閑話休題:禁煙について。

禁煙について。

(現在、禁煙に何度も挑んでは失敗しております――
 今回は、分析した内容の覚書きとなります。)

焦燥感に駆られて

 禁煙、吸っているときと吸わないときとでなにが違うのか、明確にするために一度解除してみた。
 今まで、違う過ごし方として「なにか有益な仕事をすること」に充てようとして来たのが間違いだったっぽい。

なにもしない、落ち着いた“労り”の時間」が必要だったわけで。

 見栄、虚勢、焦燥感。
 成長への焦りが、かえって回復を阻害している。

 とある人は「癒やしは必要」と言っていた。
 たばこでの癒やしは、免罪符。
 時間を無為に過ごすための。

 だとしたら、ニコチンの影響を考慮しないかぎり、「あえて無為に過ごすこと」を採り入れたらやめられるのではないか。
 先ほど、喉もとに苦しさがあったのは、あくまで離脱症状だとして。
 そこをクリアしてもダメだったのは、つまり休みが足りない、疲れ過ぎているためだ。

 まだ、学習を十全に行うには体力・気力双方の回復が足りていない。
 順序を間違えていた。回復が先だ
(吸わない時間を勉学に充てようとばかりしておりました。)

 身のまわりのことをしろ、とまた別の人は言うてたけれども、それも現状ではやれる範囲でやっていて、認めてもらえないことで反発を覚えた。

 創作等、かつて趣味だったものが重荷となってしまっている今、音楽を聴きながらゆっくりするくらいがベネかと思われる。

 多少はストレッチや体幹運動をあいだに挟むのもよい。
 自律訓練法や、マインドフルネス瞑想は、勉強という側面がまだ強い。

 寝てしまうのも悪くはないが、違う。
 睡眠のあと無性に吸いたくなるのも、義務感に駆られてのことだろう。

成功時との比較


 実は、一年半ほどやめられていた期間もある。
 それまでの苦労はすさまじいものではあったけれども、結果的にずっと吸わないで居られるようになり、それがふつうな状態になっていた。

 そのときは、ニコレットとvapeの併用でしのいだ。
 やめるまでに、無理やり大量に吸ってあえて吐くようなこともして、長いこと苦しんだ末に、ようやく成し遂げた感じだった。

 元よりたばこ嫌いで、自分が慣れるしかないと思って始めた喫煙だけれども。
 その“モルヒネより高い”という依存性には随分苦しめられた。
 そして、今また苦しい思いをしている。

 成功時、虐待ほかのストレッサーに囲まれた軟禁生活を強いられながら、よくやめられたものだと思う。
 さてあれ、そのときはゲームかなにかで埋め合わせができていたハズ。

 今だと(以前にも多少はあったけれども)、ゲームも作品として勉強の資料として扱おうとするので同じ手は通じない気がする。

 感情鈍麻もあって、楽しみも喜びもあまり感じられない状態ではある。
 けれど、昔みたいに小説が楽しめるのが一番だろうな、というのは願っている。

 当時、ちょうど島崎藤村『破戒』を読んで、久しぶりで小説の面白さを感じたのも覚えている。

 現状では抑うつもあって、文字を追うのに集中できないのはたしかだ。かなりの消耗を伴う。
 自分の糧としたい、という異常なほどの欲求も邪魔をする。
 純粋には楽しめていない。もう何年にもなる。

 スイッチのon/offというか、メリハリのある読み方があるとは思う。
 今それを身につけられるかは判然しない。

禁煙リトライまでに考えるべきこと


 今ある分が無くなれば(あるいは捨ててもよいけれど)、また禁煙再開となる。
 今朝から昼までの6時間も吸わずに過ごしていた。結局その後吸ってしまったが、何度も吸わない時間をつくることだけはして来た。

 次、成功させるために必要なのは、ゆとりのある慰めの時間をいかにして自分にゆるすか、だろう。

 これもまた、私にはとても難しい。
 先に挙げた見栄虚勢焦燥感義務感罪悪感といったものが堆積して腐臭を発しているほどで。

 しかし、このことを充分に考え尽くしてやっと成功する、ということは予感される。
 たばこを買えば納税にはなるけれど、自身の生活のお金が必要な状況でもあり、やめられないと非常に困る

 ともあれ、吸っているときには吸わないときと比較・分析をつづけて、失敗の原因を排除して行きたい。

 ……ここまでお付き合いいただけたかどうか不知(しらず)、さてこの記事はここまで。ありがとう御座いました(ノ_ _)ノ

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