、というのがふつうなようです。
皮肉ですが、作品は置かれるきっかけに過ぎないので、受け手の表現に期待し過ぎるべきではなさそうです。)
臨床心理的にも、まず環境の安全を確保し、エンパワーメント(力づけ)し、認知の歪みを修正し、それから問題への対処やタスク処理のスキルを身につけていく――というのが常套手段のようです。
もちろん、併行して行われる作業もあります。
ライターズ・ブロックは病気か?
途中すこし過激なことも書きましたが、現実はそんなものです。
もっとも、人間は白でも黒でもなく灰色のグラデーション、というのがあるので、極端な思考は避けて“黄金の中庸”というところに落ち着けたらと思います。
さて、また臨床心理がどうこうと書きました。
(セルフ・カウンセリングについては「アサーション/アサーティブ」あたりの単語で調べていただければ、と思います。)
ライターズ・ブロックは病気でしょうか?
これにはJein(ドイツ語でヤイン、「どちらでもあり、どちらでもない」の意)としか答えられません。
表現者にとって明らかに生活に支障が出るものには相違ないので、病気でしょう。
回復のために必要な手段も病気に対するそれですし、脳に起きた異常と捉えるべきなのでしょう。
自らの表現を別のかたちでする(仕事や、より日常的な表現でおさまる)ひとたちにとっては、別段病気とは思われないでしょうし、実際真剣に困るほどではないのかも知れません。
ともあれ、対処として脳の病気に関するものが実際的であるようです。
前回紹介した"The Artist's Way"も、臨床的に有効とみられる対処法を取っています。
まとめ
回復には順序があり、あべこべにすると上手く行かない。
ライターズ・ブロックは一種脳の病気かも知れない。対処法もメンタル・ケアに同じ。
スランプはいつ終わるとも知れない、出口のみえない迷宮。不安はあるけれど、そんななかでもエンパワーメントを。
3.はまったくの付け足しですが、まぁ自分自身を力づけて行きましょう。
弱音は吐いていいし、嘆いていいのです。
むしろ必須の作業です。グリーフ・ワーク(嘆きの作業)といって、これも回復のプロセスとして必要なものです。
さてあれ、今回はこんなところで失礼します。
ここまでお読みくださった方々、ありがとう御座いました( ..)"